きちんと寄り添ってね

日々の棚卸

 

拙ブログでは何度か、

被害者で居続けることの弊害について

述べています。

人は誰でも被害を受けたくないし、

被害を受けたら腹を立てるし、

もちろん哀しくもなる。

上司が部下に権力を振りかざし、

夫が妻に、男が女に、腕力をふるい、

親が子に権威を押し付け、

大勢で一人を糾弾し、

そうやって、

表面上の信用を盾に、

力の劣った者に対して、

理不尽な仕打ちをすれば、

受けた方は、

これ以上そうされないように

取り計らうか、

逃げるか、

やめるように抗議するか、

何らかの策を弄する。

そうすることが望ましいし、

必要だと思います。

自分のことをまず自分で守ることは、

たとえ限度があるにしても、

何にも増して大切なことだからです。

 

ただ、

被害を受けたことを相手にわからせて、

相手を反省させて、

あわよくば相手をその方法で傷つけ、

追い込めようとするがゆえに、

被害者で居続ける人もまた少なくなく、

それをやって戦おうとしているうちは、

自分も人生を放棄していることに気づかず、

何よりその振舞い方は、

相手と“同じ”方法をとっているということを

理解していないとも言えます。

少々辛辣だけど、

そこに気づけるかどうかが、

自分の苦しみ、悲しみ、怒りからの

解放にむけた

ファーストステップだから、

言葉を濁さずお伝えしたいことです。

 

一方で、それが

被害から脱出する過程なのか、

被害者で居続ける行為なのかはともかく、

そこに至る以前に、

被害を受けたことそのものについては、

自分にきちんと寄り添わないと

自分を大切にしながら次へ進めないし、

下手をするとその時にある感情自体によって

自分を傷つけてしまうことになりかねません。

 

傷ついてしょげている友人や同僚、

特に大切な親友や恋人には、

つらかったね、

大変だったね、

腹が立つよね、

苦しいよね、

と寄り添いたいですよね。

共感し、

時には同情もし、

きちんとその感情に寄り添って、

一緒にいると感じてほしい、

そして早く元気になってほしい。

そうですよね。

 

では、

同じことを自分に対してきちんと

行っているかというと、

おそらく被害者で居続ける人ほど

それができていなかったりします。

そんなことはないだろう、

と思われるかもしれませんが、

それはメカニズムを考えれば、

別段不思議なことではありません。

自分に寄り添い、自分を抱きしめる、

そういったことができていないとき、

余程強い人以外は、

どこかで誰かにそうしてもらおうと

するわけで、

それは多くの場合、

自分を傷つけている相手だったりするから、

それが形を変えて出てしまうわけです。

 

自分が被害を受けたという

相手なり仕組みなりに対して、

恨みをぶつけて戦うことはしていても、

そこで傷ついた自分に寄り添うことが

できていないということ。

それは、

相手や仕組みが間違っているかどうか

ということとは別の問題です。

極論すれば、

相手が正しいか、自分の方が正しいか、

とも関係ありません。

自分に寄り添うことが自然に行えていない人は

生まれ育った家族の中で

自分に寄り添うことと、

それが人生の中でどれほど大切かということ

そしてどれほど自分を勇気づけるかを

体感的に学ぶ機会がなかったのだと思います。

かく言う私自身がそうでした。

 

与えられなかったものは

最初は

見えてこないかもしれません。

聞こえてこないかもしれなません。

感じられないかもしれません。

だけど、

信じれば生み出されてきます。

信じられないなら、

生み出されてくるものと決めてしまって下さい。

そんないい加減な、

そんな強引な、

と言われるかもしれませんが、

でも、それができなかったゆえに

自分も相手も想い通りにならないまま

行き詰ってしまっているんでしょう?

ならば、試してみるくらいはあっても

いいのではないでしょうか。

 

ふと感情が荒ぶることを感じるとき、

これまでならそのまま、

あるいは鬱々と表に出していたものを、

自分なりにしっかりやってきたんだよね、

よくここまで生きてきたよね、

今度はどうやって対処しようか、

ときちんと寄り添い、

寄り添った自分を感じてください。

こればかりは意識しないと始まりません。

もし、真摯に続ければ、

何かが自分を大切にする方に変わってきます。

何か、とは、

自分を取り巻く周囲の出来事や、

自分の発想や感覚、

そういったことで、

それらが必要な程度にあわせて

自分を大切にし、助けてくれるように

なっていくのを実感できるはずです。

 

自分に寄り添い続けること。

そりゃ同情だ、

と呼ぶ人にはそう言わせておけばいい。

もっとも外に出す行為や感情ではないはずだから、

そう呼ぶ人というのもまた自分ですが。

寄り添う、同情する、何でもいい。

被害を受けた自分、傷ついた自分のことは

きちんと受け入れ、大切な人にするように

接してください。

 

その際のコツは、

2つのことを少し横に置いて行うことです。

1つは、

腹を立てている相手のこと、仕組みのこと。

わかりますよね。

これらを何とかしようとするのは、

筋違い、余計なことです。

相手はあなたの神様ではないのだから

あなたに被害を与える権利などないように、

あなたもまた相手の神様ではないのだから

怒りや苛立ちに任せて、

個人で何かをしようとするのは時間の無駄です。

もう1つは、

腹を立てて、恨みを抱いている自分自身。

実はこちらの方が大きく、そして厄介です。

なかなか脇に置いておけない。

これを満たそうと勘違いしている人が多くて、

被害者合戦が始まります。

最後は共倒れです。

そうまでして何かを学びたいのかもしれませんが、

とても危険ですし、これもまた時間の無駄です。

 

寄り添い、落ち着き、

ちょっと視線を別の方向に向けて、

美しいもの、楽しいもの、気持ちのいいものを

探してみませんか。

 

ー今回の表紙画像ー

『午後五時の青空』

飛行機雲と三日月が写ってるんだけど…見えないな。