自分を生きる恢復の順序

日々の棚卸

 

生まれ育つ中で身につけた不信と

それをもとに社会と接して生じた混乱。

その原因やプロセスを何とか頭で理解し、

恢復を試みていた時に、

なかなかうまくいかなかったことの一つに、

自分の問題と、

自分に影響を与える肉親の問題を

感情の上で

切り離せていなかったことがあります。

親兄弟など、

自分以外の誰かが大切であればあるほど、

行動を起こす際に、

まず自分の感情に配慮すること、

自分を最初に考えてしまうことで、

相手が追い込まれる可能性を考えてしまい、

どうにも実行に移すことができなかったり、

いけないことをしているのではと思って、

そこから先へ進めないか、

恢復がぶれてしまったりするのです。

 

なぜでしょう。

 

親との関係、家族との関係を見つめなおし、

自分の生きてきた人生を振り返って、

自分に寄り添うことを実践しようとする時、

勘違いが入ることがあります。

それは、自分に寄り添うことと、

親に対する配慮について、

二律背反的に受け止めてしまうことです。

 

恢復には順序があります。

厳密に守らなければ、

自分も家族の関係も破壊される、

などと言うつもりはありませんが、

かけがえのない自分を生きる上で、

納得のいく生き方を実践する上で、

大切な人々を愛し続ける上で、

その順序を守って実践していくことは、

思いのほか、重要なことです。

 

自分に影響を与えてきた人の仕打ちの

呪縛を解く作業に入ると、

ムクムクと頭をもたげてくる考えが、

この人も“そういう”境遇で育ったのだ

(だから自分にこう振る舞ったのも

彼らなりの愛情だったのだから、

それを否定したり、批判したりしても

仕方がない)、

という、

自分の心の、とても大きな深い傷を

ほっぽらかしたままの状態で、

自分の恢復を後回しにして

本来自分を保護するはずの相手の立場を

自分よりも優先して配慮することで、

自分に対する変化を起こすことができず、

結果として相手もまた、

同じ状況のままくすぶり続ける

ことになってしまいます。

 

肉親への配慮を優先することで、

表面上はいっとき

気が落ち着くのかもしれないけれど、

結局悶々とした心持ちのままで、

また次の衝突を始めてしまうという

負のスパイラルが続くのなら、

例えその時は多少つらくても、

その場で対処してしまった方がいい。

その一連の行動は決して、

相手を貶めるためなどではなく、

ましてあなたの鬱積した感情に基づく、

ストレス解消などではありません。

 

これは、あなたが、

そしてあなたと肉親の関係とが

成長のための通過点だと考えてください。

恢復のための通過点だと受け止めてください。

自分に寄り添うという感覚、

徹底して寄り添うという実践、

それによって自分を受け入れたときに

自らの内に、

誰も犠牲にしない愛情という力強い想いが

芽生えます。

別に、

相手のいるところで行う必要はない。

ただ、忘れないでほしいことは、

相手が誰であれ、

誰に何を言われたとしても、

感じること、考えることについて

私とあなたは違って当たり前、

ということです。

これは、

血のつながりとか、

家族の情といったこととは

別の次元の話なのです。

であるにもかかわらず、

激しい感情の衝突になるのなんて、

よくよく考えてみれば明らかに異常だと

思いませんか。

 

まず自分です。

ちょっと譲歩するならいいけれど、

どう考えても自分の立場として

受け止めるべきではないようなことまで、

相手のためだからと引いて受け止めるのは、

結局のところ、誰のためにもならない。

 

繰り返します。

誰のためにもならないんです。

 

譲歩したはずの相手、親のためさえ

全くならないんです。

むしろ、あなたも親も互いに

相蝕んでいくことになります。

大切な愛する家族のためにならないんです。

何より、自分が耐えているうちに

無意識の中に苛立ちや怒り、

自己卑下を抱え込んでしまう。

それは本末転倒です。

 

まず自分と言いました。

追い詰められて、

日々が行き詰って、

未来が見えなくなって、

呼吸することさえ苦しくて、

そんな状況にあるのなら、

親よりも兄弟よりも、

まず自分の心身を第1に考えて

そこに寄り添った明日を

考える必要がある、と。

 

自分を受け入れていくうちに、

理屈ではなく、

同情でもなく、

自分が安定した感覚のもとで

自然に周囲の立場への配慮が

できるようになる時が来ます!

その時には、ともすれば

これまで自分を苦しめてきたものと

全く同じようなコミュニケーションが

あったとしても、

全く同じように接する機会があっても、

あなたの彼らに対する

態度、言葉、何より胸の内の感じ方は

変わっています。

彼らを大切に想い、

慈しみながら、

自分が堂々と、

良かれと思ったことを

優しく、丁寧に、力強く

伝えていけるようになります。

自分の中に

自分の存在そのものを大切だと感じる

太く安定した軸が、

しっかりと踏ん張りのきく土壌が

できあがっているからです。

この軸、土壌を養うことが最初なのです。

 

それが順序ということです。

 

どうか、

自分の恢復、

受け入れから

逃げないように。

言い訳をしないように。

心がけてください。

 

ー今回の表紙画像ー

『雲と鉄塔』

晴れ渡った空はいつ見てもきれいだ。