初っ端からこのような出だしで
萎えてしまわれるかもしれませんが、
職場で求められるのは、
会社という組織を生かすために
その一員として貢献することです。
率先して仕事に取り組むこと、
明確に前向きに意見を述べること、
ヒエラルキーを順守すること、
もちろん何某かの成果を出すこと。
一方で、
働きながら、
多くの方が抱える苦痛の感覚は、
貢献に必要な態度とは
正反対の方向を向いています。
この言葉を口にするのは憚られるけれど、
今の業務に取り組むこと自体が苦痛で
今の職場に通うこと自体が苦しい。
普段はそつなく目の前の仕事を
こなすことができていたとしても、
ちょっとしたきっかけ、
例えば上司からの叱責、
例えば理解できない業務、
例えば腹の探り合いのような関係、
例えば良い未来が見えない、
例えばその場で浮いてしまっている、
……
そういったことで
何とか誤魔化していた苦痛が、
体の中に、あるいは胸の中に
渦巻きだして、
このまま今の仕事を続けることに
絶望にも似た怖さを感じてしまう。
これと似た感覚をあなたも
日々感じているかもしれません。
これは、仕事に限った話ではありません。
家庭の中で、
学校の中で、
近隣のコミュニティの中で、
ともかく様々な人の集まりの中で、
同様の感覚を持っていることは
少なくありません。
私もそんな時期がありました。
そこから何とか抜け出そうとして
あくせくと動いてはいるのだけど、
何が正しくて何がおかしいのかが
わからなくなってくる。
自分なりに正しく、
正直に、
おかしな部分は反省して
生きているのだけど、
それでも、なのか
それゆえに、なのかはともかく、
なぜか行き詰ってしまった。
おかしいな。
その言葉が都度口をついて出てきて、
心が乱れ、
焦り、
あるいは動かなくなってしまう。
何がおかしいのだろう。
何がいけなかったのだろう。
どうすればよかったのだろう。
この状況を何というかご存知ですか。
古い表現では、『所を得ていない』、
普通に言えば、『居場所が感じられない』
ということです。
実際に居場所がないのではなく、
自分がそこにいることが当然と思える
居場所として感じられない、
ということです。
居場所を感じられないまま
焦ってもがいていると、
負のスパイラルに陥り、
何をしても物事がうまく進まなくなり、
なんだかんだと面倒ばかりに
あくせくするようになります。
ケージを回るハツカネズミのように、
くたくたになるまで走って、
でもどこにも行きつかない。
そんなとき、
自分が正しさに依存していないか、
振り返ってみた方がいいと思います。
正しさとは、
世の中の価値観を自分の居心地より
優先して動いていないか、
ということです。
世の中の価値観には、
名前の通った会社で働くこと、
正社員で働くこと、
都心の一等地で働くこと、
高収入を得ること、
大手企業に勤めること、
出世すること、
常に働いていること、
他者から見てまじめに見えること、
などでしょうか。
そういった価値観に踊らされるのではなく、
ここは自分の居場所になっているか、
もしなっていないなら、
なにをどうすればいいのか。
そういったことを一つ一つ
棚卸して考えてみることです。
例えば、
自分が求める〇〇
自分が欲する□□
自分が願う◇◇
この〇〇や□□や◇◇を
自分なりに明確にして、
そこにつながっているかを基準にし、
働くこと、生きることを
選択しなおすことです。
個人的な話ですが、
学生時代、宇宙開発に携わりたいと
思っていた時期がありました。
当時は宇宙空間という存在に
憧れを持っていたので、
何かあの空間とつながるような
仕事がしたいと思っていました。
実はこの意味で関連する仕事は
無数にあります。
技術の仕事だけをとっても
電子回路、電子部品、システム技術、
理論物理学、電波工学、プラズマ工学、
イオンエンジン、航空工学、特殊素材など
挙げれば枚挙に暇がありません。
では、宇宙開発に携わって働くとき、
この中の何を選択すればいいのか、
あるいは選択できるのか、
と言えば、
何を選択するか、ではなく、
自分が感じたい、携わりたい宇宙を
感じられるように働くことなのです。
例えば、ある電子部品の
仕事をするとしましょう。
皆さんのスマホも、蓋を開けると
電子部品が一杯詰まった
回路基板が出てきます。
その板にのせてある部品の一つを作る、
という想定です。
電子部品の開発を宇宙空間と
直接つなげることは難しいでしょう。
ですが、そこに宇宙空間でも通用する
ハイスペックな性能を実現すると
自分なりのミッションを決めれば、
そこに自分の中のやりがいが見えてきます。
もっとも、宇宙空間と携わりたいとき
普通の人は宇宙を身近に感じていたい、
時には、夜空にきらめく星々の瞬きと
つながっていたい、
という暗黙の気持ちがある場合が多く、
だとすると、
技術を離れて別の道を探る、
ということになるかもしれません。
NASDA/NASAに向かう、とか
イーロンマスク氏や堀江貴文氏のように
宇宙に絡んで起業を目指すとか、
流れ星プロジェクトのように、
衛星に自社技術を積んで
ビジネス化する策を練るとか、
プラネタリウムに勤めるとか、
考えればいろいろ出てくるものです。
私的なことに絡んで長々と
書いてしまいましたが、
以下の有名なレンガ積みの話と
同じことをお伝えしたかったのです。
教会をたてるための
レンガ積みをしている人に、
なぜその仕事をしているのか
問いかけました。
ある人は、
「見てのとおりレンガを積んでいる」
という答え。
別のある人は、
「大きな壁を作っているんだ」
さらに別のある人は
「人々の悲しみや洗礼のための
大聖堂を作っているんだ」
これはイソップの寓話で、
働く目的意識の大切さを説くお話です。
ですが、私たちの時代、
もっと大事なことがあります。
仕事も働く環境も選択可能な状況で、
正社員として会社に入って、
与えられた目標を達成することに
やりがいを感じるならいいのですが、
それよりも、
自分の居場所を感じられる目標を
自分で見出して、
そのためにどういう仕事を選び、
どんな働き方をするかを
導き出すことです。
私たちが求める幸せが
他の人にとっての幸せとは限らないことは
誰もが知っているはず。
なのに、なぜかどこかに
不特定多数の誰かと
共通・共有する基準を求めがちです。
不安になるのは仕方がない。
それを受け入れた上で、
正しいこと“ではなく”
自分が欲しいこと、
ありたいことを明確にして、
それに向けて歩き出してみませんか。
“正しさ”とは焦点が異なる
新しい行動と発想が
出てくるはずですよ。
その時には、
動かなければいけない、
やらなければいけない、
という感覚からではなく、
そうすることによって
自分が求める世界に近づけるから
そう動いていきたい、
という、
突き動かされ感で満たされた
生活が始まります。
必然、その流れに沿った人が集まり、
ヒントが集まり、
チャンスが集まり、
それがまた次の動きをもたらしてくれる、
そんな正のスパイラルが生まれます。
ー今回の表紙画像ー
『去年の夜桜』
写真は昨年3月22日のもの。
気象庁によれば、今年はもう少し早く咲くとか。
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