日本経済は、
1990年にバブルがはじけて以降、
暗黒の30年だったと言われます。
何を基準に暗黒と呼ぶのか、
またその程度については、
専門家ではないのでよくわかりません。
バブル経済の崩壊は、
当然とされていた日本人の生き方の基準が
大きく変化する分水嶺だった気がします。
今から30年以上も前の話で、
大昔のことのようですよね。
良い(偏差値の高い)学校→良い(優良大手の)会社
と進み、定年退職まで働き続ける
という“モデル”が、
少なくとも、一般人である大多数の人にとっての
豊かで安定した生活を送るためのベースと
考えられていました。
もちろん、そういった世間の評価軸に与せず、
自分が信じた道を歩いていくことの大切さも
まことしやかに語られてもいましたが、
多くの人々が現実を前にして
“モデルの踏襲”に何かと躍起になっていたのも
事実でした。
実際には、若い方の話を聞くまでもなく、
21世紀に入ってからも
同じような考え方と行動様式がありますが、
それが社会に根付いている度合いは
かなり緩くなったし、
今後はさらにそれが進むと思います。
よく言えば、
時代が進んで生き方の多様性の認知度が
高まったことで
面白い時代になったと感じる方も
いるでしょうし、
“モデル”が崩れてしまい、
生き方の基準が見えなくなったため、
自らの中に基準を持たない人が
昔の価値観にもたれかかってしまう、
と言う意味では、
五里霧中の社会を彷徨うような感じ方を
される人もいるでしょう。
★
社会に出た私が勤めた会社は
バブル崩壊のあおりがあまり届いておらず
順調な経営だったそうです。
「…だったそうです」と言う表現のとおり、
そういったことへ意識を向けようともしない
不良社員だったので、
仕事は最小限、
鐘が鳴ったらそそくさと帰る、
会社にとってはよろしくない社員でした。
父が家を出て家族が離散状態になり、
そのことで頭も心もいっぱいだったため、
いろいろな意味で人生が荒れていました。
いつも何かに苛立っていて
いつも何かを恐れ怯えていて
いつもどこかで救われることを願っていて、
明るい気分でいようという意識は
希薄な状態でした。
…と言いながら、
実は時々、
違和感も感じていたのも事実です。
どういうことかと言うと、
会社の人の関係にほとほと披露していても
仕事のつまらなさに辟易していても
通勤時に嫌なことがあっても
おいしいご飯を食べている最中は、
そのおいしさに感動しつつ
食べることに夢中で、
レンタルしたビデオを見ている時は
物語に吸い込まれるように感動していて、
日課のスクワットやジョギングを行っている時は
不摂生がたたって悲鳴を上げる身体を
何とか動かすことに精一杯だったのです。
「それが何か?」
と言われそうですが、
何が言いたいかと言うと、
どうしようもなく嫌なことがあった直後や
時には嫌なことが進行中の時にも、
その怒りや落ち込み、苛立つ自分が、
感動したり、喜んでいたり、
別のことに集中していたりして、
つい先ほどまで嫌なことへの不平不満が
永遠に続くような感覚に陥っていた自分が
並行して異なる感覚の世界に浸っていることに
「おれは頭がおかしくなってるのかいな」
と思ったことが何度もあったのです。
これは後に、
人の人格が複数の自分でできていることを
心理学の中で学んだ時に
自分の事例としてとてもしっくりとくる
経験になりました。
芥川賞作家の平野敬一郎さんはこれを
『分人』として表現していましたが、
いずれにしてもこのメカニズムを知ることで
人の内面の構成の理解と、
人の持つレジリエンスの機能について
自分なりの理解ができるようになりました。
★
私は父が自死していることもあって、
人の自死と言うものにいささか敏感すぎる
きらいがあります。
人が自ら死を選択することについて
その人はもともとそういう“気質““性癖”の
持ち主だったのだろうか、
それは避けられない、宿命づけられた
行動だったのだろうか、
という疑問を持っていたからです。
ですが、
一人の人の人格が複数の私によって
形作られていて、
その中の一つの人格が暴走する、思い込んで
極端な行動に走ると考えた時、
そこには、暴走する人格以外に
他の複数の人格が存在していて、
暴走しつつある人格が、他の“彼ら”“彼女ら”と
ともにあることを感じられれば
その働きかけによって、
様々な行動を選択する可能性が開けるのでは、
そして、
人の持つしなやかさ、粘り強さを
信じようと思えるようになりました。
父と言う最も身近な肉親がとった
行動の重さを知ってしばらく、
別の世界の出来事のように感じていて、
実際にその死に顔を見た後では、
長く死の誘惑に駆られ、
原家族が崩れた時とは異なる
自暴自棄的な感情に何度も襲われ、
そんな自分を認められないほど
頑なにもなっていました。
それでも極端な行動に走ること、
少なくとも社会的に逸脱した行動に
走ることが一切なかったのは、
今から振り返ると、あの頃すでに、
自分の中に存在するもう一人の自分、
いえ、何人もの自分がいて、
結果として暴走しようとする自分を
なだめてくれていたのだろうと思うのです。
私自身の暴走を思いとどまらせる
複数の他の私が喚起されて、
こんな状況がデフォルトなら、
ずっと眠ってたいと思ってそうしていたし、
酔っぱらっていたいと思っていてそうしたし、
物語は楽しめないにしても
町はずれの自然の中でじっと佇んでいたし、
誰とも会いたくないと思って
一人静かにいる日々があったし、
死を感じさせられたためか
死の誘惑の一方で
食べられなくなることを怖れて
そんな状態でも働き続けていたし、
そうこうするうちに、
必要な場所を見つけて
同じような問題を抱えている仲間の中に
身を置くようになったし、
その間に、
少しずつ異なる生き方へ方向転換する中で
これまでみっともない、これではいけない、
と思っていた緩やかな生き方を
デフォルトに感じられるようになったたし、
そんな自分を慈しむ術も少しずつ
身についてきた…
という経緯をたどり、
そこからカウンセリングを学び、
傷つけあわない人と一緒にいる大切さをも
知るようになりました。
どれもが、今は当たり前に思えますが、
当時はそんな世界を求めようとは思っていなくて、
そういう意味ではゆっくりとではあるけれど
方向転換をしたのだと思います。
★
人は一人ではない、と言われる中には
自分以外の他者がいる、と言うことの他に、
自分の中に複数の人格が存在することが
含まれているのだと思います。
あなたには死を選ばなければいけない宿命など
梅雨の欠片ほどもありません。
そんなことを選択しようとするくらいなら、
ずっと寝ててもいいし、
引きこもっていてもいい、
独りでいればいいと思うのです。
それが永遠に続くほど、
あなたは無力ではないんです。
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ー今回の表紙画像ー
『町外れの川の風景』
しばらく都内に行き来して、自然と触れられていなかった。
川の流れを見ていると落ち着きます。
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