自分の意外なところを許していないことがある

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私たちが大きく変わるきっかけの一つは、いつも“目の前”にあるのにそれまで気づくことがなかった大切なことに気づくときです。

“目の前”とは、文字通り普段から見慣れていて気にも留めてないものや人のことでもあるし、原風景のところで取り上げたように、過去のさりげないシーンや心象風景であってもいい。

忘れていたわけじゃないけれど、たいしたことだと受け止めていなかったり、ちょっと感じよくないから見るのやめておこうと思ったり、そういった諸々のことが、あることをきっかけに再浮上して意味を持たせてくれることがあると、自分や世の中の見方・世界観がぐるりと変わったりするものです。

 

心理カウンセリングを始めようと、とある起業関連のセッションに参加したときのことです。各自が実施しようとしていることとその背景をそれぞれ述べ合い、ディスカッションする時間でのことでした。

私のいたテーブルは5名席で、「心のケア」「自殺者をなくす」といった言葉をキーワードをもとに、職場や家族、友人に心を病んだり自殺した人を知る方々が集まっていて、その方もその中の一人でした。SE(System Engineer)を職業にされていて、日々のハードワークが原因で鬱を患い、休職中だったと記憶しています。

銘々が経験と持論を展開し、その方の順番になりました。滔々と、今勤めている会社がどれだけブラックで、自分がどれだけ我慢して仕事をして、労災の申請で会社と協議中で、どれだけつらい思いをしているかを語ておられました。

当時まだ、私はカウンセラーとして経験の乏しい身でしたが、(これはかなり追い込まれているな)と感じたものです。発言を得た折、彼の状態がどれほど大変か、どれほどつらい日々を送っているかについてお伝えした後、次の質問をさせていただきました。

「どうしたらよいと思いますか」

その方にとっては、ある種『何をいまさら』的な問いだったと思います。なぜなら、彼にとっては、先述の通り、我慢して仕事をし、病になってからは労災の申請で会社と協議中で、いつできるかもわからない復帰のために病を治そうと必死になっておられるのです。やれることは全部やっている、と考えていたと思います。

ですが、さらによくよく伺ってみると、持ち家を持っていてローンがあること、奥さんもまた同じ会社で同じような状況に追い込まれていること、などがわかり、いろいろな意味で身動きが取れない(と感じている)ようでした。かなりまいっているようでしたが、そんな中にも言葉の端々に怒りの断片が滲んで感じられました。この後、周囲にいた人たちが親身になって意見を述べることになり、本来の目的そっちのけで別のディスカッションが行われる場に変わりました。

ここで述べたいことは、彼が縷々事情を説明された裏には、奥さんもまた自分と同じ状況に追い込まれて体を壊していたことへの怒りとそのやり場のなさについての感情が、その他の思考を硬直化させ、アクションに対する柔軟性を失わせていたということです。彼にとっては、きっとあまりに当然すぎる感情で、そこまで話を言及されなかったのかもしれません。あるいは、その怒りを認識することを意識下で避けていた可能性もあります。弱った心と体のまま、怒りを顕在化させて何らかのアクションを取る選択を避けたかった、と考えることもできるからです。労災もそうですが、お子さんがいらっしゃらなかったということで、金銭的な面に問題があるようであれば、持ち家を一度手放すという選択もあったように思います。もっとも当時の立場でそこまでお話することはありませんでしたが。

 

この話と比べると、気づかなさという意味ではまさにそのままの事例なのですが…。

多分に個人的なことで、お話しするのにいささか勇気がいる内容です。

私は少年の頃、怒りに我を忘れて、父を刺してしまおう思ったことがあります。普段から、怒りと嫌味で母に当たり散らして、家の中を暗くしてしまう雰囲気の父の態度に心底反感を覚えていた多感な時期だったというのもあったでしょう。その日、部屋に入ってきた母が泣きながら過去に父との間に合った哀しい出来事を聞くうち、父に対する凄まじい怒りが湧いてきてしまったのです。

結局、居間に父の姿はなく、家中を探しても見当たりませんでした。ばつが悪かったのか、母との衝突の後、しばらくして外出したようです。その日父は家に戻らず、戻ったときには私の頭の方が何とかクールダウンされた状態に戻っていました。もっとも、父は柔道をやっていて、私が突っかかっていったところで反対にやり返されてしまってはいたとは思います。

このシーンは忘れていたわけではなく、いつも記憶の片隅にその場を得ておりました。ただ、過去や現在の自分の受け入れが進み、父と母のことが好きだったのだと感じるうち、実行しないで済んでよかったと思うことはあっても、そ個までの解釈でした。この解釈が自分を貶めていることに気づいていなかったのです。理由はどうあれ、親を傷つけようとするとはひどい奴だ、何様のつもりだ、ということです。

ずっと後年、ある方との間でこのことについて話す機会がありました。内容が内容だけにおいそれと話すことができるわけでもなく、めったにないその機会に出来事の流れを述べたときのことです。

返ってきた答えは次の通り。

「それは、きれいなこと、だよね」

一瞬何を言われたのかわからなかった。

「確かに法律的とか一般道徳的にはよくないと考えられることかもしれないけど…。うまく言えないけど、でもお母さんを助けたい、お母さんを守りたい、という男の子の感情としてはこれほど純粋で共感できるものなんてないと思う」

その行動に対する解釈として、それ以上 “的確な”ことはありませんでした。そして、私はそのことに意図的に目をつぶっていしまっていた。そうしておかないと、その行動が正当化されてしまう、親の立場はどうなるのだ、という無意識の想いがあったからだと思います。

親には親の事情があったと今なら受け止められます。

彼らなりの生い立ちの中で培ってきた生き方によって、必死に私たち子どもを育ててくれたのだと感謝の念がとめどなくあふれてきます。そして、父と母がどれほど大切で愛おしい存在だったか、もっともっと伝えておけばよかったという後悔の念もあります。そのくらい、私は彼らのことが好きだった。

それは、あの時の私の“未遂”の解釈と共存する、共存できる想いです。

 

今日お話ししたかったことは、そういうことです。

 

ー今回の表紙画像ー

『川を渡る雲2』