ブラック企業の本当の弊害と私たちに必要な変化

日々の棚卸

 

題名から勘違いさせてしまいそうですが、

ブラック企業が悪い、

と責め立てるための話ではありません。

(確かに良くないのですが、

そこにフォーカスした話ではない

ということです)

そのことを最初にご承知おきください。

 

ブラック企業とは

改めて説明の必要はないかもしれませんが、

ブラック企業とは、

法に触れること、つまり

違法行為、不法行為などが

おそらくは日常的に罷り通っている

会社のことを指します。

残業量が申告もなく、

労働基準法を超えている、

サービス残業になっている、

「やる気あるのか」

「目障りだ」

「辞めたら?」

などのパワハラ、モラハラ発言、

声を荒げ、凄み、睨みつけ、

モノをたたき、殴りつけ、

そんな様々な言動のことですね。

こういった会社は、日本国の法律で

処罰の対象になっています。

今もまだ少なくないようですね。

先進国のわりに、

実労働時間の環境改善が

今一つ進んでいないと感じるのは

一個人の単なる印象なのでしょうか。

 

2012年の少し古い話ですが、

当時仲間とともに

仕事で自死に追い込まれる人達を

少しでも助けるために

奔走したことがありました。

そのときのメンバーの一人は

ご自身も労働環境に起因する

鬱を患っておられ、

病を治したいものの、

一方で、家のローンの返済もある、

休むことができない、

会社の人づかいは半端なく荒い、

と嘆いておられました。

私がカウンセラーであることを

知っていたから、

相談の意味もあったのかもしれません。

その場では、まず優先順位をつけて

一つ一つこなしていけば大丈夫ということ、

場合によっては他の手段もあり得るから

必要以上に自分を追い込まないように

お伝えしました。

その方は他社の厳しい労働環境についても

何かと情報を握っておられて、

某大手企業の社屋の横を歩くと

屋上から社員が降ってくる、

という話をされて

うちと変わらない厳しさだよと

腹を立てておられました。

多くはSE(System Engineer)をされていて、

徹夜の業務も多く、

夜の仮眠はオフィスの地べたに

段ボールを敷いて寝るのだとか。

何日も同じ状態が続くことで

徐々に精神を病んでしまうという、

私には想像を絶する世界でした。

2015年に過労から自死された

高橋まつりさんのような

とても哀しい事例は、

企業の規模や職種を問わず、

発生しています。

ことに、自死に至るほどの労働環境は、

今後の我が国の企業の存続のためにも

改善すべき問題だと思います。

 

本当の弊害

ブラック企業と言う言葉が定着したのは、

バブルが崩壊した平成の時代です。

1980年代までごく当たり前だった、

モーレツ社員、イケイケ社会から、

一気に変化を余儀なくされた企業は数知れず、

生き残りをかけて

コスト競争力、効率化が

叫ばれるようになりました。

私も経験がありますが、

業務効率やスピード重視が求められ、

一方でよく練られた考えをまとめて

示さねばならない業務は、

本当に心身に負荷がかかるものです。

昨今の特に厳しい労働環境で、

「うちの会社はブラックで…」

「職場はブラックな労働環境なんだ」

と言う言葉が聞かれるようになったのも

ある意味やむを得ない気もします。

つまり、あからさまな法律違反は

影を潜めたかもしれないけれど、

上司の表情やトーン、

微妙な言い回しと言ったことから、

与えられる業務の量や納期、

制限される残業時間などの遵守まで、

社員一人一人が、

文字通り息を抜く暇も

永遠に訪れないのではと思うほど、

神経を張り巡らせ続けて業務をこなすうち、

つい口をついて出てきてしまう類の

言葉なのかもしれません。

 

この、「ブラック」と言う言葉を

自分の職場の環境に当てはめて使うとき、

暗黙のうちに

思い込んでしまっていることがあります。

 

今の環境は変えられない、

自分は倒れるまで働き続けるしかない、

転職は逃げ出すことだ、

会社は平社員から搾り取ってばかりだ、

これ以上どうしろと言うんだ、

いつまで続くんだ

 

上述の言葉や思い込みが出てくるとき、

私たちは大切なことをどこかで

見失っていないでしょうか。

ブラック企業と言う言葉を使い、

自分がその中にいてどうしようもないと

嘆く本当の弊害がそこにあると思います。

 

