目標と自分を中和する

日々の棚卸

 

今に始まったことではありませんが、

世の中は常に“ピーキー”なもので

あふれています。

 

持ち上げられ、

あがめられ、

目標とされ、

 

それが組織なら格や伝統、基準と見られ、

それが人なら成功者と目され、

多くの人が目指す対象とされます。

 

つまり“ピーキー”とは、

 

例えば、人の場合で言えば、

 

突出した成果や記録だったり、

万人が惹きつけられる美貌だったり、

誰もが羨む名声だったり、

地位や資産だったり、

社会から見られるイメージだったり、

 

ということになるでしょうか。

 

“ピーキー”の後を追う人は、

 

それがどうしてもやりたいから、

ではなく、

 

使命を感じるから、

でもなく、

 

気がついたらやっていた、

からでも

 

ないことが多いものです。

 

自分とは何か、

つまり、

 

自分はどんな性格で、

どんな気質で、

どんな体質で、

 

どんな感情の持ち主で、

どんな感覚が優位で、

どんな好みで、

 

どんな生き方をしてきて、

どんな方向へ向かいたいと思っていて、

どんなところにたどり着きたくて、

 

最後はどんな終わり方をしたいのか、

 

などについて、

全てとは言わないまでも、

 

多くを自分とかけ離れた

別の“ピーキー”な『何か』『誰か』を

自分の代わりに基準として、

 

彼ら、彼女らを目指すことに

費やしていたりしています。

 

そうやって、

自らの身体や頭ばかりか、

心や魂までもが

 

本来の居場所と“ピーキー”な目標との間で

伸びきってしまっていて、

 

魂が揺さぶられたり、

心がときめいたり、

ということが生じる

 

“遊び”の領域が残っていません。

 

もしそうだとするなら、

“ピーキー”とは、

成功者にとっての現実なのであって、

 

多くの人にとってはフェイクであったり

するのかもしれません。

 

でも、こんな時代、

フェイクだ何だと言ったところで、

 

ついそちらの方に目が向いてしまう、

注目してしまう、

その方向で評価を求めてしまう、

 

そんな傾向になることもまた

仕方がない面はあるのかもしれません。

 

そもそも、

 

世の中のことなどどこ吹く風と

自分を貫き続けて生きられるなら、

そんなに苦しむことなどないですからね。

 

ただし、

ここには1つ大きな問題があります。

 

それはどういうことかと言うと、

 

そちらの方に目が向いてしまうあまり、

自分自身の方を振り返ることなく

放置してしまうことです。

 

どうしたらいいのでしょうね。

 

 

早世の明治の文豪である芥川龍之介は、

中国や西洋に対する日本の文化をして

中和の文化であると述べた、

 

と聞いたことがあります。

 

取り急ぎググってみたのですが、

AI先生が示してくれた結果では

確定的な資料は見当たりませんでした。

 

ただ、

 

「異文化受容」と「和漢の融合」という

彼が目指したとされる文脈においては、

 

日本の文化を

中和・統合の場として捉えていた

可能性は高い

 

そうです。

 

よく言われるように、

日本の文化は異文化を取り込んで

新しいものに作り替えることを

歴史を通じて行ってきたことは

間違いないでしょう。

 

彼自身は、

中国文化、西洋と東洋の融合などを経て、

自分の弱さや滑稽さと

世の優れた何かとの間の中庸を

追求していたということです。

 

 

今述べた芥川龍之介の論が

事実かどうかは実のところ

私には関係ありません。

 

現代社会に暮らしていて、

気がつけば無理をして

“ピーキー”なフェイクに

向かっていることに自覚があるのなら、

 

という前提にはなるけれど、

 

ただ一言、

中和を目指してみたらどうでしょう、と

提案させていただきます。

 

最初は、芥川龍之介の言う

中庸という言葉にしようとしたのですが、

 

単に二つの真ん中という意味に留まらず、

そこに自分らしさ、自分の感覚を交えて

中和するのが良いのではと考えました。

 

繰り返しになりますが、

 

自分が目指す目標ができたとして、

それが“ピーキー”なものか

フェイクなのかはさておき、

 

その目標なるものを、

自分自身で中和することです。

 

なぜなら、

 

うまくいくかどうかはわからないけれど、

少なくともそうすることで、

自分自身を完全に見失うことは

防ぐことができるからです。

 

身動きできなくなるほど

疲労困憊まで陥ることもなく、

 

違うと気がついた時点で

方向転換する余力も確保できます。

 

実際、

 

“ピーキー”を求めることの中に、

フェイクと本来求めている世界が

明確に見分けられるとも限りません。

 

だから、

中和を心がけながら、

試してみて、違うなと思えば、

 

そこで少し休んでから

別の世界を目指せばいい。

 

ポイントは、

目指す世界、向かう先が、

 

自分ならどうであるか、

自分にとっては何か、

自分らしく実現するには

どうしたらよいか、

 

を自分自身と相談して

想い描きながら時間を使うことです。

 

目指す先を信じ、

自分を大切にするために、

 

そして余力を持って

自分を見失わずに生きるために、

 

目標を自分自身で中和させるのです。

 

…、と連ねながら、

ヒントを与えてくれた芥川龍之介を

振り返ってみれば、

 

一神教という、

良くも悪くも破壊(戦争、革新)する

文化に比して、

 

日本の文化を中和の文化だ、

という意味で言ったのであれば、

彼は本当に凄いと思います。

 

 

「無駄なものは何もない」

 

その昔、

祖母の家に遊びに行ったときに

伯母から言われた言葉です。

 

確か、

調味料の悪影響か何かを

あたかも知ったような感じで話していた

子供の私に、

 

ある部分だけの理屈で決めつけないことを

諭すように伝えてくれたことを

今でも思い出します。

 

あなたにとってのフェイクは

誰かにとっての真実かもしれません。

 

当ブログではよく

反対の方向、つまり求めている者が

実はあなたにとってのフェイクでは?

という問いかけをしていますが、

その逆もまたしかり。

 

そうかと言って、

フェイクも真実もよくわからないから

あらゆるものを繋げて試そうとするのも

現実的ではないですよね。

 

ならば、

自分が求める未来や世界と

自分自身の思考嗜好を中和して

日々を生きてみるといいのでは。

 

そう問いかけさせていただきます。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『田舎の春』…というか夏だった。。。