先日DVDを見ていて、子供の頃にした家出の
ことを思い出していました。
視聴していたDVDは、ジェレミーブレット演じる
グラナダTV版シャーロックホームズシリーズ。
第14話の作品で、モリアーティ教授との死闘で
谷に転落して絶命したはずのホームズが復活する
『The Empty House空き家の怪事件』でした。
いなくなったホームズが突然現れたときの
ワトソン博士の失神した演技を見ていて、
不意に記憶が蘇って、
家出の話につながったというわけです。
なんと突発的な記憶の取り出し方だろう、と
我ながらあきれてしまいますが、
同時に、三つ子の魂百までというか、
自分らしいなとも思います。
余談ですが、私がカウンセラーの資格を取った
某機関の精神科医曰く、シャーロックホームズは
AC(Adult Childrenアダルトチルドレン)だとか。
確かに専門的には、そういう見方もできるでしょうが、
そんなところまで持ち出すかなあというのが
当時の(今もですが)感想でした。
銀英伝のラインハルトにしても、
ACと言われれば、確かに理解のための例としては
わかりやすいかもしれない。
あんまりそういうあてはめ方はしたくありませんが。
私の最初の家出は小学4年生、10歳の時で、
お昼から数時間ほどの決行でした。
遊びに行った?
いやいや、本人にとっては立派な家出だったんです。
母親との喧嘩がきっかけだったかな。
我が家は父が勤める会社の社宅(アパート)でしたが、
その南側には各家庭用の花壇があって、
さらにその南と東側には古い一軒家の民家が
広がっていました(これも会社の社宅)。
木塀が仕切りとして設けられ、
南北方向に2軒、路地を挟んでまた2軒
東西方向には、おそらく10軒ほども
建ち並んでいたと思います。
つまり、東西方向に10軒建ち並んだ民家が
南東方向に路地を挟んで2列ずつ、
計40棟あったことになります。
家出の間に私が足を踏み入れたのは
そんな庭付き住宅群の中にある1軒の空き家で、
そこは庭も玄関前も草ぼうぼうの状態でした。
空き家は、ぽつんと1軒だけのものもあったし、
隣り合っていたり斜め先の位置に連なっていた
こともありました。
その頃いつもつるんでいたクラスメートのD君が
なぜか一緒だったのですが理由は思い出せません。
なぜか、と言ったのは、
確か彼は少し離れた所に住んでいて
家出の時に遊ぶ約束などしていなかったはずだからです。
やっぱり遊びにいたんじゃ…?
だから違います!
空き家の判断の基準は、一言でいえば雰囲気、
つまり人の気配が全くない、ことでした。
表札がない、
雨戸が閉まってない、
カーテンがついてない
窓ガラスが薄汚れている
など、いくつかあって、
庭の草が生い茂って手入れされてないことも
その一つでした。
そういった空き家が何件もある状態で放置していた
というのは、おおらかな時代でしたね。
D君と私は冒険と称してある空き家に踏み込みました。
(読まれている方、決してマネしないでください)
玄関口から堂々と忍び込み、
庭の草むらをガサゴソと蠢いて角まで来ると、
そこから斜め先の空き家に向かうことにしました。
庭の角から斜め先の空き家に移動するには、
右か左かどちらかの家の庭を経由しなければなりません。
木塀は下側に子供が潜れるだけの隙間が空いていたので、
そこから移動できました。
選択したのは右側の庭経由のルートでした。
塀の一部が崩れていて、
おっとりとしてふくよかなD君も
通り抜ける隙間があったからです。
我々はそうやって一瞬の不法侵入の後、
無事、次の空き家へ移動しました。
(繰り返しますが、決してマネしないでください)
移動し終えたころには既に
自分たちの位置関係はどこかに消し飛んでいて、
二人でひたすらにガサゴソと動きました。
斜め先、横と動いて出た路地は予想外の場所で、
裏通りにある公園までの近道であることが判明して
とても感動しました。
その満足のせいか、
日が暮れて自然に家が足に向くことを
促してくれたように思います。
結局、遊びに行った?
いえ、だから違うんです。
ちょうど、金八先生と漫才がブームでしたね。
その後、繰り返した中学高校の家出は、
いずれも友達の家に逃げ込むようなものでしたが、
10歳の時同様に、突発的に実行するものだから、
親はずいぶん面食らっていたようです。
実際、家出と呼ぶかどうかはともかく、
そうやって行動したのは
今よりずっと自然の生き物に近かったことも
あるように思います。
原家族に諸々あって心理の世界にたどり着き、
心理の世界を学んで得た知識はとても大切で、
カウンセラーになるための勉強をしていた時期には
それらをのめりこむように吸収したけれど、
一方でその時の自分の存在に
十分条件を見出すことがなかなかできませんでした。
それがある時、好きでいつも情報を集めていた
経済、歴史、国際関係、比較文化論などが、
(もちろん漫画や映画なども関係します)
徐々に頭の中で融合される感覚と、
自分の中で疑問符がついたままだった
いくつもの事象がつながりだした感覚がありました。
裏を返せば、それまでの知見を結びつける役割を、
心理の知識が果たしてくれたわけです。
知識が感覚的につながる体感によって、
自分が許されたと感じられました。
おかしな表現ですが、
しっくりくるのでそのまま書きます。
自分の過去や現在などは
決して単独で存在しているのではなく、
世界との関連性の一部に組み込まれている。
それは自分がそのまま世界の一部であって、
自分が影響を受けるように、
世界もまた生きている自分の影響を受けている
と感じた一瞬でした。
その気づきというか啓示のような感覚は、
私が心理カウンセリングの知に携わる時間を
楽しくしてくれていると思います。
忘れたり、見失ったことは、
年を経るほどにあると思います。
でも、こと記憶に関する限り、
失ったものはないはずです。
それらの中には、
思い出す必要がないものもあれば、
自分に勇気を与えてくれる記憶を
蘇らせることが望ましいものもあるでしょう。
しかし、幼少期から少年少女期について、
思い出す必要がある人ほど
どこかでバカにしているか、
なかったことにしているか、
のどちらかであるように思えます。
「なくしてなんかいないって。
ほらそこで、友達としゃべったり、
虫取りしたり、
笑っているよ」
子供の私が投げかけてくるイメージです。
おりしも時代はコロナで
先が見えなくなっています。
こんなときだから、
自分がかつて歩んだ最良の部分を
見つめることをしてみてはいかがでしょうか。
ー今回の表紙画像ー
『国道1号 横浜駅横』 まだ交通量は少ないみたい
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