自分の過去が決めている

エクササイズ?

 

好きなことをして暮らしていくのは難しい。

 

年齢、性別を問わず、よく聞く言葉です。

あなたはいかがでしょう。

 

自由に暮らしていくのは難しい。

 

最初の言葉とは少し異なりますが、

同じことを言っているようにも思えます。

 

楽して生きていくことは難しい。

 

また少し、ニュアンスが異なりますね。

 

では、これらのこと、つまり、

 

好きなことをして暮らしていくこと、

自由に暮らしていくこと、

楽して生きること、

 

について、

明確なビジョンはお持ちでしょうか。

 

 

社会に出るまでの間に、

私たちは公私にわたって、

様々なことを学びます。

 

公には2つあると思います。

 

1つは、やはり、

親や隣近所の大人たちから。

 

学ぶものは、

 

世の中の最低限守るべきルールや

ものの見方、受け止め方、

人と人との付き合い方などで、

 

彼らの言葉や行動と、何よりその背中から

しっかりと感じ取り、心身に吸収します。

 

もう一つは、

学校(私立も含む)をメインに、

クラブや習い事などで、

 

勉強やスポーツと、

そこに集まる同世代を中心とした人々の

人間関係などです。

 

双方とも、

自分の中で起こった化学変化、

つまり、

 

脳をしびれさせ、

体を興奮させ

生き方に影響を与えるような

 

凄まじい出来事から、

 

日々のルーティンのような

ささやかなことまで、

 

『無意識』に蓄積しながら、

私たちは成長していきます。

 

この『無意識』については、

これまで何度か書いてきましたが、

大切なことなので繰り返します。

 

無意識は、

私たちの言動を決定する機能を

持っています。

 

そして、

私たちの統合的な言動は、

この無意識に従って行われています。

 

だから、変えることが難しい。

 

もちろん、意識できれば、

時には言動を変えることはできます。

 

ですが、先に述べた通り、

 

『無意識』は私たちの言動の

“骨格”というか“フレーム”的な

位置づけになるので、

 

その外側に出るような変化は、

“本質的には”難しいのです。

 

だから、セミナーやセラピーで、

 

「こう考えましょう」

「早く行動しましょう」

「明るく生きましょう」

 

など、

 

多くの啓蒙的な言葉を投げかけられて、

最初はその気になったにもかかわらず、

変化はすぐにおさまってしまいます。

 

巷で習慣化という言葉がはやる理由が、

この意味からなのかは分かりませんが、

 

それまでの生き方を変えること、

つまり無意識を書き換える方法として、

 

継続的に新しいこと、例えば、

 

人の言動の受け止め方、

焦りや追い込まれた時の見方、

苦しくて崩れてしまいそうな時の考え方、

 

要するに、何かの折に体の反応と共に、

半ば自動的に発露した思考を、

別の何かに変える方法があります。

 

これがある期間継続された頃から、

明らかに内外の変化が明確になります。

 

ただ、残念ながら、この方法では、

多くの人が躓いてしまいます。

 

なぜなら、特に最初の幾ばくかの期間、

この、『自動的に発露した思考を変える』

別の何か、

 

つまり、

別の考え方、受け止め方、感情への働きかけ方、

俯き怒り打ちひしがれる自分へ向けた

挫けないようにする働きかけは、

 

胡散臭く、ワザとらしく、空々しく

感じられかねなくて、

 

結局のところ、

 

「そんなふうに行くわけないよ」

と、継続と反対方向の感情が

否定にかかるからです。

 

無意識を変えようとすると現れる、

慣れ親しんだ、無意識の力だから

厄介ですよね。

 

 

心の原風景、

自分のまま当たり前の存在することが

当たり前の自分を蘇らせることは、

 

このパラドクス、すなわち、

 

『無意識を変える試みが、

無意識を変えないようにする変化をも

生じさせる』

 

に対する有効な、

そして誰もが持っている力です。

 

そこには、無力感に包まれて恐怖を感じ、

取り返しがつかないと感じて絶望し、

得体の知れない焦りにからまわる

 

今の自分とは異なる

もう一人の大切な、

そして最も原初の自分が生きていて、

 

その善き部分を蘇らせること、

その存在が今も自分の中に生きていること、

ずっと一緒に生きていく存在であることが

 

挫けないように、

優しく寄り添い、守るように、

大切なものを見失わないように、

 

することを本気で是とする感動をもたらし、

 

「そんなふうに行くわけないよ」と、

胡散臭く、ワザとらしく、空々しく感じる、

 

無意識を変えないように生じる力を、

機能しなくさせてくれるからです。

 

 

好きなことをして暮らす、

自由に暮らす、

楽をして生きる、

 

どうやったら実現できるだろう、

 

そう考えた時、私には、

 

好きなことを好きだと感じる、

自由を感じる、

楽だと感じる、

 

そして、それをしっかりと感じられる

自分自身が何より必要でした。

 

自分を見失った状態で、

何かをしようとして、

うまくいったためしがありません。

 

何かを求めるとき、

その土台がどうなっているかを知ることは

とても大切なことだと思います。

 

 

ー今回の表紙画像ー

『平日の城ヶ島視察』

雨曇りのためか、人はまばら。