満開となった桜の花が
少しずつ散りはじめています。
土曜の雨が列島を覆って
花を散らせましたね。
でも、30年前って、
始業式が始まる頃が満開だった気がします。
温暖化ですねえ。
★
4月になりました。
ついこの間お正月だったと思ったのですが、
寄る年波か時間の流れが加速している。。。
やがてしばらくすれば、
花粉の名残が町から消えていき、
気持ちのいい新緑の季節が訪れます。
そして、
あっという間に梅雨になって、
暑いあつい夏が始まります。
時々書いていますが、
私は暑さが苦手なので、
6月から9月の間は必ずしも
歓迎する季節とは言い難い。
でも実は、ある頃から、
夏特有の懐かしい感覚を
取り戻しつつもあるんです。
何と言うか、
素直に、虚心坦懐に、
忘れていた懐かしい感覚が
明日を生きる力となって
蘇るようになりました。
今回はそんな話を
書いてみようと思います。
懐かしく素敵な感覚は、
秋でも冬でも春にはたくさんありますが、
夏だけ存在しないなんて変ですからね。
結局、
苦手な季節なのではなくて
苦手な部分がある、
ということなんですね。
こう書いてしまうと
そんなの当たり前だと言われそうですが、
多くの苦手に苦しみ、
辛いと感じる日々を送る方には
お分かりのように、
ある種の嫌な出来事、苦しい感覚が
“それ以外”を覆い尽くして、
“それ以外”があることを
思い出すことさえできず、
ただただ辛く哀しいだけとなっていました。
★
ここで少し、
温暖化の話をさせてください。
冬の寒さが苦手な人が必ずしも
温暖化による夏の気温の上昇を
喜んでいるわけではないでしょうが、
年を追うごとに夏の平均気温を
上昇させている
張本人と言われています。
いずれにせよ温暖化は、
産業革命以降始まっているそうです。
それでも1980年代の夏の34度は
本州ではまだ、
極暑と受け止められていました。
例えば、私が暮らしていた北陸では
1980年代前半に
この温度を記録しました。
この温度はフェーン現象によるもので、
太平洋側より気温が上がった結果と
天気予報で説明がありました。
中学生だった私は野球をやっていて、
夏休みの日中の練習時間に、
スパイクの裏側についていた金具が
敷きたてのアスファルトの路面に
食い込んだのを覚えています。
昨今、34度に気温で驚く人は
まずいないでしょう。
ことに内陸の盆地では、
40度越えが当たり前になっています。
あの頃を振り返ると、
グランドでへとへとになるまで
走り回らされていて、
「この暑さはもういい加減勘弁してくれ」
と思っていたものですが、
今は夏が暑すぎて
甲子園でさえ炎天下の試合を
避けている状況。
裏返せば、当時は今と比べて、
“涼しかった”ということになりますね。
★
かつて疎み蔑みながら、
心のどこかでいつも求めていた両親と
和解した後のことです。
ある夏の日、
いつものように暑さに辟易しつつ
街路樹でショイショイと鳴き続ける
クマゼミの声を全身に浴びながら
街中を歩いていたときのことです。
町中に降り注ぐ真夏の陽光と
通りを行きかう自動車の音を
耳にしながら、
ふと子供の頃のことを想い出しました。
小学生の頃、お盆になると
我が家は祖母の暮らす四国に
遊びに行くことが習慣だったのですが、
父の実家に当たる田舎町は
全てが自然に囲まれていて
周囲の山々の木々から、
いつもクマゼミが大合唱していました。
当時は家族全員で昆虫採集をしていて
蝶や蛾、トンボやカミキリなど
あらゆる昆虫が対象でした。
例えば蝶を採ったら、
胴体部分をプチっと音がするまで
強く握って仮死状態にしてから
三角紙という専用の保管紙に入れて
持ち帰るというほど
本格的に入れ込んでいました。
必然というか、
祖母に会いに行くたび、
自分たちが暮らしていた
名古屋の街には存在しないクマゼミを
追いかけることになるわけで、
夏の終わりになると、
作成してた昆虫の標本ケースに
その年のクマゼミが加わりました。
だから、
私にとってクマゼミの鳴き声は
祖母が暮らす田舎町を思い出す
代名詞でもあったわけです。
当時のクマゼミの北限が
日本列島のどのあたりだったのかは
定かではありません。
あるいは、
私、我が家が耳にしなかっただけで、
実は隣町では鳴いていたのかもしれません。
しかし、ともかくも、
大学に入って関東に出てきた後も
クマゼミの声が耳に届くことは
ありませんでした。
それが21世紀に入った頃からでしょうか、
気がついた時には
夏が来るたびそこかしこで
聞こえるようになりました。
先に記載のとおり、学生時代は
野球以外にもやサッカーで
炎天下を走りまわっていて、
しょっちゅう脱水症状寸前に陥り、
それと連動するように
父母の泥仕合が繋がって思い出され、
それでもその記憶から抜け出す術を
知らないまま、
ある種の機械のように生きていたことが、
恋人がいても、
長い休みの中にあっても、
夏に対して良いイメージを持てない
理由だったのでしょう。
それが温暖化によって
40度越えが毎年聞こえるようになった
にもかかわらず、
ある頃からそんな感覚が薄まってきて、
同時に、
耳にしていたクマゼミの声が
身体の中にしみいってくるように
なったのです。
夏という季節の移ろいに、
良かった当時の家族の匂いを
蘇らせることができるようになって、
これもまた自分が与えられた
時間と季節だったのだと感じた頃から、
夏は他の季節と同じ感覚の中に
位置付けられるようになりました。
私には与えられたものがある。
良い時間、
素敵な季節、
懐かしい風景。
そして、かけがえのない想い。
それらを悪い思い出、
哀しく寂しく辛い思い出が
覆い隠してしまっていて、
それが全てだと思っていたのだから
なんとももったいない
過ごし方をしていたものです。
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ー今回の表紙画像ー
『チキンとほうれん草のクリームパスタ』
ん~、ちょっと味が濃すぎたかな。
畑を借りて始めたのですが、今はちょうど種まきが始まる頃で、
周辺のあちこちでタンポポが花を咲かせています。

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