それは決して嘘偽りじゃない

日々の棚卸

社会人になりたての頃の話です。

入社した会社の新人研修の時に、

当時の教官が我々新人を前に話してくれた

さらにそれより昔の、古き良き時代のこと。

 

アル中の新入社員がいたそうです。

今はどうか知りませんが、

私が若かりし頃の会社の新人研修では、

新人がいくつかのクラスに分けられて、

各クラスごとに

机を並べて座学を受けていましたが

そのアル中の新人(Aさんとします)の頃も

やはりそんな感じだったそうです。

Aさんは、大卒の22歳だったそうですが、

顔は典型的な赤ら顔のおじさんで、

シャープペン(当時)を持つ手はかすかに震え、

なんと机の下、足元には

酒の一升瓶がおいてあったとのこと!

この話、

当然最初は眉唾で聴いていたのですが、

話の筋道をたどるうち、

そして教官の反応を見るうち、

どうも冗談ではないようでした。

(会社はよくそんな人間を

正社員として雇ったなあ)

それが正直な感想でした。

日本だけでウン万人、

世界でウン十万人の社員がいるのだから、

そういう人がいたとしても

不思議じゃないということなのか、

それとも外資系のメーカーだから

革新的な成果を求められる部署なんかでは

人材に個性を求めているからだろか、など

疑問は尽きません。

いつもお話ししているように、

当時は私自身が原家族との葛藤、

というより

そういった自分とその境遇を

受け入れられていなかったことで、

世の中を斜に構えてみていましたが、

それでもさすがに

当時寝酒で飲んでいたウイスキーの瓶を

研修所に持ち込んで、

ふてくされた態度で研修に臨む、

などということはできませんでしたし、

そんな発想も全く浮かびませんでした。

昔も今も、

私は変わることなきチキンなところがあって、

しかも今になっては

そのチキンさのキュートな部分が

妙に気に入ってしまっているのですが、

ともかくも一升瓶を持ち込み、

しかも赤ら顔に真剣な表情を浮かべて

Aさんは研修を受けていたとのことで、

その奇妙さがずっと頭の片隅に残っていました。

今になってその光景を思い浮かべると

何だか微笑ましく感じてしまいますし、

実際、そういった類の話ではあるのですが、

その話を聞いた当時若造だった私には

そこまで感じる余裕はありませんでしたね。

 

「いやあ、おおらかな時代でしたねえ」

当時の教官もまた話の後でそんな感想を

述べておられましたが、

その教官自身もまた、

心に余裕のない若造だった筆者と違って、

おおらかな人だったと思います。

ちなみにその教官、

研修の直前に離婚していたそうで、

そうであるにもかかわらず、

そんなことをおくびにも感じさせないほど

おおらかな感じを漂わせた方でした。

きっと内心は色々抱えていたはずですが、

公私を分離していたということですね。

これもまた当時の自分には知る由も、

察知する由も、

想像する由もない大人の世界の話でした。

 

その何年か後、

人事異動で配属された部署で

その部署の古株のある方と

チームを組むことになりました。

アル中というわけではありませんが、

ときどき強烈にアルコール臭を漂わせ、

何かと周囲に毒づいてばかりいる

お酒好きの方でした。

長年同じ部署にいたせいか、

仕事内容の多くを知っているのですが、

何をするにしても、

何を言うにしても、

一癖あって、

周囲がどこかで扱いに困っている

そんな雰囲気が感じられました。

私はそんな彼と

一緒に仕事をすることになったのですが、

当時まだ心理の本を読みだした程度で

自分の置かれていた状況を

うまくとらえられていなかったため、

先行きが不安になりました。

そして…。

彼と接し、仕事の内容にかこつけて

絡んでくる衝突をかわしつつ、

時にはなだめすかし、

話を合わせ、

のらりくらりと何とかやり過ごす、

そんな日々が続くうち、

ある日、

私は彼の中にある人を見出しました。

それは、

もう一人の父であり、

もう一人の母であり、

もう一人の私でした。

 

話をしたり、

仕事で共同で手を動かしたりしながら、

よくよく彼のことを観察しているうちに

見えてきたのは、

強がり、

威張り、

口ばかりで無責任、

よく知っているふうを装っていた

表情の裏側にある、

怯えと、

魂の震えでした。

もちろん当時は、

うまくそんな言葉に変換できたわけではなく、

感じ取ったものを今の理解で訳せば

そんな言葉になる、

という意味ですが、

これは心の世界に注目する上での、

そして自分の恢復に向けて

取り組む方向を見定める上での、

私にとっての

大きなターニングポイントになりました。

当時の上司たちも彼の扱いに

手をこまねいている感があったのですが、

そうやって共同で仕事をする

私のような若造がいて、

何とかまともな成果を出せるように

なったものだから、

私は彼としばらく組まされる羽目になった、

と、どこからともなく伝わってきました。

 

彼の立ち居振る舞い、表情が、

彼なりの愛情表現だと今ならわかります。

毒舌的な批判も

何かにつけて我を押し出すのも

聞えよがしの悪態も

それが

他者に受け入れられるかどうかはさておき、

当時の彼の世界観の中で

彼が見せることができた

最大限の思いやりの表現でした。

それを、よく言われるように

仮面をかぶった、

とか

見せかけ

と名付けて

それ以上考えないようにすることはできます。

ですが、

それこそが

彼が彼なりに人生を背負った上での

愛情表現だとするなら、

私を含めて世の中にわんさかいる

といつも考えがちな

おかしな人など

実はそんなにいないことが理解できます。

そして、その根源的なものは

皆そんなに変りはしないと。

生まれ、育って、

そこまでに学び取ってきた

出力用のフィルタである仮面を介して、

自己を表現する。

そのフィルタの作成は、

親や世の中に文句を言っても

変わるものではありません。

自分で変えていかないと、

苦しむのは自分だし、

だからどうしよう、と考えるようになる。

アルコール依存症に限らず

そもそも依存症にさえ限らず、

抑うつや無力感やそんなものにも限らず、

日々の生活にアップアップしながら

自分か他者か世の中の何かを批判している

私たちすべてにとって

同じことだと思うのです。

彼にとっての真実は、

そういった仮面によって

表現されているだけのことで、

決して嘘偽りなんかじゃない。

私自身がその時々の自分の様相にあわせて

仮面をかぶったように、

どこにも嘘なんてなかった。

ただ、それが苦しいのなら、

そのことを正面から

きちんと受け止める勇気を必要とします。

そのことに気づくだけで、

自分は変化するし、

いろんな人に愛情を感じられるようになる、

そんな方向に変わっていければ

いいと思います。

 

ー今回の表紙画像ー

『梅雨雲~さる屋上より』

巨大な戦艦が空に浮かんでいるよう。