幻影の構成

書評

 

1.要約

最初に、数名のサラリーマンがたむろう喫茶店のシーン。何の変哲もない、どこの街中でも見られそうな描写。

「宇宙人、宇宙人の話をさせてくれ」

そういう一人を無視して、仕事の話にうつる。

物語は、そんな一見、本編とはつながらないシーンから始まる。

 

一転、寒さと恐怖に追われながら何かから逃げる主人公。

そしてパトロールロボットに追い込まれ、麻痺カプセルを撃ち込まれ、意識が薄らいでいく。

「ここは俺の住む都市ではない。2020年の都市ではない」

 

価値が画一化し、様々な決定が人工知能でなされることが噂される暮らし。

人々は、イミジェックスと呼ばれる小さく精巧な機械を一人一台与えられて、そこから伝わってくる情報を頼りに、日々の生活を送っている。そこから流れてくる情報は、ユーザーの選択によるものではなく一方的に伝えられてくるものだ。

 

主人公の名は、ラグ・サート。彼もまた物心つく頃には、専用のイミジェックスを与えられていた。それは彼の子守代わりであり、彼が信用する世界を作り上げてくれる存在でもあった。

 

町は、一般市民と奉仕マンと呼ばれるエリートに分かれていて、奉仕マンは一般市民のための奉仕者としてひたすら働く存在だと一般市民はイミジェックスを通して教えられていた。ラグもまた、他の一般市民と同じように彼らにあこがれを抱いていた。

しかし、ある時幼かったラグが何かの拍子に奉仕マンたちに近寄っていくと、麻酔銃で失神させられてしまう。後に親から、さも当然のごとく聞かされたのは、奉仕マンの邪魔をしたからだ、とのことだった。

この事件をきっかけに、彼は、今のこの暮らしに大きな疑問を抱くようになった。

 

例えば、隣人がイミジェックスから流れてくる情報のとおりに買い込んで、破産してしまっていること、聞かされていた町のビルが、情報より階数が低く、しかもそれは最新という話とは裏腹にひどくみすぼらしいこと、そして何より、現実、すなわち自分の目で見、耳で聴きとったことよりもイミジェックスから流れてくる情報の方を両親も他の人々も、信じ切って疑っていないこと、そんないくつもの理不尽さ、嘘に気づいたラグは、そのからくりを知ろうと、幾重にもわたるすさまじい試験を突破して、奉仕マンとなる。一般市民からの成り上がりだ。

 

権力の中枢に近づく中で、彼が察知したのは宇宙人の存在だった。虫型の奇妙な形をした存在。中央都市の会議室や街中に存在する彼らに気づく人間は、奉仕マンやエリートにはいない。イミジェックスはそのような存在を知らせていないからだ。唯一、ラグ、そしてこれもある事件をきっかけに彼とともに“戦う”ようになった一般市民以下の存在である下層民たちのように、イミジェックスシステムを疑う者だけに見えるのだ。

 

ラグたちは戦いから宇宙人たちを放追することに成功する。そこで、彼ら宇宙人が地球の人々を文明的に導くためにやってきて、システムを組み上げていたことを知る。

システムが消え去り、人々が幻影から解放され、町がそれに伴って瓦解していく中で、それでもラグはやはり宇宙人たちの行為を、疑義以上の侵略であると結論する。やがて、復興の時期を経て、人々がもう一度自らの足で立ち上がり、新たに自分たちの世界を築き上げていく。

 

最後は、物語の最初の喫茶店のシーンと同じ、穏やかな日常が描写される。家族が訪れるデパートのおもちゃ売り場の光景。そこにたたずむ一人の紳士風の老人に声をかける商人風の男。

「お子さんにおみやげですか」

「いえ、家族はおりません。いろいろと忙しかったもので」

そう答える老人に男が続けて問う。

「それはロボットか何かですかな」

「宇宙人だそうですよ」

そう言って立ち去る老人。

周囲は相変わらず穏やかで平和な、まるで少し前まであった戦いの記憶が忘却されているかのような風景。

(あるのはただ、戦後からの輝かしい復興の記憶ばかりだ)

老人はそう思う。

彼の名を佐藤氏、いやラグ・サートと紹介して、物語は終わる。

 

