心のレントゲン

日々の棚卸

 

相談にのったり、自分の悩み(当然ですが私にも悩みはあるんです)を専門性を生かして対処しようとしていて、たまに「あ~、心の中を写すレントゲンがあるといいのになあ」と思うときがあります。そう思いませんか。なんなら、胃カメラならぬ心カメラでもいいんだけど。

心カメラって、どんな感じになるのかな。

心の痛みの質を色で、強度を濃度で分類し、体全体のどのあたりかで生じているかの分布とともにモニタで示し、痛みの変動周波数を測定して、時間変化のグラフとともに画面端に表示、解析から脳の海馬のあたりと同期している結果と、クライアントが現在抱える問題、および書いてもらったジェノグラム(個々人の家族構成を祖父母や曽祖父母の代くらいまで遡って記載したもの)情報とから総合的に診療し、必要な薬と心の持ち方、日々の生活習慣などを一通り所見として出力するようなシステム。

そんなシステムがあるといいのになあ。

 

…………………………

 

本当にあるといいかなあ?

…本当にそんなシステムがあって、購入するお金があったとして、私は購入するだろうか……きっと、最後まで購入しない口だろうなぁ……。

あるといいですね、とか言っておきながら、何なんでしょうね。

 

当ブログの最初の方でも記載しましたが、これを読む対象の一人として想定しているのは、ずっと昔、猜疑心と侮蔑心の塊になって、闇の中を這いずり回っていた頃の私と、今もしかしたらそうした状態にあるかもしれないもう一人の私であるあなたです。何とかこの苦しみを、痛みを、その理由を知りたいと思い続けてきた身にとって、このシステムで痛みの場所がわかりますよ、というメッセージは、痛みの裏側に隠れた望みを何も満たすことなく、痛みどもども消し去ってしまいかねない……気がするんですよね。

 

ありもしない装置をでっちあげて一説ぶってしまいました。すいません。

心の中をビジュアルに見れないかなと不埒なことを考えながら、胃カメラとかレントゲンのことをググっていて、そんなことを考えてしまったんです。

 

ちなみに、胃カメラとレントゲン。↓こんな感じ↓です。

 

胃カメラ(内視鏡)は、1950年に大手光学機器メーカーであるオリンパス社が東大の医師らと試作機を開発し、実用化にこぎつけています。もともと1898年にドイツの医師が開発しようとして断念した経緯があったので、発想自体はそちらのようです。

胃カメラの開発により、口から胃までの臓器の一部をビジュアルにとらえることができるようになって、癌及びその関連の予防に大きく貢献しました。

 

お勤めの方は年1回受けられていると思いますが、健康診断では胸のレントゲンをとります。X線を照射し、透過した光線をフィルム上で可視化するという原理です。これにより、肺を中心とする呼吸器系の状態を間接的ではありますがビジュアル化してみることが可能になりました。骨折で手足腰なども撮影されるのはご存知の通りです。CTスキャンもX線を利用するという意味では同じ原理ですね。他にも、磁場照射を行うMRIなども、今ではごく当たり前に用いられるようになってきています。

 

最初に、心のレントゲンについてふれましたが、実際のところ、私たちは道具として心を映す鏡を持っていません。あるのは、ゲームや物語、そしてある種の本の中くらいです。

ですが、社会と接し、人と交わる中で、自分の心の中を心身に埋め込まれたセンサーによって、何をどう感じ、どういう状況にあるかを自分なりに推測することはできます。それが本当に事実かどうか、どこまで正しいかは、それこそ中を見てみないとわからないのかもしれませんが。

ただ、生きづらさ、行き詰まり感、混乱といった状況を感じて、それが日々の生活や生きることそのものを阻害していると感じるなら、あるいは、人と衝突したり、楽しさの欠片もない暮らしだったり、自分で自分を傷つけ続ける日々を送っていたりするのなら、そのときは、何らかの処方(変化)が必要なサインではあるでしょう。

対処の方法はいろいろありますが、ちょうど自分の容姿のお手入れを行うように、あるいは見せても恥ずかしくない人の前で行うように、自分の内側を覗き、自分自身と向き合うプロセスを必要とすることは言うまでもありません。見えないもの、見えないけれど感じられるものとその感覚、それらの大切さと向き合うこと、そして自分を大切に生きられるように変化していくことを、より強く求め、実践・実現していくことが、私たちが望んでいることだからです。それはまた、21世紀が心の世紀と言われる所以でもあると思います。

 

前述の心の解析を行うシステムとは関係ありませんが、子供のころ、国語の授業か何かで、悩みを取り除く機械の話を読んだことがあります。詳細は忘れましたが、以下のような話だったと思います。

ある先生が作った箱型のその機械を、悩みを持った人に頭からすっぽりと被せると、どこからかは忘れましたが悩みが砂となって流れ出てくるのです。砂が流れ終わり、かぶせた箱を取り除くと、箱をかぶせられた当人はとてもすっきりして、ルンルン気分で帰っていきます(ルンルンとは表現されていませんでしたが)。

ある時、その機械を作った先生自身が箱を被ることになりました。先生が箱を被ってしばらくすると、砂が流れ出しました。砂はそれまで箱を被ったどの人よりも長く流れ出続けます。やがて砂は、先生の姿も飲み込んでしまってもまだ流れ続けていました。

結局、悩みを解消する機械を作った先生自身がもっとも悩みをため込んでいた、という落ちだったような記憶がシュールな感覚の名残とともに残っています。

 

クライアントの悩みに寄り添い、共感とともに彼・彼女が求める未来へ少しでも近づけるようにサポートすることは、カウンセラーの基本像だと考えています。もしかしたら、それはカウンセラーという立場以外の何かであるかもしれません。

一つだけ言えることは、継続の大切さです。

いつも述べるように、自分を受け入れることの大切さは継続の中に効用を見出せるものです。心に寄り添う立場もまた同じだと思います。

続ける中に変化が生じ、学びがあり、喜びがあり、自分の色があり、つながりが生まれます。それがまた、変化を呼び、自分や他者、世の中とのつながりを増していくのです。

自分の悩みで自身の姿が見えなくなってしまわないよう、私と、そして私と相談する方々の心の悩み・痛みに継続して寄り添えればと思います。

 

ー今回の表紙画像ー

『夜空がモニターにならないかな』