愛知県出身。
未来を変える働き方・生き方の相談専門心理カウンセラー、アドバイザー
1967年生まれ
FAITH認定心理カウンセラー
リカバリングアドバイザー養成講座(現RAカフェ)修了・認定アドバイザー
【略歴】
大学卒業後、外資系メーカーに就職、電子技術の研究者として勤務開始。
職場の都合により、商品開発、商品管理、マーケティング、営業など、様々な業務を経験する。職場になじむことができず、転職・起業を試みるも挫折の繰り返し。
自分の内面に動けない理由として存在する様々なブロックを自覚、精神医療のサポートを兼ねた心理カウンセリングを学び、心理カウンセラーとなる。
【働き方・生き方の専門カウンセラーとして】
中谷英貴です。
社会人となって働きだしたときのことを、今も鮮明に思い出すことができます。
働くことがどうにも苦しい。
最初はそんな感覚でした。
もちろん、働くことは自分が楽をすることだと考えていたわけではありません。世の中にそれこそごまんとある職業は、皆それなりに厳しい要請が課されています。
ですが、ある人にとっては生き生きと生きていくことができるはずの場所が、自分にとっては苦痛以外の何ものでもなかった。それが当時の私の率直な感想でした。
周囲を見回し、世の動向を見つめ、大学時代の友人知人の仕事の情報や自分が置かれている状況の俯瞰に努めましたが、何も変わりませんでした。
社会では様々なことが起こりました。列島を襲う大きな震災がいくつかあり、経済危機があり、その間に個人として、原家族が離散し、後に肉親の自死という不幸が重なりました。
凄まじい混乱が続きましたが、それでも動けない。何もできない。思考が働かない。会社を辞めることも、変わることも、休むことも倒れることもできない。誰の強制力が働いたわけでもないのに、自分がやりたいこと、自分に合っていることを探しながら、結局何もできないままの日々が続きました。そこにある強烈な怖れが、自分を何かに固定化してしまっていました。
それが、自分の内面を見つめなおすきっかけになり、組織、技術、理系、この社会の仕事の成り立ち、そういったことをあらためて理解することにもつながりました。
それでも理屈だけでは行動が変化しない。
心理カウンセリングと精神医療を学ぶことになった理由です。
働くこと、職を選択すること、生きること。心理学の観点からそれらを見直してわかったことは、ある意味とても月並みなことでした。
私たちは自分で自分の職と働き方を選択し、実現していかなければならない、ということです。
そして今があります。
【伝えたいこと】
私は、自分で自分の人生を決めて生きていくことができない。
私には、自分にあった仕事・働き方をして、生きていく力がない。
…そう、力がない。
そのように考えて自らの選択と今はまだ眠っているかもしれない夢をあきらめかけている方々に勇気と力を与えることができれば、そして行動に変化に変化をもたらすことができれば…。そう思っています。
自らの選択をあきらめかけている…それはつい昨日までの私でした。今私がいる場所は、かつての私が最も欲しながら、どこにも見つけることができなかった場所でもありました。
資本主義の勃興は、まさにそんな庶民・被支配層が、『自分の人生は自分で決める、そしてそこで起こることの責任も持つ、そして、大丈夫、それでも自分がきちんと自分の力で納得する人生を生きていける』という想いから始まっています。
決して今の社会システムを礼賛するためにこのようなお話をしたわけではありません。資本家による搾取の問題は常にささやかれています。ですが、私たちは望むと望まざるとにかかわらず、そんな社会に生きていて、そんな社会を生きていく必要があることをお伝えしたかったのです。
それは裏を返せば、自らの働き方、生き方の選択によって、自らの仕事を、そして人生を変えていく可能性の話でもあるわけです。
- 仕事がうまくいかない自分を被害者にしないために
- どうにも合わない働き方で疲弊するばかりの仕事人生にしないために
- そして何より、自分自身を信じることができないままにしないために
今一度、自分の持てる力、バックグランドを振り返り、より皮膚感覚にマッチした、自分の健康と大切な家族を守るために即した働き方、生き方とはどんなものかをしっかりと明確にし、それを実現していくためにはどうしたらよいかを時間をとって考えていく必要があると思うのです。
