自分の感情の境界、自分の世界の境界

日々の棚卸

 

批判や嘲笑を受けるのは

誰にとっても嫌なものですよね。

 

自分が好きなことをしている時も、

職場の役割となっているから行う時も、

 

家事、仕事、友人付き合いなど、

何をしていても、どんな時であっても、

 

批判や嘲笑が好きな人はいないと思います。

 

心理療法や自己啓発の本などを読むと、

 

批判が迫ってきて苦しい時や、

嘲笑に心折れて孤立させられる時は、

 

『相手の感覚を中にいれないように、

しっかりと心に壁を作ってガードしよう』

などと記載されていたりします。

 

つまり、

ボクサーが両腕でパンチをガードするように

相手の攻撃をブロックするのですね。

 

あるいは、

 

セミナーやカウンセリングに赴いても、

同じようなことを聞いたりした方も

おられるかもしれません。

 

とある精神科医は、

頭の中で何度もリフレインさせるな、

と言っています。

 

本に書いたり、言葉にしたりした人が、

 

それらの主張を具体的に、

 

どういう方法で制御しようとしているのか、

どの程度有効性がわかっているのか、

検証済なのか、

 

訝ることもありますが、

 

それができて、効果があるのなら、

それに越したことはありません。

 

でも、私が知る限り、

その発想によって効果を得られていない方も

少なくないように思います。

 

 

繰り返しますが、批判を受けるのは

気持ちのいいものではありません。

 

慣れない仕事で即席の成果を求められて、

うまくいかないと怒鳴られたり、

 

伴侶や友人など、親密なはずの相手から、

自分の趣味や考えを嘲笑われたり、

 

といった状況が日常的になっているなら、

それは辛いですよね。

 

たまにであれば、

きっと誰にもあることだと思います。

 

でもこれが、日常的な状態であるならば、

誰にとってもきつい。

 

別の角度から言えば、

 

自分が自分をしっかりと守ることができる、

という認識や自信もない、

 

先に述べた心のガードの話であれば、

腕も体も痩せ細って攻撃のダメージを殺せない

ということではないでしょうか。

 

そんな状態では、

日々がとても苦しくなってしまうのは

仕方ないのかもしれません。

 

 

自分の本来の力を発揮し、

外界の事象に柔軟に対応できるとは、

 

自分の内側を

豊かに、パワフルに、しなやかにして、

 

自分自身であることが十分であると

理屈を超えて感じている結果です。

 

もしかすると、

心のガードがうまくいかないということは、

 

そんな状態に陥っているあなたに、

示唆を与えてくれていると

考えることもできるかもしれません。

 

一生懸命に生きてきたはずなのに、

なぜこんな状況に陥っているのだろう、と。

 

この状況は自分に何を伝えているのだろう、と。

 

『自分を押し殺して、

精一杯、周囲に合わせて生きてきて、

もうへとへと』なのに…

 

ではなく、『』だからこそ、

出現した状況なのかもしれません。

 

男/女らしくないと言われて、

やめてしまったことや、

手放してしまったものがあるでしょう。

 

そこまでいかなくても言われるがまま、

うなだれてばかりの状況、

を放置しているでしょう。

 

自分なりに考え、行動してきたこと、

愛したこと、愛しさを感じたもの、

 

そして、

ここまで何とか生きてきた自分そのもの、

 

それらを一つ一つ思い出し、

くだらない、馬鹿げている、格好悪い、

と考えずに、

 

その時々の臨場感と一体化することを

あきらめずに行うと、

 

自分の内側が満たされていきます

 

これは、とても、

本当にとても重要なことです。

 

心がボロボロになって、

魂がふらふらになって、

周囲に怯えているまま、

 

“別の何か”を探し当てようとしても

結局は“別の同じ”ところに

行きつくだけであることが多いものです。

 

自分の内側が満たされてくると、

確固とした自分を感じ取り、

 

その自分にOKを出している自分をも、

感じられるようになります。

 

多少なりとも感じていない人にとっては

心のガードの話同様、

抽象的に感じられるかもしれません。

 

ですが、結局のところ、

ここまで述べてきた必要なこと、

 

つまり、自分の内側を満たすべく

思い出す必要がある臨場性を

知っているのはあなただけであり、

 

それを蘇らせることができるのもまた、

あなただけなのです。

 

当然ですが、心身の危険があるようなら

まず逃げること、安全を確保することを

優先しましょう。

 

ある程度の安全な時間と空間がないと、

自分を取り戻すも何もあったものでは

ありませんからね。

 

その上で考えていただきたいのは、

私たちが抱える感情の境界、

私たちの中にある世界の境界のことです。

 

何度か、ベイトソンの

杖を突いて歩く盲目の人の話を引用して

 

その人にとっての“自己”とは

どこまでを指すのか、という命題について

触れたことがあります。

 

つまり、自己の境界の線引きとして、

杖の先か、杖を握る手か、あるいは別の場所か、

ということです。

 

ベイトソンの答えは、

そんな線引きはナンセンスだ、

というものでした。

 

彼(彼女)は歩く土台、杖が触れる先など、

全体を通して得られるメッセージを

フィードバックして、行動している、

 

ということです。

 

もしあなたが、

繰り返し批判や嘲笑を浴びる状態が

日常になっているなら、

 

嫌だ、苦しい、のもう一つ上の視点から、

それがなぜ自分に起きているのか、

自分はなぜそんな辛い環境に甘んじているのか、

 

について考えてみてください。

 

“系”、

すなわちあなたを含めた日常のシステムは

常に安定する方向に動きます。

 

そこに身を置くことを選択する理由が

あなたの中にあるのだと思います。

 

自信のなさが一線を越えていて、

そんな自分が居られる場所は今の場所しかなくて、

批判や嘲笑を受けるママで…

 

それがますます今の環境を安定していく。。。

 

その場所から、その環境から、その世界から

脱出したいという想いは嘘ではないはずです。

 

そのためにいろんな情報を集めて、

試してきたのも間違いではありません。

 

ただ、肝心の内側が今の状態のまま

いくら方法論を探っても

高いお金を払って情報を得ても、

 

結局また同じ状況に陥ってしまいがちです。

 

肝心の原点は自分の内面が基準で、

それに応じた環境に安定するからです。

 

だからこそ、周囲に振り回されたり、

感情をあおられたりしている間に、

自分の内側を変革していきたい。

 

一見(一聞?)すると、

何だ、長くて地味で面倒そうだな、

と感じるかもしれませんが、

 

即効性のある方法を求めて、

ネットや本やセミナーを彷徨いながら、

撃沈を繰り返すより、

 

実はその方が、

急がば回れで、

もしかすると早いかもしれませんね。

 

ー今回の表紙画像ー

『夏だ…』

世の中的には春真っ盛りなのだけど、暑がりの私にはもう初夏。

日が水面に照り返す川の風景を見ると、なんだか落ち着くなあ。