原家族の問題が発覚して起きた混乱が
何とか一時的に落ち着いた頃、
家族とは、親とは、男とは、女とは、
こんなもんなんだ、という
(悪い意味で)の思い込みに
陥った時期があります。
『自分の家ではこうだった、
自分はこういう仕打ちを受けた、
それは物心つく前から
継続して行われたことだった、
だから世の中というものは…』
としていたわけです。
一歩離れてみれば、
大人になった後も、
与えられることが当たり前の
子供のような見方をしていたことは
一目瞭然だと思います。
子供と表現することは
頭でわかっていたとしても
その頃の私には許せなかったと思いますが、
私はその頃の自分とも
何度も感覚を重ね合わせて、
しっかりと共感できているので、
今はその頃の自分のことを自分で、
子供、と表現することができます。
のちに、心理の世界、
心のケアの世界に飛び込んで、
メンタルクリニックのミーティングや
心理カウンセリング手法の
体得の中で出会ったのは、
かつて自分がそうであったように、
家族に植え付けられた
モノの見方、受け止め方をベースにして、
世の中を見、恨み、憎み、
一番身近な人である自分自身を
蔑む人たちでした。
正直、いっぺんに共感してしまいました。
ここにいる人たちは、そのまま自分のことだ、
そう思いました。
その方たちのそれぞれの人生に何が起こったか、
それを考える前に、
その上位のメカニズムを瞬時に理解し、
その心持ちに共感し、
そして自分と相手のために
距離を保つことを心がけました。
私たちは、家族の中で生まれ育ち、
そこでモノの見方、受け止め方を学び、
そして内在化することを繰り返しながら、
世の中を見るようになり、
そうやって内在化した世界を
これから生きていく世の中だと認識して
社会に出ていきます。
それを別の角度から言えば、
私たち個々人がある特定の家族の中で
植えつけられ、醸成された
ある種特別な、
あるいは個性的な
世の中の見方というものを、
あたかもマジョリティがそうであるかのように
一般的なことだと認識しながら、
生きてしまっている、
とも言えるわけです。
内在化された世界が、
リアルな現実と大きくかけ離れていない、
そんな人であれば、
もしかすると苦しまなくて済むかもしれない、
そう思いますか。
反対に、
内在化された世界が
リアルな現実と大きくかけ離れた人は
生きづらいと思いますか。
実際には、生きづらさは
内在化された世界とリアルな現実との
ギャップの大きさも関係しますが、
さらに、そのギャップに対して
変化を拒むことが助長します。
よく言われる守破離のように、
私たちが家族の中で培い、
内在化した世界は、
この守の部分にすぎません。
社会に出た自分がこれから自分の人生を
生きていくためには、
そして生きづらさを乗り越えるためには
次のステップである破を
念頭に置いて
目の前に現れる問題を
単に変なもの、
自分の考えと異なるおかしなもの
と受け止めないで、
対処していくことを
心がける必要があります。
そのためには、内在化された世界を
一般化してしまうこと、
守と破を混同してしまうこと、
それが自分を苦しめていることに
気づくことが必要です。
それが大人であるということでもあります。
残念ながら、そんなことを教える場は
家庭かそれに準じた場所しかなく、
多くの人が何かがおかしいと感じつつ
魂の成長を停止してしまっていることが
少なくありません。
慣れ親しんだ世界を
切り捨てたり修正したりすることは、
痛みを伴います。
そして、家族の中で植え付けられた理由が
時に、その痛みを回避して、
自分の世界に凝り固まったまま
自分は間違っていない、とし、
世の中を批判し、恨み、
返す刀で自分を蔑み、
ひきこもり、
時に強引に人生を終わらせてしまう、
そんなことをしてしまいます。
そこまで意固地に固まる現況に、
生まれ育つ中で、
どんな被害を受けたのでしょう。
きっとつらく哀しいことがあったのでしょう。
本当によく生きてこられたと思います。
だから、まずは自分を抱きしめてあげてください。
この体得こそが、
かけがえのない自分を生きる最大の力です。
その上でですが、
今あなたが見ている世界、
あるいはその見方、感じ方、
それ、一般的な解釈『ではない』ですよ。
間違いなく違います(変な言葉だ)。
あなたがそうだったこと、そう感じたことだから
否定する必要なんてありません。
でも、それが万人にとって
この世のすべてなどということもまた
全くありえません。
それやってるうちは、あなたは被害者のままです。
結局、自分を痛めつけ続けることになります。
そこからの脱却は、
自分の過去と
自分が見る世界が内在化されたものであること
それが決して一般的な世界ではないこと
リアルな世界ではないことに気づき、
そんな見方こそが、
自分をいたぶり続けていること、
そこに気づいて変えていく必要があります。
自分を受け入れることは、その第一歩です。
人生はいつからでも変えることができるのは
そんな理由からです。
ー今回の表紙画像ー
『月と木星?』
昨日の続き。昔から、夜道に灯る電話ボックスの灯りとお月様の明かりの対比に妙に惹かれました。ちなみに写真は電話ボックスじゃないです。今時見かけませんよね。
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