無理をやめる

日々の棚卸

 

人生を旅に例えることがあります。

 

放浪の旅、

目的のある旅、

一時的な小旅行。

 

どれも、当座のたどり着く場所がある、

という意味では同じ、と言ってしまうと

少し強引でしょうか。

 

たどり着いた場所がどんな場所かは、

選択によることもあれば、

環境や流れの結果なのかもしれません。

 

たどり着いた場所は人それぞれ。

そこが当人に合っている場所かどうかも。

 

そして、

たどり着いた場所が、

自分が選択した場所だったり、

世の中的に〇だったり、

他の場所で生きていく自信がなかったりすると、

 

つい、

そこに居続けようとする人もいます。

 

だって怖いんだもの。

動くことは。

 

それを誰も批判はできないし、

誰かにどうこう言われる筋合いのものでも

ありません。

 

ただ、その時、

そこにいる理由として、

 

自分のメンタリティとか、

体の状態とかは、

意外に考慮されていなかったりします。

 

それよりも、

動こうとしない理由の方が

優先されているわけです。

 

そして、意識してなのかどうかはわかりませんが、

そこに留まり続けるために、

どこかで代償行為を行っていたりするものです。

 

代償行為は、

積極的な行動のこともあれば、

思い込みや言い聞かせのこともあるし、

体の症状として現れることもあります。

心の症状としてでているかもしれません。

 

えっ?

症状まで代償行為に入れるの?

 

そうです。

入れます。

 

症状は、その程度が

ひどかったり、

何度も繰り返されていたり、

継続して出ていたりするほど、

もう無理だ、と

もう一人のあなたが伝えているものだといえます。

 

その場所にいることは、

もう無理なのだと。

 

読み取ること、できました?

 

新しい世界に行くのは、

本当に怖いですよね。

特に、保証がない時には。

 

ほんとは保証なんてどこにもないんだけど。

 

そして誰かに、何かに保証を頼っていると、

実は、いつまでも恐怖が消えない。

 

つまり、そういう生き方を選択してしまっている。

 

かといって、

子供のときのように純粋な気持ちで、

と言われても

やっぱり、

怖いものは怖い。

 

それは、当たり前でしょう。

 

自分のこれからの人生を、

自分で支える新しい世界を

見つけ出し、

創り出していくのだから、

 

ただただ夢を見るように、

ルンルン歩き出せる人は

おそらくほんの一握り。

 

だから最初は、

おっかなびっくりでもいいと思います。

 

まず最初に、

無理をやめてみましょう。

 

ここでいう無理とは、

今『そこ』に居続けるために、

今『その』人生を生きるために

やっている、

 

働き方、

日課、

考え方、

人との接し方、

そして何より、

自分自身へ投げつけている『感覚』。

 

この『感覚』がもとになって、

自分をその場所に合わせるために、

 

強制的に何かを行わせていたり、

自分を貶めていたり

咤ばかりしていたり、

人の感情にまで責任を持とうとしていたり。

 

そういうのを

『無理』

といいました。

 

いずれ破綻します。

 

だから、

それらを見直してみて、

それでもそこに居続けられるか、

それでもそこに居続けたいか、

自分自身に問うてみてください。

 

『無理』は、

実は、

なかなかやめられないことを

含んでいます。

 

『無理』の中には、

依存症の元まで含まれるから。

 

そこに無意識にしがみ付いている時、

『無理』もまた

意識できないかもしれません。

 

でもやっぱり、

気づいて、やめる。

 

それが、

それこそが、

自分の人生を取り戻すために、

自分が納得する人生を歩むために、

実践することだと思います。

 

ー今回の表紙画像ー

『秋の終わりの富士山』