何度か、被害者面、被害者意識について
述べたことがあります。
被害を被ることは嫌なことであり、
しっかりと対処すべきだけれど、
『我こそは被害者なり』を地で行って
戦いの道具にしたり、
その位置に安寧することで
自分の隠れた怒りや憎しみを放出するような
ことをしないようにしよう、
結局その在り方こそが、
自分と自分の大切な人(伴侶や子供)の
人生をも蝕んでいきますよ、と。
これは裏を返せば、相手に加害者意識を
植えつけることでもあります。
立場の弱い人がよくとる戦法のようなもので、
家庭、隣近所、会社などで
多くの人がやっています。
隠れた悪意があってそうする人もいれば、
その人なりに譲歩を重ねた上で
そう行動している人もいます。
ほんとはそんなことしなくても、
個々の問題ごとに解釈はあると思うことも
傍から話を聞いていると、多々あります。
人は、自分のおかれた位置、地位ごとに、
長い時間をかけて
様々な“戦い方”“抗議方法”“反論”を
生み出してきました。
弱者と呼ばれる立場にある人がとる方法が、
相手を加害者に仕立て上げる方法です。
世論が正常に機能すればこそ、
時に大きな力を背後に得る可能性があり、
それを頼りにするわけです。
これは実は人だけでなく、
国家間の政治的・経済的駆け引きでも
しょっちゅう行われていますよね。
スポーツでもあります。
サッカーの試合を思い出されると
ピンとくるでしょう。
相手に反則のファウルを受けたとして、
転がりながら大げさに痛みをアピールする選手。
海外の選手のゼスチャはすごいなと思いながら
子供の頃から見ていましたが、
最近は日本の選手もやったりするのかな。
ちなみに、ファウルを受けてもいないのに、
あたかも受けたように演じて
審判を騙すことは、
シミュレーションという
反則行為の一つとして
罰せられます。
人の関係で厄介なのは、
意識せず、それ以外の理屈はない、
として、
自分を被害者だと決めつけて、
相手を加害者に仕立て上げようと
躍起になる人がいることです。
その人の中で、
正義は我にありが唯一の現実で、
自分は精一杯対応したけれど、
相手が悪い、
それ以外の意見やコメントは受け付けない、
という信念にも似た解釈を抱えている。
それも、その時々で導いた解釈ではなくて、
最初からありきの戦法だったりすることも
よくあります。
実はそうすることで、
どれだけ自分の心身が既に蝕まれていても、
頑固に変えようとしません。
被害を受けるのは避けたいし、
受けてしまったのなら
自分への対処、相手への対処、
社会の仕組みがあるならそれへ
対処しなければならないのは
当然のことですが、
その場に感情的に長くとどまることの愚は、
やがて自分に跳ね返ってくるのだから
早く脱したいものです。
何だかさらりと書いていますが、
跳ね返ってくるもの=代償は
やり方の程度がひどいと、
人生全体に及ぶほど大きいことも
少なくありません。
一方で、加害者に“される”ということは、
被害を受けることに他なりません。
法的に決まっていたり、
明らかにおかしいというのならともかく、
一方的に加害者である、というのは
日常の中で実はそれほど多くないはずです。
互いに、
譲歩するなり確認するなりしていけば、
実はトラブルを結構防げたり、
緩和したりすることができるものも
多いと思います。
もちろん中には、それがうまくいかないことも
当然あるでしょう。
加害者にされるときに厄介なのは、
相手は自分が被害を受けたと思っているし、
それも通り一遍では済まない
甚大な被害を受けたと徹底的に
思い込んでいることです。
よくよく探っていくと、
その抗議、怒りは、今回のことと
何の関係があるの?
とか
そこまで極端に怒り狂うこと?
ということも、ままあったりします。
本来ぶつけるべきところ、
例えば、会社の上司とか、夫とか、親とか
へぶつけないで
自分の中にため込んだ感情が、
出やすい場所や
出しでも自分がダメージを被らない相手
(そんな相手など本来いませんが)
に向けて放出されるんですね。
ですが、
加害かどうかは
時にその人の価値観によってさえ
変わってくることでもある。
自分がおかしくないと思うのなら、
どこ吹く風で生きられればいいのだけど、
やっぱり心は落ち着かないし、
これもまたある種の被害にもなりえる。
そんなとき、
加害者にされたという“被害者意識”に
長く捉われ続けることは、
百害あって一利もありません。
これだけは覚えておきましょう。
誤認逮捕とかになってしまうと
明らかに問題ですが、
日常の見知った人の集まりの中で
そうされることがあっても
人は意外にあなたのことを知っている
ものです。
そして、冷静に判断してくれるものです。
とにかく、
早くその心持ちと関係性とから脱して、
日常を生きることが大切です。
それがことに、家族関係をはじめとして、
過去の記憶から引きずることなら、
その“自分”への対処が急務です。
いつも言うように、
自分と出会い、受け入れ、一体化して、
加害者意識に苛まれた無為な時間を
生きないようにしたいですね。
ー今回の表紙画像ー
『ガラガラのファミレスでドリンクバー』
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