開けない心だけど、それでも少しずつゆっくりと開いていこう

日々の棚卸

 

イソップ物語は、多くの方が

子供の頃から知る話の一つです。

中でもアリとキリギリスの話は有名で、

子供の頃は

アリのまじめな働き方や

蓄えを作る生き方を

見習うように教育されます。

家庭や企業などでも、

基本的に同じですね。

コツコツやれ。

確実にやれ。

まじめにやれ。

なんて。

 

ですが一方で、

キリギリスの持つ

楽しむためのバイタリティや、

メロディに聞き入る人を幸せにする音楽などに

焦点を合わせて

素晴らしいという意見を、

特に大人になってから

よく聞くようになりました。

これは、バブルが崩壊して、

会社の寿命が短くなったり、

リストラで人を切ることが

当たり前に行われるようになったり

したことも大きいと思います。

コツコツとまじめに生きようにも、

その大前提が崩れてしまった時、

寄る辺のない状況の中であっても、

自分なりに豊かに楽しく生きる術を

持っていることの素晴らしさが、

見直されたのですよね。

 

諸行無常。

万物は流転する。

行く川の流れは絶えずして元の水にあらず。

 

昔から、変わらないものはない、

ということを

今も多くの偉人さんたちが

言葉も表現も変えて伝えています。

 

かなり昔の話ですが、

IBMの研究所に勤めていて

リストラされた研究者の話が

紹介されていました。

年収1千万円でしたが解雇され、

奥さんのパートの収入で

生活している、という話です。

米国のIBMと言えば、

当時は知らない人はいない

世界的な巨大企業で、

終身雇用の典型の企業でした。

米国でも終身雇用は

普通にあったんですね。

しかしその様相を、

日本とアジア勢の進出が一変させた。

 

北風と太陽という話があります。

これもまた、とても有名です。

どちらの力が強いか比べるため、

旅人のマントを脱がせた方が勝ち

という方法を取ります。

ご存じのように、

北風が冷たい強風を吹き付けるほど、

旅人はがっちりと

マントを握って放しません。

反対に、

太陽がポカポカと

温かい陽光を投げかけると、

旅人はマントを脱ぎます。

無理やり人を変えようとしちゃいけないよ、

という逸話として聞いた記憶があります。

私が子供の当時は

まだそれと矛盾するように、

様々な規制が働き、

大人や学校からの強制的なルールが

跋扈していました。

それがいいとか悪いとかが

ここでの話ではありません。

 

私たちが行き詰る時、

動けなくなる時、

そこにはある種の強制性に対する

心身の拒否が発生しています。

これ、つまり心身に対する強制性が

一定期間続くと、

心を病み、

体にも影響が出て、

本当に動けなくなってしまうことがあるので、

常にケアを行う必要があります。

優しい言葉。

自分への寄り添い。

一緒に泣き笑いする。

どんな時も自分は自分の味方であることは

とても大切なことで、

それを忘れずに生きることができれば

大抵のことは何とかなるものですが、

けれども、人間追い詰められてしまうと、

往々にして自分をいじめるようなことを

やってしまうので、

この場に限らず、このような

メッセージともコメントともつかない話が

必要になってくるのだと思います。

 

まず、休んで、自分を受け入れ、

そこから芽生える温かな肯定感をもとに、

もう一度自分自身を生き始める。

 

でも、そんなときネックとなるのが、

自分に対する温かさとは別に、

他者や世の中に対して

心が開かない、

心を開けない、

という状態です。

これは私も経験したし、

ずいぶん困りました。

自分の納得する人生を生きようと決意し、

実際に取り組み始め、

様々なことに取り組みだすと、

最初に気づくことの一つです。

自分なりに自分を受け止めて

生き始めたつもりでしたが、

どうにも社会に溶け込んでいけない。

それなりに接するようにはなったけれど、

何だか違和感が大きくて

これまでよりも苦しくなってしまった。

 

そんな時、こう思ってみて下さい。

全く心を開けないわけではなくて、

開き方が小さいだけなのだ、と。

それは最初の、当たり前の状態なんです。

そして同時に、

太陽の温かな光だけが大切なのではなく、

自分が吹き飛ばされない程度の北風による

強制性に耐えられるだけの自分も、

すでに獲得しているし、

強化していく必要もあるのだ、と。

優しさの中に、ほんの少しの決め事を

混ぜてみるんです。

ただし、あくまで、

かけがえのない自分を生きるんだ、と

決意した後のことですよ。

優しい言葉、肯定、

自分に寄り添うこととセット

行ってみてください。

 

画一的にある一つの考え方に固執せず、

自分を受け入れた上で

試した方がいいことは少なくありません。

画一的な生き方のゆえに、

苦しむ自分、行き詰る自分ができてしまった。

そこに親やルールからの逃れられない

強制性が働いていたことを思い出して、

またか、となるのではなく、

もうそんな状態に対して

おかしくなることはない自分になっている、

そしてこれから益々強化していく、

ということなのです。

心は少しずつ開いていきます。

それは、時間に対してもそうだし、

人に対してもそう。

慣れもあれば、個人差もあります。

ですが、アップダウンを繰り返しながら、

気がついたときには

他者に、社会に、そして自分自身に対して

フランクに接する度合いが増していることに

ある時気づきます。

三寒四温という言葉がぴったりきます。

 

少しずつ、少しずつ。。

こればかりは、休みをうまく交えながら

あきらめないで続けることです。

 

ー今回の表紙画像ー

『氷川丸』

変わらないな。気がつかないだけかな。