激務に追われていた頃、
結果を出そうといきり立っていた頃、
周囲に陥れられると思い込んでいた頃、
もう朧な記憶となってしまいましたが、
その頃の私は降ってくる仕事を質量問わず、
どんなことがあっても
その日のうちに片付けてしまおうと
躍起になって働いていました。
今振り返ると、
自分のことながら、あの生き方では
そりゃ大変だよな、と素直に思います。
時を経てそのことに気づき、
働き方も暮らす場所も生活習慣も変え、
何より自分自身との付き合い方を変えて、
その日、
本当にやる必要があると考えたこと以外、
手を付けないようにし、
そこで襲ってくる
焦り、委縮し、人目を気にする自分に
大丈夫だよと寄り添うようになりました。
仕事の話をしましたが、
他のことでも同じです。
日常のよしなしごとから、
親兄弟や友人知人との付き合い、
自分に課した決め事まで、
その日のうちに、
その時間の中で、
今やる必要があると判断したこと、
同時に自分ができることに注力して、
実行していく日々を繰り返していく中で、
こなす仕事の質が向上し、
付き合う人が変わり、
あるいは付き合い方が変わり、
そうこうするうちに
少しずつ人生が好転していきました。
★
『今ここ』という言葉があります。
『今ここ』に集中しなさい、
と言うニュアンスでよく使われますね。
以前にも書いた記憶がありますが、
私はこの『今ここ』という言葉に対しても
上述のように接することを心がけています。
つまり、『今ここ』で、
本当にやる必要があると考えたこと以外、
手を付けないようにし、
そこで襲ってくる
焦り、委縮し、人目を気にする自分に
大丈夫だよと寄り添うのです。
少し言葉の解釈の話になりますが、
『今ここ』と言う言葉はレトリックです。
少なくともその一部が含まれています。
何が言いたいかと言うと、
そもそも私たちには常に
『今ここ』
しかありません。
過去をどう思おうと、
未来をどう想像しようと、
それらは全て『今ここ』でのことです。
つまり、もともと、『今があるのみ』。
『今ここ』と『今があるのみ』
似て非なる2つの言葉の違いが
伝わるといいのですが。
人は自分で意識を制御しているようでいて
実際には膨大な無意識に操られていると
言われています。
先日も引用させていただいた
幸福学の前野隆司さんによれば、
人が意識するコンマ何秒か前に
体が反応していることが
実験的に確かめられているとのこと。
無意識に蓄積されているのは、
それまでの人生で常にあった『今ここ』で
経験、体感、解釈した無数の感覚、反応です。
そして、私たちはこの無意識をもとにして、
『今ここ』で起こった出来事や、
『今ここ』で思い出した過去や、
『今ここ』で描く未来について、
何某かの感情を持ちます。
集中できた/できなかった
やりたいことをやった/やれなかった
楽しく過ごした/苦しい時間だった
工夫できた/つまらなかった
有意義だった/退屈だった
……
こんな感じで、
一つの出来事はそれまでの経験に基づき、
生じた解釈を蓄積することになります。
だとするなら、
『今ここ』に集中せよ、という言葉は
受け止め方を修正が必要かもしれません。
『今ここ』に集中できればもちろんいいし、
集中すべきことかどうかを判断すればいいし、
集中できないことだったいくらでもあるし、
結局のところ、私たちは
できることをできる範囲でこなすしかない。
『今ここ』に集中できなければ、
その時にできるベストを尽くすなり、
集中できない自分と寄り添うなり、
後回しにできないか相談したりする。
いずれにしても、
『今ここ』に集中できるかどうかより、
『今しかない』その時に、
『今があるのみ』であることを知り、
『今ここ』の蓄積が未来になることを理解し、
焦る自分を責めたり、
人目を気にしすぎたりして
大事な魂を自ら傷つけてしまわないように
自分の味方であり続けることの方が、
うまくいった部分を見つけることの方が、
楽しくできる方法を探ることの方が、
ずっと大切なことではないかと
私は思うのです。
言い方を変えれば、
目先のことに“集中する”前に、
それが自分に影響を及ぼす心持ちを整える。
Blogの中でよく、一朝一夕では変わらない、と
申し上げています。
その理由もわかっていただけると思います。
同時に、
「継続は力なり」という諺の意味も。
継続によって、
良くなっていることもあれば、
悪い状態が続くこともある。
しかも『今があるのみ』なんです。
『今ここ』の出来事、感じ方、集中には、
あなたがこれまで自分を扱ってきた結果が
出ているのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、
同じことが起こり、
同じ状態に陥り、
同じ結果になったとしても、
人によって感じることは違います。
その時々の感じ方と、
幸福度、仕事、人の関係性は、
継続される中で集約されていきます。
自分が求める人生は自分で選択している、
とは、
そういうことなのかもしれません。
「いや、『考えても』納得できない」
と言う方もいるでしょう。
表層で意識していることは、
あなたがこれまで生きてきた
ある特定の世界の中での理屈です。
そして通常、
私たちはその理屈を強化するように
解釈を進めます。
そして、行き詰ったり苦しんだりが続く
日常を変えていきたいと
願っている人もいる。。。
そんな方には、
今回の話を少しだけ覚えていただけると
嬉しいです。
ー今回の表紙画像ー
『東京タワー』
お散歩がてら?東京タワーへ行ってきて見上げてきた。30年前にも同じことをやっていた気がする。。。
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