2.著者について

1934年生まれ。大阪大学経済学部卒。

会社員の傍ら、SF作品を執筆、’61年「下級アイディアマン」がコンテストに佳作入賞し、デビュー。本作は1963年の作品。

有名な「ねらわれた学園」「とらえられたスクールバス(「時の旅人」の題名でドラマ化された記憶がある)」「なぞの転校生」など、少年少女物の作品は有名。一方で、「消滅の光輪」「引き潮のとき」では2度にわたり星雲賞を受賞している。

個人的な感想だが、非常に真摯で“まじめな”作家だと思う。決して天才肌の作家ではないし、米国のSFのようなどこまでも理詰に読ませていくタイプではないが、現代人が無意識に追いやっている“俗的な理屈を超えた世界”を古今の話をうまく融合しながら語ってくれている。

 

3.気づき

眉村氏はある点について、特に初期の作品でモチーフにしていると読めて仕方がない。氏の書評を他で読んでいないので、どこまで知れ渡っているのか、あるいは私の言っていることが荒唐無稽なのかはわからないが、決して的外れではないと考えている。

第二次世界大戦とその後の日本のことだ。

この作品は、既出の1963年の作品である『燃える傾斜』に続き、1966年に出版されていて、やはり私が生まれる前に書かれたものなので、当時の世相はよく知らないが、少なくとも戦争の記憶はそれ以降よりずっと生々しく残っていたことは間違いない。。

 

人と人が争うときには、大なり小なり双方に言い分がある。第二次大戦に敗北した後、最初は米国によって、途中からは隣国群によって、日本は悪魔のごとく言葉をぶつけられたが、氏は前作を含め、戦いの中で真摯に生きてきた日本人がいたことを物語の中でよみがえらせているように思えてならない。

 

この作品は、何か知らない世界を見せてくれそうな題名に惹かれて中学生くらいの頃に購入したが、『燃える傾斜』同様、その時はうまく感情移入ができず、しばらく放置した末、高校生になってから読んだものだ。先の話のとおり、物語の背景も話のスケールも、SF=サイエンスフィクションとは別のところで大きくて、自分なりにしっかりと咀嚼できたのは、少なくとも30歳は越えた後のことだと思う。というより、心理の世界の勉強をするようになってからのことだ。

 

ところで、主人公の名前である「ラグ」という言葉を見て、皆さまはすぐに意味を言い当てることができるだろうか。

ラグという言葉を、Rug、Rag、Lug、Lagとあてはめて辞書で引いていくと、唯一当てはまりそうなのがRag=ぼろきれという訳だ。タイムラグのラグ、つまりどんちゃんの意味かなとも考えたが、Ragの方が当てはまるように思う。

これもいつか、このページに掲載したいが、米国のオグ・マンディーノという作家の物語『この世で一番の奇跡』の中に、ラグピッカーという言葉がある。直訳すると”ぼろきれを拾い集めるもの”くらいの意味だろうか。人生の敗残者(rag=ボロボロになった人)をピック(=集め)て、もう一度エンパワーするための物語の中で使用されている言葉だ。

そんな意味かなと思って解説を読んだら、下層民としてのラグ・タグとして解釈されていた。

実際、眉村氏がRagという意味で主人公の名に適用したとして、私はその狙い以上に少なくとも己のことを後回しにして大切な人々のために戦ってきた人、という意味に受け取った。そう解釈すると、それにふさわしい物語になっていると感じいることができる。今はあまりはやらないかもしれないが、隠れた名作だ。

 

4.おすすめ

眉村氏はショートショートで有名な作家だけど、前回の『燃える傾斜』はじめ、本作から少年少女向けの物語まで、初期(~1980年代半ば)には中編から長編の小説を多く書かれていました。当ページにはまだ掲載していませんが、その昔、薬師丸ひろ子さん主演で映画化された『狙われた学園』や『なぞの転校生』『捉えられたスクールバス(のちに『時の旅人』に改題)など、ティーンの多感な年代を扱った物語に、私は少し遅れて惹きこまれた一人です。ただ、対象とする読者年齢によらず、物語の骨子に共感できるのは、SFというジャンルを超えて、氏の有する世界観の故だと思います。少年少女者も一度ご覧ください。ちょうど筒井康隆氏の『時をかける少女』がきっかけとなってそういった作家たちの学園ものが随分はやった時期なので、厚い層でできた中に存在する優秀な作品がそろっていると思います。