いつかいなくなる

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これを読んだ今日1日の行動を

振り返ってみてください。

 

そして、

自分が居た場所と、

そこで幾ばくかの交流があった人を

思い出してみてください。

 

どういうことかというと、

例えば会社勤めの方の出社日なら、

こんな感じです。

 

最初に、1日を追います。

 

朝起きて家族と食事をする、

 

歯を磨いて着替えて家を出て、

電車やバスに乗って出勤する、

 

会社に到着したら、仕事をして、

同僚や上司や部下と

コミュニケーションをとって、

 

顧客先でビジネスランチを取って、

午後は他の顧客先を回って帰社、

 

報告書を作成し終えたら帰路につき、

英会話教室で話をして、

少しだけ家の近所のジムで汗を流して、

それからスーパーで買い物を済ませる、

 

帰宅して、

少し遅い夕飯を食べて、

少しだけ起きていた家族と話をして、

それから風呂に入って眠る。

 

この1日で居た場所を挙げると、

家(自宅)、通勤電車(バス)、会社、

顧客先、スーパー、英会話教室、ジム、

 

となります。

 

それぞれの場所で会っているのは、

 

家族、いつもの通勤時間の人々、

会社の人々、各お客様、

英会話教室の先生と生徒、

ジムで汗を流す知り合いや

インストラクター、

スーパーの店員さんたち。

 

家族を持っているかどうか、

仕事内容や勤め先、

趣味や運動の程度、

平日のルーチンなどで

 

多少は差異があるかもしれませんが、

ごくありふれた日常だと思います。

 

さて、

あなたが今のその町のその家に暮らして

どのくらいの歳月が流れたでしょうか。

 

その間に、

そこに居たあなたと同じように、

普通に暮らす人々とどのくらい接して、

どんな話をしたでしょうか。

 

そして、その場所が、

あなたの居た場所であることを

あなた自身はどのくらい

認識しているでしょうか。

 

 

暮らす場所が変わることがあります。

 

賃貸か持ち家かにもよりますが、

転勤や借りていた部屋のリフォームなどで

暮らす場所を変えざるを得ない、

そんなケースがあります。

 

もちろん、気分転換に

引っ越しをする方もいるでしょう。

 

ともかくも、

移動して新しく暮らし出した場所で、

そこにはまた前と同じように、

あなたが居る場所と接する人々ができます。

 

きっとさらにその後も、

つまりまた新しい場所で暮らしても

きっと同じでしょう。

 

つまり、

今生きている場所があって、

これまで生きてきた場所があって、

これから生きる場所もあるということです。

 

同じように、

これまで生きてくる中で

接した人々がいます。

今ももちろんいるし、

これからもまたしかり。

 

そして最後に死が訪れると、

その時の取り巻いていた人々と、

繋がりを保っていた人々から、

去っていきます。

 

当然ながら、最後に居た場所からも

去っていきます。

 

何をわかりきったことを、

そう思われるかもしれませんが、

最後に、と書いた通り、

最後以外は、死以外にも常に、

 

いつかそこからいなくなるわけです。

いつか彼ら・彼女らから去っていくわけです。

 

それは同時に、

あなたもまた、去られる側の人でもある、

ということです。

 

 

ここから書くことは

別に啓発や道徳についての話では

全くもってありません。

 

ただ、こういう見方があって、

それがあなたの日常を『彩っている』、

 

人や場所とのかかわりを

味気ないものにしてしまっている可能性に

言及する試みとでもいえばいいでしょうか。

 

私たちが有する負の感情の中でも、

怒りや苛立ちなどの感情の根底には、

常に寂しさが付きまとうことがあります。

 

怒りの感情は単独で存在するということは

まずありません。

 

それは往々にして、寂しさや哀しさの感情の

メタファとして登場します。

 

寂しさ、哀しさの感情を

きちんと感じられないまま、

得体の知れない存在に転化させ、

 

そこに生じるギャップを埋められない、

ギャップが苦しいと感じる時、

怒りの感情となって登場します。

 

その時には残念ながら、

怒りの感情は正しい相手に向けられることは

まずありえません。

 

まさに感情がもたらす

『フェイク』と言っていいでしょう。

 

この状況は、当然のことながら

訳が分からないが故に、

あなた自身を苦しめ、

 

余計なことに時間を費やし、

そしてその状態を放置しておくことで

徐々に人生を蝕んでいきます。

 

一歩下がって、

自分を大切にするために、

あなたの居る場所と

あなたが接する人々について

肯定的に受け止めて、

 

今日を生きることの補助線と

できないでしょうか。

 

これは

私自身への問いかけでもあるわけですが。

 

私たちはすべからく、

生まれて、生きて、死にます。

 

これはもう揺るぎようのない事実です。

 

その中で、

今あなたが暮らす場所、居る場所、

あなたが接する人々は、

そして何より他ならぬあなた自身も

 

やがて、

いつかいなくなります。

 

もちろん中には

そこに居るのが良くない場所もあれば、

一緒に居るのが苦しい人もいるでしょう。

 

ただ、限られた時間の中で

そんな場所や人に心を捕らわれて

無為な時間を費やすくらいなら、

 

いつかいなくなる

 

そのことを心において

一瞬一瞬を生きようとすることが

実は自分のまま楽に生きることを

実現するのかもしれません。

 

このブログは8/15に書きました。

終戦記念日です。

 

 

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