動かなきゃ。
そう思うようになるときが来ると。
当然ながら、
動くことを考えるようになります。
そう思うようになる理由は、
自分を変えたい、
日常を変えたい、
人生を変えたい、
そういうことでだと思います。
そんな大げさなことなんて、と言う方も
中にはいらっしゃるとしても、
よくよく突き詰めていけば、
生きること、生き方を変える、
と言うことに帰結するのではないでしょうか。
もっと
気持ちよく生きたい、
やりたいことをやって生きたい、
自分を好きになりたい、
大金持ちになりたい、
世の中、少なくとも周囲から認められたい、
勤めない仕事がしたい、
悔いのない時間を過ごしたい、
恐れを克服していきたい、
心が満たされる生き方をしたい、
……
動こうとする理由は
いくらでも出てきそうです。
でも、なかなかうまくいかない、
と言う方も少なくありません。
あれ?
実はこの理由というか動機、
自分はそれほど感じていなかった?
そして、やっぱり駄目かな、とか、
動いても仕方ない、
動く時期ではなかったのかも、
などと感じるようになります。
ではこの理由というか動機、
間違っていたのでしょうか。
私にはよくわかりませんが、
1つだけ、次のことは言えるのでは
ないでしょうか。
つまり、
人を、あるいは何かを愛することができる
状態にないと感じるならば、
それは動くべき時がきている、
ということです。
★
さて、
実際に動こうとして、あるいは動いて、
満足のいく結果が出るに
こしたことはありません。
ただ私の場合がそうだったのですが、
以下の2つの壁が
立ちはだかりることがあります。
- そもそも動けない
- 動いても結果が出ない
それぞれこんな感じでした。
- の場合、一番良いのは、
最良の形がすぐに見つかれば、
動くことができるようになるかもしれない、
ということですが、
それがわかれば、気づければ、
苦労はしない、というもの。
だから、動けないという場合、
まずは兎にも角にも動き始めること、
そこからです。
少なくとも、動く、と言う意識はできている、
だから次は
“とりあえず”目標を置いて、
“とりあえず”最初の一歩、
1アクションを行うこと。
それは例えてみれば、
座布団に胡坐をかいている状態から、
お尻の筋肉を使って
ジワッと横に移動してみる、
というイメージでしょうか。
ほんとうにそんなところからでよいのです。
“とりあえず”動く、
“とりあえず”動いてみる、
ということ。
“とりあえず”
と言う言葉を覚えてください。
最初から特上の結果を求めて
計算していると、
動けるものも動けません。
もう一つは、
『気づかないうちに』
人目を気にしてしまっていること、
これ自体はよく言われるのですが、
その本当の意味には
こんなことも含まれると思います。
お金がない(だから条件がそろわない)
やることを変える(受けそうだから)
と言う感じで、
自分の意思、想い、望みが歪んだ形で
動いてしまうことですね。
動くのは自分の想いに従うからこそ
意味を持つのですが、
これでは本末転倒です。
仮で構いません。
自分の胸のうちが
十分感じ取れないこともあるでしょう。
それでもここは、
まず自分自身で決めること、
そして“とりあえず”動いてみること、
です。
- 動いても結果が出ない
の場合も、
2つに分けられるかと思います。
一つは、文字通り、
期待した結果が得られないケース。
これは最初から最良の結果を望むことが
あるのであれば、
それも一つの原因です。
最悪でなければ、大損しなければ
それでいい、と言うくらいの緩い気構えで、
続けることに意識を向けましょう。
もう一つは、
動いて、何某かの結果まで得たけれど、
そのプロセスにも結果にも
心が動かされない、
特に続けたいと感じられない、
ということです。
単に自分がやりたいことや、
望んでいる行為ではなかった
ということはあるでしょう。
何度か繰り返してみて、それでも
求める結果ではない、ということであれば、
うまくいかないときには、
違うことを行ってみる、
は鉄則ですから、
別の新しいことを試みてみてください。
一方、何度かの挫折、苦い体験により、
単に面白くないとか結果に満足できない
と言うことの前に、
うまくいくこと、
楽しめるようになることに対する
怖れ、マインドブロックがある、
ということもありえます。
その場合には、
まずその対応が必要になるでしょう。
心理カウンセリングやコーチングを受ける、
心療内科に行く、
自助グループなどでシェアを行う、
など、
ご自身の内面を整理することを
行ってみてください。
また、往々にして、
長らく楽しむことを忘れていたが故に
知覚の退化が起こっていることも
考えられます。
大人になるほどに、
年齢を重ねるほどに、
ある種の形で見えてきてしまう
“症状”なのかもしれません。
これはもう、
自身の中にある過去と興味を総動員して
見つけ出していくことにつきますね。
全く新しい何かを試すのも一つの手ですが、
やはり子供の頃からを振り返り、
心の原風景、愛着の感覚を
蘇らせることだと思います。
自分が感動し、胸が打ち震えたり、
ワクワクドキドキが止まらなかったり、
気がついたら没頭していたり、
といった何かを
探し出し、
思い出し、
見つけ出したなら、
そこからはもう、
自動的に新しい人生が動き出しますから。
もしかすると
感動やドキドキや没頭とは異なる形で
見えてくることもあるかもしれません。
やらずにはおれない、
ある種の使命感を感じる、
そういった感覚となることもまた
あり得ることではないかと思います。
一貫しているのは、自分の中に、
他の誰でもない自分の人生の流れに沿った
自分の物語を感じられるようになることで、
そのためには
世の中がどうだろうと、
周囲の目を気にしすぎることなく、
自分の感覚を研ぎ澄ませて、
自分の感覚を信じられるようになることでは
ないかと思うのです。
平たく言うと、
自分自身を信じる、
それに尽きます。
焦らず、たゆまず、
いきなり大きな成果を求めず、
自分のペースで“動いて”いきましょう。
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『近所の青空』
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