悩みでこれ以上自分を痛めつけるのはやめる

日々の棚卸

 

社会人として働いていたり、

主婦(夫)として家を切り盛りしていたり、

親や子供の面倒を見ていたりすると、

 

自分の力不足に気づいて、

何とかしなくては、と思う時があります。

 

知識不足、

コミュニケーション不良、

気力が湧かない、

体力胆力がない、

調子にのってダメにする、

焦って何も手につかない、

など、

 

本当なら、

ありのままの自分をうまく活かして

さらりとやってのけたいのだけど、

 

何かと躓いてばかりで、

それが毎日のように起こることだから、

 

このままではまずいな、嫌だな、

そう思って

 

“何か”

 

を始めまることも少なくありません。

 

それは一時的になってしまうこともあるし、

継続して行うこともあるでしょう。

 

エクササイズで体を鍛える

仕事に足りない知識を学習する

仕事に必要な資格を取る

 

他者目線で話を合わせる(特に上司、夫、妻)

人の批判より自分の不足に反省する

自らを鼓舞し続ける

 

他にもいろいろあるでしょう。

 

日常の自分を少しでも良くしようと

振り返って努力したり、頑張ったりするのは

度を超えなければ良いことだと思います。

 

それによって、

新しい知識を得たり、

人の関係をスムーズにしたりして、

 

日々が良くなる、良い方向に回り出すなら

良いですよね。

 

ただ、人によっては傍から見てて明らかに

行き過ぎてしまったり、

解釈がゆがんでいたりして

 

自分のため、自分を良くするために

行っているはずのことが、

度を超えてしまい、

 

“自分をいじめている”ような状態に

なってしまっていることがあります。

 

子供を虐待する親が『躾』と称して

暴力を働いたり、

ひどい言葉を浴びせることによって、

 

あたかもその状態が

その子供の本質であるかのように

なってしまうこと、

 

つまり、そのままの自分では

生きている価値がなくて、

 

浴びせられるひどい言葉や

毎日振るわれる暴力に見合うような

生き方になっていくことと類似した

 

哀しい状態ですね。

 

何がそうさせたかは人それぞれ

理由があるのかもしれません。

 

前述の親の躾は、

物理的な暴力までいかなくとも、

 

期待で縛るという意味では、

もっともよくみられるパターンですが、

 

それ以外にも、

親を始めとする家族の影響は様々に大きく、

 

例えば、自分のことも省みず、

親の代わりに生活費を稼いでいたり、

 

親が悲しむからという理由で、

勉強と部活でよい成績を上げることに

躍起になった子供時代を送っていると、

 

自分に何かが足りないこと自体が

許せなかったり、

 

自分の力不足が不幸を招くという

おかしな感覚に囚われてしまい、

 

それがまるで自分をいじめるかのような

“努力”“頑張り”の理由になってしまって

いることがあったりします。

 

特に、

自分の不幸が不足を招く、という感覚は

既に家族内で起こっていたこと、

 

要するに、

自分が常に社会的に良い状態にないと

親を悲しませる、ということを

 

あたかもこれからも不幸が起こるかのように

勘違いして

既に気力も望みも枯れた状態になってまで

 

ほとんど不毛と化した努力、

自分を損なわせる人とのコミュニケーション、

資格のための資格の勉強

 

などに、

 

睡眠時間を削り、

食事を疎かにし、

大金をつぎ込んで、

 

ほとんど何の余力もない状態になってまで

始めたり、継続したりしています。

 

母子家庭で育ったある女性は、

高校まで常に上位3位以内という

優秀な成績だったのですが、

 

誰にも負けないことで母親を支えられると

勉強も運動も頑張っていたそうです。

 

彼女が大学受験の終盤に差し掛かった頃

母親に大きな借金があることがわかると、

彼女は大学をあきらめ、

 

夜の世界に足を踏み入れて

その借金を返し終えたのですが、

 

結局ある頃から働くことどころか

外出すらままならくなってしまった

という状態になっていました。

 

 

努力、頑張り、鼓舞、反省、勉強、

人に合わせること、鍛えることなど

一般的に良いとされることが

 

行き過ぎていないか、という視点を

書いてみました。

 

また、そうなる理由についても触れました。

 

もし、あなたが疲弊しているにもかかわらず、

休めなかったり、落ち着けなかったり、

取り付かれたように何かをしなければと焦っているなら、

 

なぜ自分がそうなっているのか、

何が自分をそうさせているのか、

 

振り返ってみることが

“何か”を学んだり始めたりするより、

優先ではないかと思います。

 

また、

視点がどうあれ、理由がどうあれ、

自分自身を痛めつけている、ということを

しっかりと認識しましょう。

 

そこまで自らを痛めつけて、

何かが良い方向に変わったことは

あったでしょうか。

 

それまでより、

 

苦しむ時間が増えて、

もっと生きづらくなり、

安らかな睡眠が削られただけではないでしょうか。

 

何に悩んでそうしているかはわかりませんが、

その大元の悩みを手放すことこそ

あなたが行うべきことかもしれませんね。

 

悩みで苦しんでいる心と体を

きちんと労ってみませんか。

 

やることを減らして、何もしない時間を持ち、

それを続けた結果湧いてくる感覚に

しっかりと寄り添うこと。

 

もしかすると、それで十分ではないでしょうか。

 

何かをすることよりも何かを辞めることは

実は脅迫的になっている身には

とても決断が難しいことです。

 

なぜなら何かをしている当人は、

脅迫的になっているとは思っていないからです。

 

あるいは、何かをすることが

胸の中に巣食っている不安や焦りや後悔を

束の間覆い隠してくれるからです。

 

でもやがて、巣食った感情は、

思い切り暴れ回り出すために、

疲弊が一層進んでしまうのですが。

 

自らを至り続けると、

暴れまわる不安や後悔や焦りの感情と

さらにその奥に居座っている本音と

 

静かに対峙する勇気が湧いてきます。

休むとは、そういうことなんです。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『今年初のハゼ(の空揚げ)』

ほんとは四国九州の写真をアップしようとしたのですが、

こっちも見てほしかった。。。

その日の夜に取ったテナガエビの空揚げ。