体が震える苦しい夜を繰り返さないために

日々の棚卸

 

サラリーマンとして働いていて、

私は二つの理由で、

体の震えが止まらない思いを

したことがあります。

正確には二種類。

それぞれ、毎夜、何度も震えに襲われました。

 

一つは悔しさに打ち震えたこと、

もう一つは怖れに震えたことです。

 

四半世紀前のことでした。

安定を求めて入った企業の正社員。

私が社会に出る頃は、

今までのような右肩上がりの

経済成長ではなく、

それは会社も同じで、

人材の流動が激しくなって

弱肉強食の世界になるぞ、

と実しやかに囁かれていました。

実際、山一證券や長銀の破綻は

それを裏付けていたように受け取った

報道もありました。

 

それでもやっぱり、

世の中は安定志向。

これはきっとこれからも変わらない、

日本の潮流なのかもしれません。

そんな場所に理由はどうあれ、

私は入社試験を受け、

自分で決めて入り、

社会人をスタートしました。

 

そこで経験した、

どうしようもない痛みと怖れが

体の震え、そして心の震えとなって

毎晩眠ろうとすると

体と心を襲ってきました。

 

悔しさに打ち震えた夜。

こんなこと、なんでできないんだ?

なんだ、この書き方は?

まだ終わってないのか?

やる気ある?

これくらいできて常識だろ。

 

そんな言葉や侮蔑的な態度に、

なぜここまでされなくてはいけないんだ。

他に言いようがあるはず。

どう考えても正当な言い分じゃない。

こういう理由があるんだ。

そんな悔しさ、憤りが、

ずっと体を駆け巡っていました。

 

怖れに苛まれ続けた夜。

今の仕事に、

歓びも感動も達成感も感じられない。

誰かを幸せにしている実感もない。

自分の中にもその感覚は全く湧かない。

やっていることにも、扱っているものにも、

愛着がない。

好きな人がそこにいるわけでもない。

その場所ですら

自分の力が貢献している感じがない。

そして何より、

このまま続けることで、

人生の大切な時間が、自分の想いが、

燻りながら消えていってしまう、

自分にも誰にも出会うことができない。

自分自身を感じられないから、

何かを愛する感覚も退化してしまいそうだ。

 

不安の正体かどうかまではわからないけれど、

言葉にするとそんな感覚が

夜ごと体を支配し、

このまま生きることが

怖くて仕方がなかった。

 

歳を重ねて今、

冷静にあのころを振り返れば、

単純に誰が悪い、何が悪い

と言えないのは理解できるし、

仮にそう感じた対象の人へ、

怒りをぶつけ返したところで、

意味があるはずがないことも

理解できます。

そして、これは実はあまり

知られていないことだけど、

こちらがやり返した怒りで

相手がダメージを受けたところで、

相手以上に自分が傷つくだけです。

特に長い目で見た時に。

 

少なくとも、

その感覚に取り込まれて

身動きできなくなる理由が、

自分の内面にあることも、

そこに焦点を当てるよりも

他にすべきことがあることも

私は心理学や自分の過去を振り返る中で

気づきました。

そして、

その感情、悔しさや怖さで体が震えて

苦しい夜を続けないために

できることがあることを、

私自身の数えきれない失敗談や

心理カウンセラーとして得た知見、

その過程や臨床の場で見せてもらった

幾多の成功例や失敗例から、

理解しているつもりです。

 

一例をあげれば、

その苛まれている、取り込まれている

感情を手放すこと。

遠ざけたり嫌ったりしている

自分を受け入れること。

自分を含めた誰かを

憎んだりしている暇などないということ。

そんな時間があるくらいなら、

好きなことを探した方がよほどいい。

並行して新しい世界を模索すること。

模索は、最初は頭で考えたとしても、

必ず行動に移すこと。

通勤している人は、通勤を見直すこと。

雇用されている人は、労働条件を見直すこと。

職場の人間関係を見直すこと。

大切な人をきちんと愛することを

最優先にすること。

食べていく以上のお金は

後からついてくることを理解すること。

自分がパフォーマンスを発揮できる

時間帯、内容を知ること。

愛着がわくことが何かを理解すること。

自分の気質を知ること。

何を大切に生きたいか知ること。

 

一例と書いた通り、

ここに挙げていないことも含めて、

その人ごとに、

特に考慮すること、

優先度を高めること、

やらないほうがよいこと、

などがあるでしょう。

 

ともかくも、

これらの自分軸に沿って、

真剣に、でも自分を追い詰めることなく

振り返って、

自分自身に意識を戻してやること、

戻した意識で生きるのが自然であること、

仕事の選択も、

自分に見合った働き方も、

そこから導き出し、

それに見合うように職を選ぶこと。

 

そんなことできない、できるはずがない。

若い頃の自分ならそう言い返しました。

きっと、突然、いきなり、究極のハピネスを

イメージして、

そこに瞬時に行きつくことを

考えてしまうからだと思います。

 

同じように、

「自分には無理!」

と言われる方へ。

 

誰もが幸せであることを願っている、

それは間違いないと思います。

ただ、その幸せの構図は、

現在地からではあまりに遠すぎる、

そう感じる自分も一方にいる。

それが、無理、の理由ではないでしょうか。

 

変化は常に小さく始まります。

そのための行動なら、小さくて済みます。

というより、小さく始めるしかないのです。

今の苦しい自分が描く幸せや歓びは

実はまだまだ本音を十分に

自身が感じ取って描いたものでは

なかったりするからです。

 

素敵な幸せ、

充実した働き方、

やりがいのある職、

そういったものが全て実現した世界を

想い描くことの大切さは、

よく言われますが、

そこへ向けた変化は、

一朝一夕ではいくことよりも、

コツコツとそこに向けて歩む先に

あらわれることが多いものです。

 

こう言ってしまうと

気後れしてしまうかもしれませんが、

今の働き方や生き方が苦しいということは、

その場所を描いて、そこへ向けて歩め、

というメッセージでもあるし、

そのメッセージの一つは、

無理をしすぎている自分の

働き方や生き方への変化を

促していることでもあるのではないでしょうか。

 

そう考えてくると、

そのくらい、自分という人間は

気高く、尊い存在であることを

感じ取ることが最初かもしれませんね。

 

ー今回の表紙画像ー

『由比ガ浜』

所用で鎌倉へ。海が荒れていましたね。遠くにかすかに大島の影が。。。

時節柄、人との接触を極力避け、短く切り上げて帰りましたが、海岸沿いは渋滞でした。

途中、屋根の上に鬼滅のキャラグッズを張り付けた乗用車とすれ違った。。。