無意識という人生の脚本を書き換えること

日々の棚卸

 

人生を物語に例えることがあります。

 

自分の人生と言う舞台に立ち、

主人公として振舞っている、と。

 

確かにそうかもしれません。

 

私たちは日常の様々な場面で、

何某かの基準に基づいて

行動しています。

 

言い換えれば、

自分自身を演じているわけです。

 

しかも、往々にして、

意識した通りに演じている、と

思い込んでいます。

 

素の自分を100%出してきっている人は

まずいないでしょうし、

 

大人の利害が絡む社会の中で、

大なり小なり演技が含まれるのは、

仕方がないのかもしれません。

 

 

私たちは、意識して演技している、

そう書きました。

 

ほんとにそうでしょうか。

ほんとに意識したことを

出しているのでしょうか。

 

答えは、

 

No

 

です。

 

正確に言えば、表に出していることのうち、

意識した言動は表層のごく一部です。

 

普段意識していることは、

膨大な経験や思考が蓄積された無意識の

“最近の”ほんの一部だからです。

 

つまり、通常は無意識の延長線上にあって

見分けがつきづらい。

 

これは、言い方を変えれば、

無意識が私たちをコントロールしている、

ということになります。

 

慶応大学の前野先生によれば、

私たちが意識して行動していると

思い込んでいることは、

 

実際には、

意識が体を動かすパルスを生じさせる

少し前(msec=ミリ秒オーダー前)に

動作が始まっているとのこと。

 

では、その行動が

何によって司られているかと言えば、

それは無意識、自動意識に他なりません。

 

裏を返せば、

自分を変える、人生を変えるとは、

無意識を変えることでもある。

 

 

さて、ここまでは表現の仕方はともかく、

ある意味、耳にしたことがある

論だと思います。

 

人生を、自分を変えたいなら、

無意識を変えることですよ、と。

 

確かにそうだなあ、と

これを知った頃の私も思いました。

 

でも…と一方で考えました。

 

…そんなことしている間に

人生終わってしまう、と。

 

無意識とは自分が生きてきた中で蓄えてきた、

膨大な経験、記憶のこと。

 

その無意識を書き換えるということは、

 

それまでの蓄積の量や、

蓄積された強烈な印象を上回る、

記憶、体感、皮膚感覚、情動を

蓄えなおすこと。

 

そして、

それらを自分の中にしっかりと宿し、

常識化すること。

 

確かに、それができれば、

必然的に立ち居振る舞いから、

受け止め方、今のありかた、

未来への予感や見通しが

変わってくるでしょう。

 

ただ、

何十年もかけて蓄積した無意識を

変えるということは、

 

一生をかけてさえ実現できるのか、と、

感じる膨大な作業にも思えました。

 

これは、試してみたことがある方には

お分かりかもしれません。

 

普段の経験に基づいた振る舞い、

日常的なあいさつや言動の受け止め方、

何かの折に生じる見通しの立て方、

ルーティーンから未来の予測まで、

 

何度か試したところで、

一時的には変化した感じがしたとしても

すぐに元に戻ってしまう。

 

微塵の変化も感じられない人も

少なくないはずです。

 

では、

30年苦しんで生きてきた人は、

次の30年、

 

40年苦しんできた人は、次の40年、

50年、60年、生きてきた人は…、

次の50年、60年、

 

“意識して”ひたすら自分に言い聞かせ続ける

ことが絶対に必要なのか。

 

そんな疑問が私には湧いたことがありました。

 

自分を変えるために、

そんなに長い時間が必要なのか、と。

 

結果から言うと、

そんなことはありません。

 

 

これまで繰り返し述べてきましたが、

今が苦しい人、

行き詰まりどうしようもなく感じている人は、

 

自分と言う存在が消えてしまいそうな、

軽すぎて霧散してしまいそうなほど

今の状態が苦しいということは、

 

そうでない体験をしているはず、

体感を持っているはず、

ということです。

 

それを、あなたの心の『原風景』と

私は呼んでいます。

 

そしてその『原風景』を蘇らせようと、

機会を見つけては述べてきました。

 

『原風景』には、

あなたが当たり前にそこに居ること、

存在していることが当たり前であること、

当たり前であるという無意識に及ぶ肯定感、

そんな感覚が宿っています。

 

無意識には、そんな『原風景』が

あなたの中にいくつも眠っている。

 

だから、その想いが体感されたとき、

 

今まで徐々に沈みゆくばかりに感じられ、

絶望しかけていた人生は、

 

まるで漁の網にかかって引き上げられるように、

過去と今と言う2つの支点によって、

ぐいと引き上げられて浮上し出すのです。

 

もちろん、一度そう感じたからといって、

それでめでたし、とはなかなかなりません。

 

幾重にも仕掛けられた絶望の罠に

日常的に絡めとられ続けているのだから、

都度思考することが必要です。

 

『原風景』はとっかかりであり、

ベースキャンプであり、

あるいは迷った時に戻る場所であり、

 

そこからさらにいくつもの浮上し、

あるいは空に浮かび上がるような

“支点”が必要になります。

 

“支点”は心の居場所にもなります。

 

それを物理的な居場所や仕事上の居場所に

徐々に広げていくことが望ましい。

 

並行して、

最初は胡散臭い、ワザとらしいと感じる

自分に優しい振る舞いや受け止め方を

実践できるといい。

 

その発端としての原風景を感じることは

あなたの日常を司る膨大な無意識世界を

書き換えていくための原動力になります。

 

無意識の全てを書き換える必要はありません。

 

あなたが意識して行うことに、

再獲得した『原風景』から得られる

 

そこに居ること、

居たいということ、

そこに繋がっていること、

 

そんな感覚を添えることで、

意識して行うことが習慣として定着し、

やがて無意識の中で支配的になります。

 

無意識が自分を大切に扱わない感覚で

埋まっている人には、

最初はなかなか嘘くさく感じるかもしれません。

 

でもそこに

あなたと言う存在に対する肯定感が

受け入れる感覚として生じることで、

胡散臭さが徐々に中和されていきます。

 

どこかの国で嘯かれている

嘘も100万回言えば本当になる、

と言う言葉は少々怖いですが、

 

ほんとだったと感じられる感覚を基準に

自分を大切に扱い続け出すと、

 

演技は演技ではなくなり、

その継続が無意識を書き換え続け、

それがやがて人生を変えていきます。

 

全て、あなたの中にあるもので

対処できますよね。

 

あなたはあなた自身で十分だ、

と言われる意味でもあると

私は思います。

 

ー今回の表紙画像ー

『工場夜景』

ハンマーヘッドから、横浜―川崎間の工場夜景クルーズに参加してきた。

…思ったより地味だったな。。。

マンション群と観覧車とベイブリッジはとても輝いていたけれど。。。

おまけ。街も船の中もすでにクリスマスの準備?