私たちは、自分が感じるよりずっと
深く、多く、色濃く、
生まれ育つ環境から
生き方を学んでいます。
大方は親からですが、
それ以外にも生活の中で影響を被る
おじさんやおばさん、
学校や友人たちから
ホントに多くの生き方を吸収しています。
それは、言葉や行動、
あるいは所有しているモノではありません。
いえ、無関係ではないけれど、
そういった言動をとる元になった
生き方の思想、動機、そして漂わせる雰囲気、
それらをこそ吸収して
そこから世界を見る癖をつけていきます。
そして、あまり信じたくないかもしれませんが、
その延長上に、多くの人は
会社員、サラリーマンという選択をしています。
人生に保証を得ることができると
心のどこかで思っているからです。
そこに疑いがないのなら、
そこに生き方の無理がないのなら、
そこに苦痛や怖さがないのなら、
それはそれで立派な生き方だと思います。
けれど、
なぜかある頃から、
手が動かなくなったり、
頭が働かなくなったり、
会社に行く足が止まってしまったり、
心がふさぎ込んでしまったり、
上司や同僚と接する機会を
忌避するようになったり、
そんなことが起こるようになるのなら、
これまでの選択と描いていた前提が
あなたの心の中で崩れてきた
ということではないでしょうか。
私たちは、論理的な試行の中で
生きているようでいて、
ある種の思い込み、幻想の中で
生きていることは、
これまでにも形を変えて伝えてきました。
それは、ちょっと思考を変えてみたから
すぐに変化する、
という類のものではなくて、
長い年月のうちに培われた、
皮膚感覚に宿る感性のようなものとして
人生に根付いています。
そこに気づき、
それがある種の価値観だったり、
親から学んだ生き方の下で植え付けられた
感覚のもとにあるとわかると、
そのときはじめて視界が開けてきます。
一時的に、自分を今においやったとして
親や教育を始めとする過去を恨む
ことはあるかもしれません。
ですがやがて、そうすることの
無駄さ、無意味さにも気づくようになります。
すると、必然やれることも決まってきます。
私たちは、学んだこと、体得したことをもとに
この人生を生きています。
それは往々にして、
一昔、二昔前の考え方だったりするものです。
しかもそれでいて、
あたかも確実、絶対であるかのように
受け止めて生きていたりもします。
雇われないと、生きていけない。
事業を起こすのは雇われるよりリスキーだ。
自分は嫌われ者だ。
自分はできない。
繰り返しますが、
私たちは学んだことをもとに生きています。
当たり前に聞こえますか?
だから何だと思いますか?
でも、困っているでしょ?
自分を変えるとき、まず、
大前提としていた『当たり前』の生き方を
見直すことです。
そして、長年沁みついた
思考、考え方、体感、
そういったものを一朝一夕で
変えられるものとして受け止めないこと。
自分を守ってくれていた、
大切な感覚でもあるのです。
生き方は、働き方は、
実はいつでも変えられます。
ただ、簡単に、瞬間に、変えられるというのは
少し違います。
受け取ってきた、吸収してきた感覚を
感謝とともに手放して、
自らの想いによって書き換えていく。
今あなたに求められているのは、
そんな地味ではあるけれど確かなことでは
ないでしょうか。
それがいくばくか進んで、
生き方が変わってきたとき、
今より確実に、
今生きている世界に対する愛おしさが
増しているはずです。
ー今回の表紙画像ー
『初夏の川_川に人が繰り出し始めた』
最近のコメント