その想いは何も変わっていない

日々の棚卸

故郷とつながりのある人はどれくらいいるでしょうか。生まれてからずっと同じ場所で暮らしている方にはそこが故郷だし、離れて暮らしている方の中には、ずっと遠ざかったままの方もいらっしゃると思う。中には、もう思い浮かぶことがない遠い記憶となって、特に興味もない方もおられるかもしれない。

今日は故郷を出るときの想いについて書いておきたい。

 

家族がバラバラになったり、肉親が自死した直後は随分自暴自棄になった。アルコールが増え、人の関係がおかしくなり、何より自分自身に対して繰り返しダメ出しをしていた。

それが徐々に影を潜めるようになったのは、かけがえのなさを自らの内に感じられるようになった頃からで、今はそういった状態が遠い昔のように感じられる。

ただ、もちろん日々の小さな気分の抑揚はおきる。どん底は遠い日になったけれど、何かの折にふれて、落ち込むことはもちろんある。

 

そんなとき、思わず、家族がバラバラになった、父が死を選択した、母がおかしくなってしまった、哀しいあの日々から、実は何も変わっていないのでは、と思ってしまう。

 

家を出た日の記憶がよみがえる。

 

「オレは、家を、家族を、父や母を捨てるんじゃないぞ」

家を出た日、列車の車窓を流れ出す街並みを見つめながら、誰に言い聞かせるわけでもなくそう自答を繰り返した。

 

家を出るとき、願ったこと。

自分が新しい場所へ向かう理由。

もちろん自分の成功への願いもあった。

けれど、その根っこには、自分と家族の幸せを確かなものにすることだったはずだ。

 

自分が頑張ること、何かを達成することで、自分ばかりでなく、苦労してきた両親の幸せも確かなものになる。

その捉え方は、心のことを学んだ今からすれば随分無茶なもので、他者に対する愛の力の無力という、大きな勘違いではあったけれど、一方で自分が動く原動力にもなっていた。

 

残念ながら父は自ら世を去る選択をし、母もまたそれに類するプロセスを経て体を痛め、そのまま帰らぬ人となった。

カウンセラーによっては、彼らは彼らの世界の中で幸せだったんだよ、と言う方もいる。だから君がそれを悔いても仕方がない。

無下に反論するつもりはない。

一方で、どこかにまだ自分ができたことはなかったろうか、と、いささか危うい夢を見るときもある。それは、自分の成長なくしては現実にすることができない類の望みなのだけれど、今ならお金もコミュニケーションももう少し別の対応ができたのではないだろうか、と思ったりもする。

親が子供の幸せを願うように、子供もまた親の幸せを願うのだから、その想いが湧くこと自体はしかたがないことなのだろう。

 

それがダメだった、と受け止めた時、家を出るときに願った、そして自分が何とか達成しようとしていた想いが叶わず消えてしまった、そう思い込んだ時、日々の気分の落ち込みの中に次の言葉を導いてしまう。

 

結局、何も変わらず、何も変えられなかったのでは。

ずっと同じ場所であがいていただけだったのでは。

 

母が倒れて東名高速を往復する頃から、生まれ育った町へ足を向けることが増えた。すっかり変容した町並みに一瞬、故郷の喪失を覚えたりもするが、街角や昔からある店、路地裏などの片隅に見覚えのある心の原風景を見つけるたび、その感覚は消え、別の何かが琴線に触れる。

本当に、幸せはなかったのか、と。

自分の原風景と自分が生きてきた道筋をたどり直し、その間に苦しんだ願いに想いが至ってようやく、その想いにたどり着く。

 

何も変わってはいない。

その通りだ。

だが、変わっていないのは、不幸な日々、不幸な過去、不幸な人々のことではない。

家を出た時、いや、それにつながるずっと幼いころからの想い。自分を、家族を、自分の大好きな人々を、世界を、幸せなままにする、そして自分も生きる。大切な世界と人々と周囲の様々なものを愛した自分を原動力に、生き続けること。

変わっていないのは、その想いなのだ。

何のことはない。これまでだってそうやって生きてきた。自暴自棄に陥った日々も、何も変わっていないと不幸にまどろんだ時間も、そこから出てもう一度かけがえのない自分を歩みだしたことも、あの家族の一員として生まれ育って自分が感じ取っていた幸せを感じた領域を、様々な形で未来へ向けて確かなものにつなげていく、そのプロセスだったと思う。

故郷に限る必要なんてもちろんない。今生きていて苦しいということは、見つめ直すべき時間が眠っているということだ。自分が自分であることが当たり前の日々を生きる上で、今の自分を肯定するシーンをもう一度思い描くことだ。それはそのまま未来への想いとなり、あなたの行動を規定し、より豊かな時間を醸し出し、さらに一体化した自分でいられるようになるはずだ。