〝普通”ではなくなってしまった…。
心の状態に病という名を冠せられて、
そう受け止めたことがあります。
その昔、症状を呈して、
初めて心療内科を受診したとき、
正面に座ったお医者さんから一言、
「適応障害か鬱だね」
自分には縁がないと思っていた病名を
日常会話のような調子で告げられて、
これで自分も病人の仲間入りなのか、
とぼんやりと思っていました。
思ったように体が動かず、
朝起きるのが異様に辛くて、
足がすくんで動かず、
感情的には麻痺した感じなのに、
感覚的には奇妙に澄んでいる。
そんな状態の病とはいったい何だろう。
漠然とそんな疑問を感じながら、
処方される薬の話を聞いていました。
その後、
カスミがかかって思考がうまく回らないまま、
カウンセリングを受けたり、
自分でも心理の学習を続ける中で、
直感したこと。
それは、この状態は、
奥底にある素の自分から自分へ向けられた
生き方の無理を告げる
メッセージだということでした。
結局、通院を取りやめ、
自分のこれまでの生き方の棚卸をし、
同じ経験をしている仲間に出会い、
専門家に向けて言葉にして表現し、
自分の中の何かを歪め続けたことが、
自分をしてそのような状態に追い込んだと
気づいたというか、
体の感覚で納得するに従い、
おかしな無理を少しずつやめるようにしてから、
〝症状”は徐々に消えていきました。
その時一貫して感じていたのは、
自分は病人ではない、
病気を治しているのではない、
という、
どこかで確固とした感覚でした。
医療機関にかかったこと、
薬を飲んでいること、
長期休養をとっていること、
を理由にして、
自分を病気に位置付けてしまうと、
それが新しい自分になってしまう。
それは本来の自分を抑圧してしまう
ただ、そう感じました。
病は気からという言葉は、
私たちが考えるより深いのだと思います。
同時に、誰もが陥る状態でもあります。
決して特殊な状態なんかじゃない。
つまり、それは自分によって
変えていけることではないでしょうか。
もちろん、
自分で変えていけると言っても、
気合や頑張り、意志力で
実践することではないのでしょう。
自分を無視して生きてきすぎたために、
自分自身が反乱を起こし、
それが病という形で表れているからです。
楽しみを放棄していたり、
自分をいじめていたり、
そういった今までの生き方に無理がないか
振り返ってみてはいかがでしょう。
私たちの生き方の中には、
義務や責務を、
大切や好きと置き換えていることが
本当に多く含まれています。
そうしておいた方が、
当座は生きやすいですからね。
だから、今一度、
自分が本音で感じていることを
棚卸することで、
自分で自分を欺いている現実を
少しずつ変えていくことです。
単に、自分が取り組んだ趣味とか、
勉強のこととか、
人との会話の方法とか、
収入とかといった
表面的なことよりも、です。
心の病はそれ単独で生じることもあれば、
仕事や家族や人間関係に
大きな変化を伴って現れることもあります。
先に、メッセージとお伝えしたように、
そこには自分がどう生きていけばよいか、
そのコアとなる指針が色濃く
含まれていると思うのです。
それらを、自分の腑に落とし込み
言葉にしたうえで、
日々実践していきましょう。
ー今回の表紙画像ー
『ウナギ釣りに出かけた時のお月様』
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