私たちが生きる世界の広さと可能性は、自分が苦しむ世界を出た時に実感する

日々の棚卸

 

1.今生きている世界がなんだかおかしい

こんな話を伺いました。

『どうしても、仕事の内容が頭に入ってこないんです…』

事務の仕事の一つで、自社の試作品の輸出用の書類を作成する業務なのですが、2回聞いても3回やっても覚えられないのだそうです。

(そういうの、確かにあるなあ)と思いつつ、メモを取っているか尋ねてみると、メモは取った、しかし今度はそのメモを取ったことを忘れてしまうというのです。それも、手書きのメモ、電子メモ、果ては録音まで試みたとか。。。

日々の膨大な業務をこなす焦り、今の仕事を続ける限りこの瞬間が永遠に続くのかと言う絶望感にも似た感覚が、記憶を取り出す余裕さえ失わせてしまっている。

こうなってくると、そこにあるのは仕事がうまくいかない怖れ、仕事を失う怖れ、時間に追われて己を見失っている怖れ、そういった怖れだけです。

これを変えない限り、怖れに支配された人生に追われ続けることになってしまいます。

 

2.あがいてはいるけれど変化しそうにない

一方で、好きなことを仕事にしよう、とよく言われます。

お金や世間体に囚われないでと。

確かにその通り。でもそれを実現できているかと言えば、なかなかそうもいかない現実がありますよね。

食べていかなきゃ。

自分の力で生活していかなきゃ。

家族を養わないと。

やっぱり多少の見栄はあるかも。

 

今日もまた膨大な量の業務をこなすことに追われながら、自分が望む生き方・働き方を模索している、…つもりだけど、変化はそうそう起きそうもない…。

仕事で求められる質は高くなることはあれ、楽になることはなさそう。

楽しめと言うけれど、どうあがいたところでそれもできそうにない。

心の余裕とか生きがいと言う言葉を唱えるだけでは、ほぼ八方塞がりの状態になってしまっている…。

 

3.試してみよう

2つ試してみてください。

当たり前のことですが、なかなか実践しておられる方は多くないようです。

 

(1)優先順位をつけること

優先順位にも2つあります。

そのうちの1つが、自分の好きなことをできる時間を意識的に確保して、その時間は自分の好きなこと、試してみたいこと、目指していることを最優先で行う、ということです。

当たり前に聞こえますか?

ほんとにそうしていますか?

雑事や食事やネット動画やお酒やそういった物事にかまけて、新しい世界へのトライアルを後回しにしていませんかということです。食事は栄養のバランスのよいものがいいでしょう。でも、そこにかまけて試すことを後回しにする理由はありません。ほんの少しのはずが得に見るつもりもないテレビをダラダラと見続けてリラックスと称するなら、好きなことを試みながらの方がよほどリラックスできるのではないでしょうか。しかも、その継続は、仕事だったり、友達だったり、恋人だったり、かけがえのない趣味だったり、そういった新しい未来とつながる可能性をも運んできてくれます。後回しにする理由は何もないんですよね。

さて、もう1つは、当然ながら、生活を支える仕事における優先順位です。現在抱えている仕事に割り当てられる時間を決めることです。最低限の時間が割かれるのは仕方がないでしょう。コロナ禍ということで生じる事情もあるでしょう。

ともかくも、こなすべきto doについて、優先順位が高いほうから限られた時間内で対応可能な業務、こなすべき業務をアウトプットの形までイメージして決める。1から10まで完璧にこなそうとしないと決める。できるところまで、その時の精神状態で可能な精一杯で行い、時間が来たら人目を気にせず引き上げる。

 

私たち一人一人に平等に与えられた時間をどのように使うか。

難しく考える必要はありません。

 

ただ、日々コツコツとやることをこなす。

日中の仕事は、首にならないようにはしましょう。

終身雇用が崩壊して以来、多くの企業で人員整理と言う名の実質的な首切りが行われるようになりました。

そんな中で張り詰めすぎず、緩めすぎず、日中の業務を片付け、捻出した自分の時間を、自分が求める新しい世界のために割り当てて、確実に実行していく。目を血走らせて、とか、気合を入れて、となる必要はありません。

 

(2)自然に触れること

自然と言っても、山奥や原生林や大海原に出かける必要はありません。個人的にはそういうのも好きですが、必要なことは私たち人間の頭で作り上げた世界の外側にあるものと、感覚を触れ合わせることです。

街角の花壇でも木々の枝にとまる小鳥でも、町はずれを流れる川の水やそこに生きる魚たちでもいい。意識し、見つめ、愛で、採取したり、飾ったり、匂いを嗅いだり、憩いの場を作ったり、ピクニックに出かけたり、自分だけの場所を見つけたり、新しい趣味を始めたり…。

 

そして、これは忘れられがちなことですが、望むらくは多少なりとも人と触れ合えるといいですね。私たち人間は自分がどう捉えているにせよ、まさに自然の一部ですから。

結婚されていたり、恋人がおられる方は、話をし、体に触れ、ゆっくりと過ごす時間を設ける。気の置けない友人がおられる方は、話をする時間をとれるといいでしょう。ですが、私たちが出会う人、町で顔を合わせる人と、意識してちょっとした挨拶や会話をすること“の積み重ね”は、実はもっとも大きな影響を得られるものです。

 

そうそう、余談と言うわけでもありませんが、自然の一部である私たちの体を健康に保つため、睡眠だけはしっかりとってください。

 

4.世界が変容する

そうやって、2つのことを自分のペースで行いつつ毎日を送るようになれば、変化が現れます。

今の仕事で変化が起きるかといえば、それはわかりません。

しかし、日々取り組むことで明らかに変容することはあります。

最初に、意識です。感覚です。胸の奥底のかすかな疼きのようなものを感じるようになります。

自分を苦しめていたはずの人の関係が変化します。

仕事の成果が、仕事の質が、仕事の内容が、変化します。

公私にわたって、心がなんだか静かにウキウキしだします。

 

これらはどれも、そうなって初めて“わかる”ことです。

最初に、こうやって、こう振る舞って、こう考えたら、結果としてこんなことが得られるかな、と“計算=Simulation”の上で実行しようとしても、誓って言いますが、間違いなくうまくいきません。

今の生活で生じる苦しさ、生きづらさは、それらが行きつくところまで行きついているのであれば、その生活の延長上には、自分が求める未来がなくなっていることを示しています。

努力や頑張りや自分以外の誰かの評価にずっと自分の価値をゆだねて生きてきた人には、必ずと言ってもいいほど“その時”がきます。もし来なくても、家族や周囲の身近な人が追いつめられる状況になります。

 

ここまでお話ししてきたことは、その限界と無理に気付いて、今いる世界から出るために必要な、自分と自分の時間とを大切にする方法です。先を意識することなく、そうやって自分を大切に生きてくると、世の中は変わらざるを得ないのです。なぜなら、世の中が変わるのは、結局自分の無意識の産物だからです。無意識の変化が、言葉、声、モノの見方、振る舞い、受け止め方、接し方、心の動き、そういった自分に付随した一部の変化を自然にもたらすためです。

 

そうやって、苦しかったはずの世界を感じなくなった時、それはそれまで生きてきた世界の外側に出た時です。

意識して得られる世界ではないけれど、必ずあります。

なぜならそれは、私たちの中にすでに宿っている世界でもあるからです。

自分の中に答えがあるというのは、そういうことだと思います。

 

ー今回の表紙画像ー

『チューリップ咲いた』