行動の変化のきっかけに旅があります。
たかが旅などというなかれ。
見知らぬ土地へ出向いて滞在することは、
自分の皮膚感覚に根付いた世界観を
大きく変化させてくれます。
それがまして、
言葉も通じない国や地域ということなら、
なおさらかもしれません。
昔の知り合いに、
当時のユーゴスラビアなど、
やたら紛争のある国に出かける人がいました。
こちらからするとなぜそんな危険な場所に、
と思うのですが、
彼にとってはそんなところだからこそ、
魅力を感じてしまう、
という危ない?感性を持っていたようです。
…危ない場所を訪ねてみよう、
というお誘いではないですからね。
念のため。
彼にとってその行動は、
理屈ではなく、
思い立ったから、という理由です。
混乱していたかもしれない、
あるいは
行き詰っていたかもしれない、
彼の人生にとっての
一大イベントだったのでしょう。
それによって彼は、
自分という存在を理屈抜きに確認し、
生活を整え、
新しい仕事(研究)を始める、
というパターンを取っていました。
環境を大きく変化させると、
行動の変化以上に、
行動の動機の変化を促します。
それは、私自身の記憶からも
確かだと思います。
ソ連邦が解体した翌年の冬に
フィンランドに行きました。
原家族が離散し、
当時の私には意味不明な
怒り、
苛立ち、
寂しさ、
哀しさ、
無力さ、
至らなさ、
といった、
幾重にも責め苦を感じる感情で
押しつぶされそうだった頃です。
責め苦とは、
身の回りの全ての出来事、存在が
自分を責めているように感じていた
という意味です。
今なら、おかしな理屈だとわかりますが、
当時の自分を振り返り、
あの時の精一杯の自分を生きていたことを
理解するほどに、
無碍な批判はしたくありません。
ともかくも、なぜかその頃、
北に行ってみたい、
それも、日本を出てもっと北に行きたい
そんな感覚がありました。
そして選択したのがフィンランドです。
たまたまかの国の歴史を学んだことがあって
その小さな感動が
記憶に残っていたのかもしれません。
でも、実際のところは
直感からくる選択でした。
思い出すに、
偶然と、
投げやりな気持ちと、
何かの導きによって
つながった場所だったと思います。
とてもマイナーな存在で、
当時暮らしていた街のJ〇Bの店長さえ、
フィンランド?え?どこ?とうろたえ、
パラパラと手元のパンフレットを斜め見し、
ええっと渡航費は87万円かな、
というほど、
何も知られていない国でした。
ちょうどその頃、
日本フィンランド協会に入っていて、
フィンエアーが北極海周りで
1泊付き往復95000円であることを知り
いそいそと予約しました。
1人当たりの持ち込み重量制限も知らず、
持ち込んだ荷物の重量は倍近く、
空港ロビーのカウンターで
荷物を受け取ったCAさんも
あきれる始末。
結局、この時は彼女らの取り計らいにより、
オーバー分の料金を支払うことなく、
見逃してもらいました。
長いフライトを終え、
無料のワインで酔っ払った視界に
夕暮れの大地が飛び込んできたときは
とても感動しました。
ちなみにフィンランドは旧ソ連の隣国で、
西側に所属していたにもかかわらず、
実際に出向いた首都ヘルシンキは、
今のそれとは趣を異とし、
およそ自由資本主義的なきらびやかさからは
無縁の町でした。
今なら、親子連れで
旅行に訪れるほど有名で、
JALが乗り込んでいる国で、
国民1人当たりのGDPも
世界トップクラスの国ですが、
あの頃は前年に崩壊したソ連の影響を受け、
街の雰囲気が暗く沈んだ感じがしたものです。
もっともそれは、訪れたのが真冬で
9時に太陽が昇って15時には沈むという
季節のせいもあったかもしれません。
ともかくも、現地での出来事を含め、
あの頃にしか味わえなかった雰囲気は、
今のフィンランドには見られません。
暗さ、質素さ、アジア人が見られない、ソ連の影響、
そこに、
私個人の行き場のなさ、やりきれなさ、先行きが見えない、
そんないろんな感情と絶望が交差する中で、
当時のフィンランド渡航は
自分にとっての1つのイベントでした。
帰国して、
何もかもが楽になったり、
家族や仕事の関係が大きく変化したり、
というわけではありません。
ただ、私の中に、
それまでの人生では存在しなかった
別の空間、世界が1つ形作られていて、
それが居場所を与えてくれていた、
そう思います。
友人知人と出かける旅は、
それはそれで楽しいです。
スキーやスノーボードで
白馬やウィスラー(カナダ)など、
国内外に出かけたのは、
良い思い出ではあるのですが、
自分と対話し、自分自身を知る、
という意味では、
一人旅に勝るものはありません。
ここでお話しさせていただいた旅も、
たかが海外に出ただけのことなのですが、
束の間ではあっても
家族の問題に絡めとられていた自分を
もう一つの角度から見ることで、
パンクしそうになっていた心に
余裕を与えることができたからなのかもしれません。
それはともかく、
旅はいいですけどね。
ー今回の表紙画像ー
『街の月_駅の出口から』
きれいな月が出ていると、つい撮ってしまう。
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