ブラックな職場が生じる理由

経済状況を見れば、

何もかもを市場原理に任せることが

危険であるのは自明ですが、

そうは言っても私たちは

基本的にはこの原理のもとに

日々の生活を支えるべく、

経済活動を営んでいるという

厳然たる事実があります。

そして、先行者利益を得る企業のように、

競争者がいない段階での

高い利益率がある市場には、

参入者が増え、

競争が激化するに従い、

利益率が圧迫されるようになります。

社員を雇用し続けるためにできることは

無駄な経費を削ぎ落すことです。

このような話をすると、

耳をふさぎたくなってくるかもしれませんし、

自分の上司や取り巻きはもっと

えこひいきしたり、

経費を無駄に使ったりと

局地戦の話をしたくなるかもしれませんが、

全体としては社会システムの動きに従って

労働環境は変化せざるを得ない面がある

ということが述べたいのです。

手厚い福利厚生、

他社と比べた高給、

ゆとりのある労働量、

どれも市場と景気と会社の状況によって、

変化せざるを得ないものです。

加えて、日本は他の先進国に遅れて

労働環境を法律に合わせることを

厳密に行うようになりました。

背景にはかつて年間3万人を超えていた

自殺者数を低減したいという国民の声が

政治に反映されたとことがあります。

ともかくも、

サービス残業が過労死とつながることを恐れて、

明示的な申告を義務化し、

ハラスメントを厳罰化したことが、

仕事をこなす上でのゆとりとグレーゾーンを

取っ払ってしまったことで、

おそらく一時的ではあるのでしょうが、

ある側面で私たちの労働環境を

融通の利かない状態にしてしまった部分が

あるのは間違いないと思います。

 

人間はどうしても慣れ親しんだ環境から

出ることを嫌います。

自分に合う・合わないはあるでしょう。

しかし、「ブラック」と言う言葉を使うとき、

自分を変える代わりに、

環境に文句を言って、

自分が動かない言い訳に使っていたりは

しないだろうかということです。

 

私たちができること

ホリエモンこと堀江貴文さんは著書の中で

ブラック企業に勤めて嘆いている人に向かって

こう言って鼓舞しています。

「辞めないからなめられるんだ!」

読んだ時は、人それぞれの立場もあるのに、

ここまで言わなくてもいいのではと

思ったりもしました。

ですが、働くこと、仕事を

生きることと捉えれば、

彼の発言はある種の真実でもあると思います。

家のローンや子供の学費を理由に、

自らの心や体を顧みることなく、

ブラックでも辞められない、

と言う人がいます。

あるいは、

別の場所でやっていく自信がない、

変化するには歳を取りすぎている、などと

“おかしな”状況にも耐えるしかない

と思い込んでいる人も少なくありません。

どこまで本当のことなのでしょうか。

 

私たちが生きる上で

最も大切なこと、

失いたくないこと、

求めたいこと、

秘めた想いなどを、

自分の胸に真摯に問いかけることを、

「ブラック」と言う言葉によって

遮っていないでしょうか。

一つ一つの行動、

例えば、

やめること、

働かないこと、

転職すること、

新しい仕事を模索すること、などは

実は、上述の最も大切なことを

実践した結果導出される選択肢足りえることです。

 

本当に必要なお金はいくらでしょう。

家族はどう考えているのでしょう。

今を継続することによって

蝕まれているものは何でしょう。

絶対に失いたくない大切なことは何でしょう。

今どこまで幸せでしょうか。

 

どれもが腹の底から明確になっているならば、

考え方や行動は自然に変わるはずです。

前回のブログで、

新しい点を打ち、そこに線を作ることの

大切さを述べました。

実は、今できることとは

そういうことではないでしょうか。

切羽詰まってくると個人も組織も、

世知辛くなるのは人の世の道理です。

自ら「ブラック」と呼ぶ労働環境に身を置いて、

ぬるま湯を求めるのは最大の矛盾です。

経営陣に文句を言ったところで、

力のない私たちができることは限られています。

今の環境で頑張るのは結構。

腹を立てるのもほどほどなら結構。

でも、何のために今

「ブラック」を容認しているのか

が最も問われることです。

 

まず今の自分の状態を

もう一度冷静に把握してください。

ほんとにやりたいこと、

やりがいのあることをやっているとき、

人は「ブラック」などと嘆いたりはしません。

寝る間も惜しんで、没頭するでしょう。

単なる好きなことと言うより、

自分にはこれをやる必要がある、

やっておかないと悔いが残る、

というようなことです。

一生懸命に頑張って生きるうち、

自分も家族も大切な人々も

おかしくしてしまうのは、

労働の本質を取り違えています。

 

実は、多くの人にとって、

働くこと、生きることの

新しい分水嶺の時代に

入っているのかもしれません。

 

ー今回の表紙画像ー

『桜の花一輪』

遊歩道の桜並木の下を歩きながら、まだ咲いてないかなと見上げた時に見つけた一輪。

どこを見ても↓ようやく蕾が小さく膨らみ始めたところだったので、ちょっと感動した。