古いメロディ

日々の棚卸

物心ついた頃から覚えている一つの光景。

父方の祖母のこと。

朝晩と仏壇に向かって経を読んでいる。

イワシの頭も何とやら、ではないけれど、

それをするとどうなるの?

何がいいの?

という子供ながらの素朴な疑問はともかくも、

祖母は若干の抑揚をつけて

日課の経をむにゃむにゃと読み上げていました。

遠い昔、まだ私が小学生の頃、

毎年お盆の時期に、父の田舎である

香川県の僻地に行ったときのことです。

 

今ではとてもめずらしい

貧乏人の子沢山の典型だった家で生まれた父は

8人兄弟の末っ子で、

祖母は何と明治最後の年の生まれ。

子供は、最初の6人が全て女で、

最後の2人が男、

父は祖母が高齢にして産んだ男の子で

とてもかわいがられたらしい。

ことに祖母は年が行ってからできた男の子ということもあって、

当時としてはずいぶん甘やかして育てた(とは某親類の言葉)。

そんな祖母の日課であり、ライフラークでもあった経。

 

孫の私が祖母と過ごした時のルーティーンはこんな感じでした。

まず、朝6時に家を出て、

近所にある千体仏に行きます。

普段そんなに早く起きる(起こされる)こなどないのですが、

起こされれば起きるもので、

先を歩く祖母の後ろから一人、

眠い目をこすりつつ、

なぜ私だけが一緒に行くのだ、

というささやかな疑問とともに

のそのそとついていきました。

建ち並ぶ民家の連なりが途切れるところに

少し入り組んだ集会所みたいな場所があって中に入ると

大小様々な大きさの木彫りの仏様が

千体(かどうかは数えてないからわからない)ほど、

雛壇みたいに並んでいて、

そこに立ったまま数珠を片手に

経を読み上げるのです。

帰ったら今度は家の仏壇にお祈りしてました。

妹は相変わらずぐうぐう寝たまま。

仏壇には夕飯の前にも経をあげて、

一日に計3回お参り?しました。

祖母からは経典を渡され、

最初は漢字の横に書いてあるカタカナを

ひたすら読み上げていました。

私は特に仏教徒というわけでもないけれど、

半世紀生きた今でもそういうわけで

経典はそらんじることができます。

ぶっせつまーかーはんにゃーはーらー

みーたしんぎょうかんじーざいぼう

さつぎょうじんはんにゃー……………。

 

祖母は私の知る限り、本当に毎日飽きもせず、

口の中が乾くとチッチッと音を立てて湿らせ、

のどを鳴らすように抑揚をつけて経典を読み上げ(というか諳んじ)、

どこで鳴らすのか当時はわからなかった鐘を

チーンと鳴らしました。

木魚は置いてなかったと思うけど、

お祈りの前にはご飯を仏壇に供え、

蝋燭を灯し、

お香に火をつけました。

祖母は、飽くことなく、熱心で、

ある意味とても自己陶酔的に見えました。

そんな姿を横目でチラ見しながら

本当に不思議な気がしたものです。

そんな祖母は、私が大学を出た頃の

もっとも混乱していた時期に癌で他界しました。

その後、彼の地を訪れたことはありません。

 

いつも書いていますが、親・家族のことで、

長い混乱の間、自分を卑下してきました。

その間違いというか、そのバカらしさ、無礼さと、

自分という存在が今ここにある奇跡、

ありがたさ、かけがえのなさとに気づいた後は、

あらゆる自分を受け入れ、慈しんで生きることを心がけ、

自分を取り巻く存在や時間の流れが

徐々に自分とともにある感じがするようになりました。

一番の味方はもちろん、内在化された自分そのもので、

苦労や乗り越える壁が消えることはないけれど、

自分と相談して切り抜ける術と

快感、肯定感を獲得できたと思います。

そうやって自分自身の受け入れがすすみ、

原風景を蘇らせる素地ができてきたことで、

五感を介したいくつもの心象風景を獲得したが、

その中にはメロディを介したものもずいぶんあります。

原風景を蘇らせる素地、土台を再構築するのは

人によっては非常に根気とある種の痛みを伴うことですが、

それが整っている人にとっては、メロディをつたって

蘇る風景というのは比較的身近なものかもしれません。

 

