避けたいけれど、
何とかしたいけれど、
今日もまた、
そうなってしまった、
そんな状況が続くことがあります。
今日もまた、
上司から怒鳴り散らされてしまった、
気持ちが落ちてきってしまった、
嫌いな輩への怒りに苛まれてしまった、
一人孤独に生きてしまった、
いや、
そんな明確な
回復を目指したことではなくとも、
どうにも嫌な時間、
苦しい時間が続いて、
それが永遠に続くような感覚から
逃れられなかった、
というようなことです。
しかも、
そういった状況の本質を
寂しい、とか、哀しい、と
気づくこともできないまま、
そんな状態です。
そしてまた、
叱られながら、
焦りながら、
どうでもいいと思いながら、
生きていく上で、
本当のほんとうは
さして重要ではないはずの
周囲の評価とか
幾ばくかのお金や地位にこだわって
人と衝突し、
見栄をはり、
必要かどうかも検討しないまま、
頑張りを演じてしまう。
本当のところ、
何のためにそうしているのでしょうね。
会社の中のステータスなのか、
生活費のためなのか、
資格を得るためなのか、
インスタの見栄えのためなのか…。
誰に言い訳するわけでもなく
もっともらしい理由を考えてみるけれど、
冷静になるほどに
何だか嘘くさい気もしてしまいます。
いえ、まじめに考えているのだけど、
何かに気づくことが着ないまま、
どこかで自分を偽った理由付けをしている、
そんな感じでしょうか。
おそらくそれは、
どれほど筋が通ったことを考えようとも、
根っこが自分と繋がった生き方に
なっていないからだと思います。
そんなことを聞かされたところで、
今の生活を放棄しろというのか、
と言われるかもしれませんが、
決して、
日常を放棄しろとか、
さっさと今の仕事を辞めましょうとか、
そういうことではありません。
反対に、
今に集中すべし、と仕事を頑張れとか、
人の関係をただせとか
申し上げたいわけでもありません。
ただ、ただ、
自分と繋がること。
この一言を心の中にしみ込ませ、
落ち着いて、信じて、実践してみること。
それに尽きるということです。
自分と繋がるとは、
自分が心の奥底で感じていること、
記憶していること、
そして、
求めていることを
知ること、
というより、
感じ取ることです。
今が苦しくて仕方なくて、
とっととそこから抜け出たくて、
吐き気さえするほど嫌でたまらなくて、
でも、なぜか、そこにいるということは、
あなた自身にとっての
理由があるのではないでしょうか。
あなたが今、日々の生活の中で、
歌っている歌は、
舞っているダンスは、
奏でているメロディは、
本当に今も心から納得している
あなた自身の選択なのでしょうか。
ここに、
年齢や性別は関係ありません。
例えあなたが、
20歳だとしても、
40歳だとしても、
60歳だとしても、
80歳だとしても、
本来、嫌なものは嫌なはずですよね。
とは言ったものの、
本当の自分なるものを
どうやって感じたらいいのかわからない、
というのも一片の真実かもしれません。
あるいは、
まずは試そうと言われたところで、
何をどう試せばいいのかわからない、
ということかも。
しつこいようですが、
ここで申し上げたい、
自分と繋がることには、
年齢も性別も関係ありません。
このようなことは、
そうなるときにはそうなりますし、
気づかない限りそのままなのです。
何か苦しい日々なのだけれど、
ずっとそこに居続けるというのは、
それ以外の道を選択すること、
転換することを、
意識の俎上に挙げない限り、
死が訪れるまで、
続くことだからです。
自分と繋がること、今が苦しいこと、
それらの意味は、
こんなことではないでしょうか。
最初に、
今のあなたをそう感じさせること、
つまり、
悲しみや苦しみ、憤りなどの感情を
わきだたせるものが、
何との対比で生じているのかを
理解しましょう。
なぜそれほど、
悲しいのか、苦しいのか、腹が立つのか、を
今目の前の出来事ではなく、
過去を遡って見つめてみれば、
自分らしく居られた場所と時間を
しっかりと覚えているから、
ではないでしょうか。
それは、
何かをしていた時かもしれないし、
誰かといた時かもしれないし、
一人で佇んでいた時間かもしれないけれど、
少なくとも、そういった自分を
自分でしっかりと抱きとめ、
受け入れていた時間と場所を、
今もまだ、胸の奥底に、
しっかりと根付かさせているから、
ではないかと思うのです。
それを思い出すことです。
その感覚をしっかりと思い出して、
その時間と場所にあったあなたが、
自分そのものであったことを
身体の感覚として、
胸の中の感動として、
可能ならリアルな風景として、
蘇らせることです。
その上で、
そんな時間と場所と、
それらを与えてくれた人や環境に
感謝すること。
そして、同時に、
そこにしがみ付かないこと。
感謝するということは、
自らに内在化した、
その時間と場所を
これからを生き抜く力に変えることです。
すると、
感動とか平安とか落ち着きとは別に、
自然に自分の中から湧き上がってくる
何かを感じるようになります。
それは、
感動とか平安とか落ち着きをもたらした、
かつてのあなた自身がベースとなって
もう一度自分の人生を歩みたい、
という切なる願いを行動にうつす欲求とでも
言えばいいでしょうか。
少なくとも、
それを求めて試行錯誤したくなるんです。
試してみたくなるのです。
チャレンジしてみたくなるのです。
そしていつか、
自分の時間と場所にたどり着く。
その時になって分かるのは、
たどり着いたその時間と場所が
自分が歌う歌だった、
ということではありません。
そこにたどり着くまでの過程、
重い悩みながらも、
試行錯誤して試し、失敗し、勝ち取り、
また次に向かう、
そういった一連のプロセスこそが、
あなた自身が歌い続けた歌だ、
ということです。
その時、
かつて与えられた親の歌は
日常の背後に溶け込んで、
あなた自身が歌う歌のサポートに
まわっているでしょう。
もちろん、
たどり着いて次の歩みを始めた後も、
きっと親の歌、家族の歌は
滲んではいるでしょう。
でも、その底流には、
既に自分のための歌が流れ続けているから、
多少苦しかろうが寂しかろうが
人生から目を背けたくなることは
ありません。
自分そのものを蘇らせて、
自分で感じたことをもとに試してつかむ、
そのプロセスを自分のメロディというのです。
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ー今回の表紙画像ー
『街の夕景』
2日前の街の公園の夕景。
落ち着いた冬の夕方の静かな景色。
久々に真っ白になった。
いつもほどではないけれど、家族連れが出ていて、
子どもたちが雪で遊んでいた。
遊水地横の公園では、子供たちがサッカーに興じていたけれど、
遊水地のカモさんたちは、餌を求めてうろうろ。
遊歩道では、こちらが近づいたのも気にせず?
鳩さんが餌探し。
遠くの方にはコサギがうろうろ。
帰り道では、近くに寄っても雀たちが逃げることなく、
餌をついばんでいた。
そんな雪の一日でした。。。

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