大学を出て、
とあるメーカーの研究所に勤め出したのが
私の社会人としてのスタートでした。
バブルがはじけていたため、
あちこちで企業が悲鳴を上げていましたが、
幸運なことに私が入社した会社は
ビジネスモデルがよかったこともあって、
さしたる影響もなかったため、
しっかりと不信を胸のうちに抱えた
不実な若造を雇うことを決めて、
業務に必要な教育を施してくれました。
信頼性工学、知的財産権、マーケティング等
技術を中心に学生の頃に学んだ内容とは
異なった視点からも、
グローバルな社会を生き抜くために
必要な基礎知識を中心に、
時間とコストを割いてもらっていました。
当然と言うべきか、
若造の私はその位置づけを理解しておらず、
いえ、頭では理解していても
マインド的には全く追従しておらず、
心ここにあらずの状態で
講義を聴き、実習には消極的でした。
このブログでは何度もお話ししているように、
学生の頃に原家族が破綻して以降、
胸の中に得体の知れない闇が広がっていて、
とても苦しんでいたことが、
一連の態度に大きく影響していました。
社会人になってからは、
連日連夜電話で強制的に聞かされる
母からの呪詛の言葉が、
自分がこの世に生きていることを
呪う叫びのようにも感じられ、
会社でも家でもその叫びをフィルタとして
周囲の情報をキャッチしていたため、
常に怒りと不安を抱えているとともに、
学ぶことは心ここにあらずの状態で
身に着けるべきものが身につきませんでした。
★
とある教育を受講した時のことでした。
教育は簡単な試験を実施し、
合格すると修了の資格を得て
日常の業務に戻るのですが、
同期の数人と受けた教育の修了試験で
私だけが不合格になったことがありました。
試験は難しくないのですが、
会社のルールとして、
修了資格を得てはじめて、
業務に使用する機器を制御したり、
書類の発行資格としたり、
といったことになっているので、
簡単だろうが何だろうが、
とにかく資格を得ることこそが
必要でした。
そして、普通は、
まず落ちることのない試験もであるのです。
というより、
体調不良とか家族の不幸で欠席など
特別の事情でもない限り、
過去にも例がない結果です。
上司も先輩諸氏も何が起こったのかと
いう目で私の方を見る始末。
一緒に試験を受けた同僚もまたしかり。
この若造は、
勤務姿勢は良くないかもしれないが、
そういう方面の能力までもが
よろしくないわけではないだろうという
暗黙の了解が消えかかった出来事でも
ありました。
私はと言えば、
悔しいやら、恥ずかしいやら、腹が立つやらで
自分でも何がどうしてこうなったのか
分からない始末。
普段が普段だったこともあって、
揶揄の声や冷笑を浴びせられたり
と言ったことが重なり、
それがますます、
悔しさや恥ずかしさや腹立たしさの感情を
助長しました。
★
今振り返れば、
その程度のことなど、
何ということもないのですが、
自己の誇大化を抱えていたからでしょう、
具体的な何かもわからないまま
自分を取り繕うことに必死で、
自分の中では、
その頃の原家族の状況などが原因で
こんな結果になってしまったのだ、と
正当化していました。
これは自分が悪いのではなくて、
睡眠不足や心の混乱を招いた
原家族の問題のせいだ、
他の人だって同じ境遇になれば
間違いなく混乱し、集中力をなくし
同じ結果になるはずだ…。
もちろんそんなことを口に出して
言えるはずもなく、
傍から不遜としか見えない態度で
反省の態度も見せないまま
相変わらずの勤務態度で
仕事をしていました。
内心では、
誰に対して取り繕っているのかさえ
実は理解できていないまま、
思い出すたびに
自分が間違ってないことを自分自身に、
一生懸命言い聞かせている自分がいました。
★
若い頃にあった、
自己正当化の1つの出来事について
触れましたが、
似たようなことは
思い出していないだけでいくつかあったと
思います。
とにかく、自分の失敗によって
思い通りの結果が得られないと、
何かと取り繕い、正当化していた頃があって、
その正当化こそが結果として
どれほど自分で自分を蔑み貶めていたか、
ということを
「思い出す」までに時間がかかりました。
そう、ある程度の年齢になれば
未成年であってもそれが不利益になることを
理解していたはずなのですが、
それすらできなくなっていた…。
結局のところ、
自分を正当化している間、
表面上ではあっても、
一見自分を庇おうとしているようでいて、
実は、素の自分が
放置されたまま守られていない
状態になっています。
自己正当化することが意味するのは
他者の目に合わせようとする行為であって、
その間そこで生じた、
良くも悪くも素の自分は
“悪”として隠されようとしているわけです。
少し話がそれますが、
言い訳は時には必要なことだと思います。
完璧な人などいないのだから、
ちょっと視点をずらしたり、
ガス抜きをするために、
ぽろりとぼやくくらい全然かまわないと
私自身は思います。
ただ、そういったこととは別に、
その時、本当に必要だったことは、
失敗を認め、
そこで悔しさ、恥ずかしさ、腹立ちをする
自分を認めて、
しっかりと抱きとめ、受容することでした。
人の目など二の次だということです。
本当に原家族の問題で苦しんで
それが招いた一因ならば、
それをしっかりと理解した上で、
結果に打ちひしがれた自分に向けて
理由はどうあれ、
まずはご苦労さん、できる範囲でよくやった
と伝えること、
その上で、
そのままこの場で踏ん張るなら、
少しでも自分が本領を発揮できる術を
心の調整も含めて考えたり、
そもそも今の仕事や働き方が合わないと
切に感じているなら、
別の道を探るなり休みを取るなり
といった相談を自分としてみたり、
することだったと思います。
自分自身であることこそが
最善の人生を歩むことになるのだから、
良くない自分を人からも自分からも
隠したまま取り繕うのは
逆効果にしかならないのではない。
そんなことを思い出すことがあった、
という話でした。
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