不調…。
良くない響きですね。
自動車や家電のことではないです。
あなたの不調のことです。
体調が良くない。
気分がすぐれない。
不愉快だったり苛立ったりする。
楽しくない、楽しく感じられない。
不安になる、怖くなる。
体が動かない。
そんな時もあるよ、という
達観した見方は大切で、
それで済むならそれに越したことは
ありません。
実際、深刻に考えすぎてしまい、
本来さらっと流せることを
問題にしてしまうこともまたあるからです。
だから、楽観的に受け止めて済ませる、
ということを体得しておくことは、
自分が納得する人生を生きたいなら、
必ず、と言っていいほど必要です。
でも、そうも言っていられない状況が、
“繰り返し”起こることもまた、
“その世界”にいると、ままあるものです。
そうなると、
放っておくわけにもいきません。
そんなの関係ねえ、と
気合で押し殺してしまったり、
なにか、調子悪い、と
ふて寝をすることだけを、
何度も続けてしまううちに、
生活そのものが
おかしくなってしまうからです。
★
Manic Monday:憂鬱な月曜日という
よく知られた言葉がありますよね。
サザエさん症候群と言ってもいいでしょう。
明日から会社だ、という日曜の夜になると、
憂鬱になってしまう。
このことそのものをして
不調と言っているわけではありません。
ただこれが、明日から会社だという
嫌な気持ちを誤魔化すために、
毎週日曜の夜に深酒して体を壊し、
月曜の朝には動けなくなる、
ということが続くなら、
これは立派な?不調の部類です。
ただ、このような分かりやすい事例を
今回取り上げたいわけではありません。
不調とは、あなたに固有のパターンで
あらわれる症状をさしています。
①特定の“類”の人と接するとき
不快な気持ちに見舞われ続ける、
そんなことはあるでしょうか。
“類”とわざわざ入れたのは、
雰囲気や気質など、
特定の誰かとしてくくることが
できないことがあるからです。
例えば、ミスをすると、
黙ったまま睨み続ける上司だったり、
例えば、気に入らないことがあると、
仕事に必要な情報を遮断する先輩だったり、
例えば、話の疎通が
全く成り立たない年配の女性だったり。
どちらが正しいとか間違っている、
ということは関係ありません。
ただ、
取って食われるわけではないのに
なぜだか調子がおかしくなってしまう。
単に馬が合わないですむことでしょうか。
簡単に答えが導き出せるでしょうか。
何よりそのことにきちんと注目して、
対処する必要があると認識できて
いるでしょうか。
一度振り返ってみてください。
②特定の状況に置かれると、
頭が真っ白になったり
焦りでパニックになったりして、
何もできなくなってしまう、
そんなことはないでしょうか。
例えば、朝一で大事な会議があって、
ぎりぎりに出発したら、
電車が遅れていて間に合わないとわかった時、
例えば、カバンに着けておいた
お気に入りのストラップが
気がつくとなくなっていた時、
例えば、これから続く仕事の重さを
想像して耐えられそうにない時。
なぜでしょう。
そこまで思考(と体)を凍らせるほど
ショックなことなのでしょうか。
その奥に、あなたをそうさせている、
何かの感情がありはしないでしょうか。
③特定の楽しみがいつの頃からか、
楽しくなくなってしまった、
そんなことはないでしょうか。
例えば、趣味で作っていたクッキー作りが
いつの頃から面倒くさくなっていた、
例えば、人と一緒に遊びに出かけることが
億劫、というより嫌になっていた、
例えば、趣味で描いていた絵画が
そんなことして何になるんだ、と
思うようになって描かなくなった。
単に飽きたからでしょうか。
他に楽しみを見つけたからでしょうか。
それとも、楽しいという感覚を奪うような
何かが起こった、あるいは思い出された、
ということなのでしょうか。
★
私たちは、現状を維持しようとすることを
無意識に行うようにできています。
それ自体はおかしなことではありません。
しかし、
不調を呼び起こすという意味では、
そこにはカラクリがあって、
現状維持が心身の状態より優先され、
本来備わっているセルフケアの働きを
犠牲にしている、
ということがあります。
不調自体に気がついていなかったり、
気がついていてもたいしたことないと
思ったり、思い込もうとしたり。
現状維持の中には、
仕事に行って成果を出し給与をもらうこと、
夫婦、家族というフレームを維持すること、
見た目や世間体を維持すること、
人の上に立とうとし続けること、
自分の家を持つこと、
名声を得ること、
など、社会的な価値に基づくことが
多くあると思います。
不調が長く続く、ということは、
どこかで何かと折り合いがついていない、
ということです。
だとすると、
誰が/何があなたを
そうさせているのでしょう。
あなたにとっての社会的な価値は
どこからきているのでしょうか。
何よりその、現状維持バイアスに
気づいているでしょうか。
そんなものはなくて、
自然体でやってるから問題ない、と
言い切れるでしょうか。
あなた以外にも多くの人が、
気づかぬままに不調を押し殺して
今日も生きているように私には見えます。
気づき、という言葉は、
自己成長を実現するために
求められるものですが、
気づきの中には、今回お話しした
あなた固有の不調、
そしてその背景を知ることも
求められるのではないでしょうか。
★
自己成長には、何度か紹介させていただいた
平安の祈りが一つの基準として効果的です。
変えられないものは、
落ち着きをもって受け入れ、
変えられるものは、
勇気を持って変える、
そしてその二つを賢く見分ける。
最初に述べたように、
一過性だったり突発的な不調は、
誰にでもあるものです。
その時には、休むなり、自分をなだめるなり、
気合と気概で突き進むなり、
方法があるでしょう。
ですが、あなた固有の不調があって、
それが人生の歩みそのものに対して、
重りのように足かせになっているなら、
気合と気概より、
気づきと洞察がまず先です。
自分を慈しむという、
自分が納得する人生を生きるためには、
不調に気付き、適切に対処することは、
欠かせないことです。
不調があなたの生き方の無理を
知らせる警笛であるのなら、
それは今を体現するあなた自身の生き様を、
伝えてきている“大切な”あなたの一部
なのでしょう。
症状がメッセージなのだから、
私たちの体も心も、本当によくできている、
そう思いますね。
ー今回の表紙画像ー
『雨中の川』
ここのところ続けて川に出かけている。
川は小雨で、岸向こうの山には低く雲がかかり、そのすぐ上には厚い雨雲。
…などというのも嫌いじゃないです。
ときどき無性に食べたくなるもの、マカロニサラダ。
夕飯にアサリのボンゴレパスタと共に。
グルテン漬けだな。。。
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