私の世代の方はよくご存じのように、

昔、音はカセットテープという磁気テープに

記録されていました。

この間家電量販店に行ったら、なんとプレーヤーが売ってて、

まだ需要があるんだと妙に感動してしまったものです。

 

私の手元には、父が持っていたとてもクラッシックな

カセットデッキがあります。

ラジオと、カセットテープへの録音、テープから再生

の3つの機能しかありませんが、

サイズは小型のトートバッグくらいあります。

重いし。

父が最後に暮らした部屋から

周辺に散らばっていたいくつかのカセットテープ共々

持ってきたものです。

現実感が希薄に感じたまま、うっすらと

なぜこんなものを今も持っていたのだろうと思いつつ、

気が付いたら手にして持って帰っていました。

そんな超前時代的な電気製品のデッキ。

まだ、マイク付きのプレーヤーが主流だった当時、

テレビから流れてくる歌に

マイク部分を向けて録音するのです。

録音中に子供の私と妹がちょっとでも物音を立てると、

父は烈火のごとく怒ったものです。

録音終了のボタンを押した後ですが…。

ポチっと録音終了のボタンを押した後、

「うるせぇー、余計な音が入っただろうがぁーっ」

と怒声が響くわけです。

当時は怖かったし、

嫌悪していた頃はトラウマのもとだと思っていたこと、

そんなことさえ懐かしく感じられるようにはなりました。

 

持ち帰ったまましばらく部屋の隅に放置していた

カセットデッキと7本のテープ。

ある時、思い立って聴いてみることにしました。

耳に届いたのは、40年前、まだ私がちび助の頃の

ヒット曲メドレーでした。

音はくぐもり、CDとはくらぶべくもありませんが、

ふと、テーブルを囲んで家族でテレビの歌番組を見ていた

子供の頃の情景が思い浮かんできました。

何を考えるでも疑うでもなく、ただ居間のテーブルを囲んで

皆がテレビ画面の映像とそこから流れてくる歌に耳を傾けている

ただそれだけのシーン。

私にとっての原風景の1つです。

きっと、その歌を聴いたことも

その時代を生きたこともない人からすれば、

という以前にその歌が喚起するシーンが意味を感じなければ

なんと古臭くて陳腐なメロディなんだろうとだけ

思われるかもしれなません。

でも、その空気を取り込んで生きていた記憶を持つ身には、

そのまま自分を許し、

受け入れてくれる空気を思い出させてくれるものです。

時代が移り、

技術が発展し、

音も歌詞も磨かれ、

日々、新しい歌が生まれ、

変わり、

それを聞く人が変わり、

また時代が移ろう。

変わらないのは、

いつだって彼が彼女が彼らなりの言葉とメロディと仕草と声で、

愛をうたい続けていること。

 

夫と死別して、

必死の思いで8人の子を育て上げる過程で

もしかすると祖母は

経にそんなものを見出したのかなと思ったりしました。

それをしたから何になるわけではないかもしれない。

でも、自分が大切なもののために、

心と体を張って生きてきた祖母。

彼女が朝な夕なに読み上げ続けた経には、

ちょうど私にとっての父が残したカセットデッキから

流れてきた懐かしい曲と同じような響きがあったのかもしれません。

 

それほどに、祖母は愛着を持って経を読み上げていたように

今では感じています。

 

そんな思い出が、今も自分の中に根付いてくれていることが

とても嬉しい。

 

ー今回の表紙画像ー

『朝の散歩コース 公園の花壇』