工場夜景に想うこと

日々の棚卸

 

その昔、ほんの少しだけですが、

ルネマグリットの絵画に

凝ったことがあります。

 

一連の不可思議な絵、

シュールレアリスムと言うのですが、

 

空中に浮かぶ岩や、

青空で描かれた鳥の絵など、

彼の描いた抽象的な表現が、

 

妙に感覚のツボにはまって、

当時はあちこちで開催されていた展示会に

足しげく通っていました。

 

得に惹かれたのが、『光の帝国』。

(The Empire of Light)

 

あまりに長く絵の前で動かなかったからか、

一緒に出掛けた人からはよく、

 

「そこまで見ていたい?」

とあきれられていました。

 

 

先日、久々に東京湾の方へ

夜釣りに生きました。

 

夜釣りは1人で行くと怖いので

(ビビりなんです…)

 

この歳になっても

年長者のお尻にくっついて

出かけるようにしているのですが、

 

どうしても都合がつかなくて

1人で出かける時は

できるだけ灯りのあるところにします。

 

だったら昼間に行けと言われそうですが、

やっぱり夜の方が釣れるんですよ、お魚は。

奴ら、都会暮らしで擦れ切ってるんで。。。

 

で、今回は幸浦から福浦まで続く波止から

のんびり投げざおをセットして

後はあたりを待つばかり。

 

平日の割に周囲は混んでいて、

カップルから家族連れから、

猫ちゃんたちまでいました。

 

彼らの視線を尻目に、

穂先にあたりがでるまでは

だいたいいつも、

 

東京湾を往来する船や、

対岸から左奥までの光の夜景を

見て過ごします。

 

夜釣りと言ってもせいぜい、

日が落ちてから2~3時間くらいで、

単独釣行だと寂しく感じるので、

 

よほど釣れている時以外、

そそくさと帰ってしまうのですが、

 

夜景に見とれて

気がつくと時間が過ぎてしまうときが

たまにあります。

 

そんな時はだいたい、

工場街のイルミネーションって

実際はどうなっているんだろうと

 

素朴な疑問が浮かびつつ、

そのまま帰路についていました。

 

昨年には、ハンマーヘッドから出ている

夜景ツアーに参加して、

 

横浜から川崎に至る臨海工業地域の夜景を

海の上から実際に眺めてきたのですが、

 

思ったほどライトシャワーの光景が

見られたわけでもなければ、

 

色とりどりの繊細な光たちが鮮やかに

共演しているわけでもなく、

 

愛でるために作られたものではない

機能美の現実を垣間見た印象の方が

強かった気がします。

 

 

マグリットの『光の帝国』は、

 

薄暗い森の手前に描かれた湖と、

その手前にたつ館があって、

全体的に陰に飲み込まれています。

 

背後の白い雲が浮かぶ明るい青空と

暗い森の中の館が対照的です。

 

館の前には一本の街路灯?がたっていて、

街路灯の灯りに照らされた部分は

明るくなっています。

 

この風景が現実的に成立するのかは

実は微妙なところかと思いますが、

それはともかくとして、

 

マグリットはこれを、

昼と夜の共存と呼んでいたそうですが、

 

そんなことはつゆほども知らない私は、

 

この絵が示す暗闇(原家族の状態)を、

青空(うまくいっている外の世界)と

対比して、

 

当時問題を抱えて皆が混乱していた

原家族の未来に対して

ささやかな可能性を望んでいたのかな、

 

と感じています。

 

一人で夜釣りに出かけて、

湾岸のイルミネーションに見入る時、

 

子供の頃、

父に連れられて出かけた夜釣りを

思いだしながら、

 

同じような感慨を

持っていたのかもしれません。

 

 

『光の帝国』はポスターを購入して

しばらく部屋に貼っていたのですが、

 

長い歳月の中でボロボロになって、

廃棄してから随分たちました。

 

自分の中に眠る“素の自分”が

息づいている原風景を

甦らせる大切さを毎回のように述べています。

 

私にとっての光の夜景や『光の帝国』は

もしかするとそんな位置づけの一つ、

だったのかなと思ったりします。

 

ちなみに、『光の帝国』には

別バージョンがあります(『光の帝国2』)。

 

ー今回の表紙画像ー

『マグリット「光の帝国」』