思考は現実化する、という
有名なナポレオンヒルの本があります。
1930年代の著作で、
今も読み続けられています。
ビジネスの根っこに
気合とか根性とかとは別の、
心構えというかモノの見方というか
そういったものの大切さをうたっていて、
ビジネスの世界や自己啓発などでも
よく取り上げられています。
ここでは別に
その本の内容に触れたいわけではありません。
もう少し感覚的な部分、体感的な話として、
自分が想定する世界、感じる世界が
現実になります、というお話です。
世界は自分が思った通りの現実を表している、
というのは、その通りだと私は考えています。
中には「そんなことない!」と
反論したくなる方もいらっしゃるでしょうか。
一方で、これを理由に
目の前の現実をコントロールできる、
あるいはコントロールしようと考える人も
また随分いるのも事実です。
ところで、この手のことは
ナポレオンヒル以降も、
様々な自己啓発や心理学の世界で、
類似のことが言われてきています。
私もここで、
“自分が思い描く世界”
と何となく書いてしまいました…。
では、
自分が思い描く、とは
どういうことなんでしょう。
思うとは、想像できる、
ということでしょうか。
描くとは、具体的にイメージできる、
ということでしょうか。
白昼夢や妄想のことでしょうか。
どれも外れてはいないと思いますが、
理屈に走りがちな私たちにとっては、
“騙されやすい感覚”です。
そう。
“感覚”と書いた通り、
自分が思った世界が現実になる、
の『思った』とは、
少なくとも理屈で描く世界ではない、
ということは確かです。
私たちは大人で、
子供時代を通して学んだ
様々な経験を“信じて”、
自分なりに“解釈”することを繰り返して
これからの世界、求める世界を想起します。
体中で感じ、信じ切った世界の中で行う
立ち居振る舞い・言動には、
不自然さはありません。
もちろん迷いもありません。
本能的、常識的な世界で成立する
一挙手一投足は、
理屈で考えたこととは異なるのです。
そうであるが故に、
それに見合うような
人の関係、
生活、
仕事の状況を
引き付け、築き上げていきます。
子供時代を通して学んだ
様々な経験を“信じて”、
といったことから、
自然に囲まれて、純粋な心で生きることを
イメージされるかもしれませんが、
もちろんそんな意味で言っている
わけではありません。
ある家で育った子供は、
嘘とイジメが常態だったために、
それを常識として必要な対処を
外で人と接する際に、
自分の中に組み込んで生きるようになります。
嘘をつかれないように猜疑心に凝り固まり、
ショックで傷つかないように感情を準備し、
そのように他者を見、
日々の人間関係を築き上げていく、
ということです。
当然、その子供が大人になった時には、
嘘とイジメとそれに対処することが
すべての世界が実現してしまいます。
いささか気が重くなる話を
書いてしまいましたが、
理解していただきたいのは、
現実化する世界とは、
体感的・本能的にもっとも信じる世界です。
頭で理屈をこねくり回して想起するような
世界ではありません。
それは、
日常生活や職場での人との関係が苦しい、
自分に見合った働き方が実現できていない、
選んだ仕事がどうにも手につかない、
そして日々生きづらい、
といったことに悩んでいるとき、
底流で大きく影響しているはずのことです。
いずれも思い描く世界を想定して
その想定をもとに振る舞うわけで、
当然ながら、その振る舞いに反応する人が
集まってくるのは道理です。
だから、今の世界が苦しいのなら、
まず最初に、
今をよくするために必要なことは
何かを考えた上で、
今の自分を大切にする行動をとり、
その自分をしっかりと受け止め、
受け入れていくことです。
どんな働き方をするか、
どんな職を選ぶか、
そしてどのように生きていくか、とは
そういった基準で選択していくものです。
経験と行動、
そしてそこで感じる感情によって、
無意識に思い込んだ世界を書き換えていくのです。
頭でいくらこねくり回しても、
世界は変わりません。
皮膚感覚、体感、胸の奥を
自分が望む感覚に
変えていくことが大切なんです。
そのために、
自分が生きてきた中に存在する
大切な原風景を取り戻す、
新しい世界に足を踏み入れる、
自分の心身を慈しむ、
そうやって少しずつ、
変化を起こしていきましょう。
ー今回の表紙画像ー
『車窓から富士山を望む』
所用で電車に乗ってるときに撮影。雲がかかった姿が絵になる。
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