同じ仕事、同じ上司や同僚との会話、同じ給与であっても、満たされた人と満たされない人、充実している人と体を壊してしまう人がいます。ブラック企業と呼ばれる存在は確かに問題ではありますが、私たちは自分が充実して目的に向けて仕事かどうかも忘れて没頭している時、その時間が寝る間を惜しんでいたとしても、それをブラックとは呼ばないし呼ばせないはずです。
当時の私に欠けていたのは、そういった通り一遍の社会常識というかニュース用語、ネット用語に絡めとられて、自分にとって最適な職が何で、どんな働き方が必要で、何に向けてどんな生き方をしたいのか、という自分にとってのビジョンのいようなものでした。
人は、自分が被害者だと認識してしまうと、闇に陥ります。
未来は闇で、世界は敵意に満ちていて、その中を卑怯者が地べたを這うように歩き続ける…。何をやってもうまくいかず、毎日判で押したように会社に行っては上司から叱られ、誰ともうまく話が合わなかった頃の自分に対して、私はそんなイメージを抱えていました。
逆説的ですがそういった自分を受け入れてあげることこそが、そんな状態を脱するためのコツでもあるんですけどね。
私にとって、大学を出て大手企業に勤めて安定した生活を送るという働き方、仕事の選択は、親から与えられた物語でした。とても、本当に強力な、ちょっとやそっとではその外に出ることが困難なストーリーです。その物語の中にいるうちは、心のどこかで言い訳をしながら、そうしてはいけない部分まで随分他責にしてきた苦い思い出もあります。
繰り返しになりますが、心理学・カウンセリングを活用していくうちに理解できたことは、自分が職を選択し、働く中でどのように仕事と接して生きてきたかということです。
つまり、どれほど
- 世間の評価尺度(ネームバリュー・福利厚生・社会的地位等)を自分の評価指標としたか
- 自分の中にある幸せで充足した働き方、仕事の選択という基準を無視してきたか
- 自分の中に芽生え、育んでいた生き方をなかったことにしてきたか
ということでした。
一言でいうと、自分で自分を慈しんでこなかったわけです。自分を大切にしないで愛する人々を大切にすることはできないように、自分の価値基準、想い、そういったことを大切にしないで、職を選択したり、働いたりしたところで、何よりも自分自身が苦しむ、ということなのです。
これら世間の評価指標が悪いとひとくくりにすることは、当然ですが一概に言える個のではありません。これらの指標もまた、人々が豊かに生きていることの証として取り上げられてきたのだから、全くの嘘ではない(なかった)はずです。しかし、そんな画一的な指標に誰もがなじむわけではないし、多くの人が集まれば競争が激化してそこに参入したところで苦しむのは明らかです。
私の両親の時代には、まだ働くことができる場所というのが限られていました。
その中で必死になって、彼らにとっての最良の選択である“安定した職”を与えようとしてくれました。同じように、多くの人が高学歴化し、多くの人がサラリーマンとなり、多くの人が安定を勝ち取ろうとしましたが、かつて先進世界だけを考えていればよかった世界は、アジアをはじめとする新興国が勃興して久しく、既存の働き方や職の選択で生活の“安定”を得るためには、心の安定と愛着や愛情といった生きるために最も大切であるはずのものをどこかで切り捨てざるを得ない人が増えてきました。
そんなことに気づいた一部のティーンエイジャーや学生たちが、山奥に引きこもったり、新しい試みを模索していますが、それが常識的に根付くには長い時間が必要でしょうし、そもそもそれがメジャーな解であるとも限りません。
自分を信じて生きていくために必要なものは、自分の中にあるのです。そのためにも、自分の求める働き方、職を明確にし、それを求める方法を考えてほしい。
最後になりますが、自由と可能性とを感じられるようになるほどに、この世界に佇むもう一人の自分のことがずっと気になっていることに気づきました。
それは、ゆっくりとではありますが、次の行動を始める機会にもなりました。
あの頃の自分と同じように、働く中で、闇、混乱、絶望、無力感に苛まれる方が自分らしく生きていくためのサポートをしていこう。
一度は全てを投げ出してしまおうと追い詰められていた自分がかけがえのない自分を生きられるまでに会得してきたことを発信していこう。
そして、自分に見合った働き方と職の選択を通して、人々が少しでもつながりと幸福感に満たされた人生を生きられる一助となるような活動をしていこう。
『中谷英貴』とは、私を含めた原家族4人の姓名から一文字取り出して作った名前です。
今、私の中には一度はばらばらになってしまった家族一人一人が、そして何よりあらゆる時代の私自身が共に生きています。
最近のコメント