「いつか」は来ない

日々の棚卸

私たちは、いつかこの世からいなくなります。この間も言ったかな。私たちが必ず迎える「いつか」は『死』のみです。100%確実なこと。

 

私は昔も今も佐野元春氏は大好きですが、

問題を解決したら何かを始めよう、という意味での「いつか(someday)」はまずやってきません。

 

結果の出ない努力という言葉があります。

一生懸命に“努力”しているのだけど、何故だか結果が出ない。

そういうことを指して言われる言葉。

これをやったら、こうなるはずだから。

一生懸命仕事をすれば、出世するから。

いい大学、いい会社に入れば、幸せになるから。

もう少しダイエットが進んだら、水着を着るから。

どれも順序が反対というか、正確に言えば因果性に乏しい。

必要ならその時にやればいいこと。

 

誤解のないように申し上げると、「いつか」ではなく「今だよ」、と言っているわけではありません。

「今ここを生きるんです」なんて。

でも、そうやって、それが本当に必要かどうかもよく考えることなく、つい動かない体と心に鞭打って、今動かなきゃ、とやってしまうと、ますます自分がおかしくなってしまう。

よく、新しいことを見つけて始めることを試みる場所 - 起業塾、コーチング、趣味のサークルなど - で、お試しの行動をさっさと始めようとしない生徒に文句を言うようなところがあります。自分で選んで来た場所で、自分が見つけだした項目に対して、なぜさっさと動かないんだ、と言うわけです。時には罵声を浴びせるところもあるようです。

彼らからすれば、生徒が行動を始めてくれないことには、そして結果を出してくれないことには、彼らにとってのビジネスが成り立たないのだから、そうならざるを得ないのかもしれません。

一方、さっさと始められない当事者側(全ての方とは言いませんが)からすれば、無力感とか自己否定感が支配する世界からの脱却に必要な行動を、無力感とか自己否定感が躊躇させるというジレンマに陥ってしまっているわけです。そんな状態でカウンセリング的な方法も持たない事業者側のさっさと動け、という態度は、時に横暴と映ってしまうのでしょう。

当HPの『恢復の道のり』(https://nakatanihidetaka.com/recovery_step/)にも記載しましたが、自分や世の中とつながる生き方をサポートするところでは、働き方を変える必要が往々にしてあります。その中でも、新しい場所、新しい会社、新しい事業など、とにかく新しい何かを始めるときのフォローは、実はカウンセリングでは大切な領域だと考えています。

ちょっと話が脇道にそれました。

言いたいのは、動かない心と体をまるで鞭打って馬を歩かせるように無理に動かすのは避けてほしいですが、個々人が抱える問題の元にある心境と“折り合い”はつける必要があるということです。

そういう意味で“躊躇への対応”は必要ではあるのです。

 

繰り返しになりますが、そういったことを踏まえた上で、「いつか」が訪れることはありません。“躊躇への対応”は問題を解決した後で行動することではなく、躊躇しながらも行動する、その人なりの方法を探り、いくつも試してみることです。ある意味とても泥臭く感じられるかもしれませんが、個々人に見合った方法をそれぞれが見つけ出すのが、実は一番の近道なのです。

これを読まれている方の中には今も、人には言えない苦しみや悲しみを味わっている方がおられると思います。

人に話せば、たかがそれくらい、と言われそうなことだったとしても、とにかく二度と味わいたくないほど体が震えるような経験をしたこともあるかもしれません。

それがもとで動けなくなってしまっているとしたら…。

だからこそ言えるのですが、それを解決したら、××するぞ、××になるぞ、という意味での「いつか」は、本当に残念だけど“永遠に”来ることはありません。

同朋として申し上げさせてください。

私たちが抱える問題は、解決する、といった類のものではないのです。

ただ、そこを潜り抜けていく自分なりの生き方、日々の生活の仕方、全く出てこないモチベーションのまま何とか自分を叱咤せずにちょっとずつでも動こうとするその独自の取り組みの繰り返しこそが、問題への対処であり、新しい世界につながる扉を見つける方法なのです。

 

ここで、米国における精神疾患を抱える人々への対応方法を紹介させていただきます。おそらく、今回の話の参考になると思います。

統合失調、鬱、BPD(Boundary Personality Disorder境界性人格障害)など、精神医療の対象となる精神疾患の該当者は、これらを治療し、完治してから社会に復帰する、ということを行っていないそうです。これらの病を薬やカウンセリングなどを併用してうまくコントロールしながら、社会生活を営むことを試みているというのです。

 

私たちが抱える問題がそういった精神疾患でなく、行き詰まりや閉塞感、無気力であったとしても、私はやはり同じことが言えると考えています。

私たちは、自分にまつわるいくつもの問題と仲良く付き合いながら、自分のやりたいことを見つけ、自分の望む方向を見つけ、自分を蹴飛ばすことなく、それらを実現するための行動を並行して行う必要がありますし、それはできることなのです!

 

問題が解決したら、は、永遠に来ない。

なぜなら、解決することは永遠にないから。

問題を自分の一部として当たり前につき合えるようになったときには、必然的に「いつか」は“今”になっている。

そういうものだとお考え下さい。

 

だからこそ、よく言われることだけど、今実行できること、項垂れた状態であってもできることは何かを考えて、動いていけるといいですね。