愛着感を見失ったまま生きていると、
不安感、無力感に襲われることがあります。
私たちがこの世を生きる“寄る辺”を
感じられなくなっているためです。
その状態で競争に身を投じていると、
凄まじい怒りや怖れ、
時には絶望に囚われたりします。
心も体も魂も、
見えない力で引き裂かれそうになっていて、
それがこれらの感情の原因なのでしょう。
これは、本当に怖いですよね。
ほんとうに、ホントウに、
何をどうしたらよいかわからなくて、
でも自分の感情とは無関係に
何かをしなくてはと思い込んでいて、
当然ながらしなくてはいけない状況でも、
心も体も動くことを拒否する。
でも、動かないままでは
日常が立ちいかなくなるので
やっぱり何とか動くしかない。
★
愛着感は自分で決めて動くときの
足場、骨格、幹、指針となりえます。
感動、ヤル気、使命感、楽しさ、希望、
所属感、情熱、夢、身近さ、親密感…
どんな表現でもいいのですが、
私たちが動く動機となる感覚は、
どこかで愛着感とつながっているからです。
その愛着感、
それは私たちの全身の記憶に宿っています。
身近な人との間にあったことや、
思い出深い出来事を想起させるもの、
何とかして乗り越えて得たものが、
普段は思い出さないまま、
自分を導いてくれていることが、
生き生きと生きていく前提になっている、
といってもいいかもしれません。
では、
愛着感を見失うのはどんなときでしょう。
あると思っていたものをなくした時?
あると思っていたものが実はなかった時?
あると思っていたものを失ったと思った時?
あると思っていたものは多くの場合、
大切な人との間にあった
愛情とか、繋がりとか、暖かい関係とか、
ではないかと思います。
その環境に基づいて築こうとした、
自分が求める世界、新しい関係の可能性も
入るかもしれません。
そういう意味では、
過去にあったものばかりではなく、
自分がイメージする未来もまた
含まれると言ってよいと思います。
そういった愛着感を(見)失ってしまった。。。
朧気ながら、そこまで納得したとして、
どうしたらいいのでしょう。
最初に書いたように、
心は動かない。
魂も弱り果てている、
それに呼応するように、
体も反応しようとしない…。
★
これからも時々触れますが、
平安の祈り(二―バーの祈り)の中で
こう読まれています。
変えられないものを受け入れる落ち着きと、
変えられるものを変える勇気を、
お与えください。
宗教色を感じるかもしれませんが、
本質は、
意志の力を万能とする誤りを
祈りの形で表現したものだと
私は受け止めています。
他人と過去は変えられない、
変えられるのは自分と未来、
という言葉もありますよね。
何が言いたいかと言うと
親兄弟にせよ、友人や恋人にせよ、
昔の思い出にせよ、
それらは他者であり、過去であり、
変えることができません。
でも、あなたがどうするかは、
あなたで決めることができます。
そこに、動かなくなった
心を、体を、魂を
再生するヒントがあります。
…。
おそらくここまで読んで、
一気に、やってみるぞ、となった人は
いないでしょう。
なにせ、
心は動かない。
魂も弱り果てている、
それに呼応するように、
体も反応しようとしない…
のですから。
仕事やつきあいや何やかやで、
もういろんなことが
嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で
しかたがない状態なのでしょうから。
でも実は、
この、お世辞にも良くない状態は、
決して何もできないことは意味しません。
そういった良くない状態を感じる自分と
どうつきあっていくか、どう続けるか、
それがポイントになります。
この状態から『何とかしよう』と
あがいてしまうと、
いっとき動けるようになる場合もありますが、
多くは元の木阿弥です。
何かを試すとき、何か動こうとするとき、
いきなり見失った愛着感を取り戻す、
そういった世界を描いても、
おそらく成功しないでしょう。
変えられるものが他者ではなく、
自分でしかないのなら、
自分を変える=受け入れることから
はじめるのがよいでしょう。
胸の中に眠るあなたの原風景を
蘇らせることで、
心の奥底に灯がともります。
それは愛着の感覚を取り戻す一つの方法です。
同時に、
愛着感を見失った遠因を
その過程とその後にあなたが被った
あなたの中の混乱と情動を、
安全に吐露できる場を見つけて、
根気よく、継続して、表現し、
その時のあなたを慰撫し続けてください。
最初の一歩を含め、
なかなか動き出せないかもしれません。
しかし、
動かない心に寄り添い、
弱り果てた魂を休め、
反応しない体を蘇らせることができるのは、
あなたをおいて他にいません。
今の状態のもとになっている
シーンや情動と接し、
その時のあなたに出会うことは、
あなたを慰めこそすれ、
決して傷つけることはないはずです。
何より、
仕事で成果を出そうとしたり、
難しい案件を解決するために、
頭をフル回転させたり、
上司の顔色を窺ったり、
靴底を減らして走り回るよりも
弱り果てたあなたにとっては
動くハードルが低いのではないでしょうか。
あなた個人でできる、
あなた個人にしかできない
あなたが蓋をする内面と向き合うことが、
あなたの内側にある力を取り戻すということ、
それは地道な継続の上に成り立つということ、
そんなことを書いてみました。
ー今回の表紙画像ー
『スカイツリー見てきた』
すみだ水族館に行く折、この道を通ったのでパチリ。
水族館に入って、
クラゲ見て、
チンアナゴ見て、
大きな水槽を泳ぐペンギンを見たけれど、
和金ロード?が一番印象的でした。
最近のコメント