そこにいる必要なんてないんだ

日々の棚卸

 

心理カウンセラーの講座を

受講したときの話です。

 

レクチャーいただいたカウンセラーの方が

ご自身がカウンセラーになる経緯を

語ってくれました。

 

その方はもともと公務員だったそうで、

そこから転職?して30代の時に

心理カウンセラーとして

活動を始めたそうです。

 

もともと奥さんは一足先に

心理カウンセラーとして

独立していたそうですが、

 

結果として

そこに乗っかる形になったとのこと。

 

奥さんから聞いた話では、

最初は心理カウンセリングというものを

どこかで胡散臭いと感じていたようですが、

 

学び出して理解が進むほどに、

面白さと共に、

自分の内面の動きへの共感が進み、

 

当時の仕事の内容が

合わないと感じていたこともあり、

転進したとのことでした。

 

警察から依頼される

司法解剖に関連する部署にいて、

対象の死者が運び込まれてくるのですが、

 

時にその凄惨な死者の姿を見るにつけ、

ここは自分がいる場所ではない、

と感じたのが

 

転進するきっかけだったそうです。

 

凄いなと感じたのは、

退職金として得た1千万円(!)を

半年ほどで使い切ってしまったとのこと。

 

すでに結婚していて、

3人のお子さんがいる。

 

確かに奥さんも

カウンセラーとして働いてはいたけれど、

 

それにしても、

安定した公務員の職を辞して、

退職金もパーッと使い切ってしまって、

 

面白いから、自分の内面がわかるから、

という理由で

 

カウンセラーとして生きようと、

それを実行したのだから

自分の人生を生きているんだなと、

感心したものです。

 

特に不幸な生い立ちを

持っていたわけではないし、

 

仲間を作って話をするのも好きな方で、

 

いわゆる自身の過去がきっかけとなって

カウンセラーになったわけでは

ないのですが、

 

惜しまれつつ、引き留められながら、

公務員を辞してカウンセラーの道を選んだ、

安定から不安定な世界に進みました。

 

 

主に働く場所の話になりますが、

 

そこにいるのがどうしても辛かったり、

どうにも自分の居場所として

感じられなかったり、

という方がいます。

 

その職への使命感も

やりがいも感じられないまま、

 

心身の暴力が飛び交ったり、

生活していけないような給与だったり、

心身の休息が得られないほどの

ハードワークだったり、

 

といった状況であれば、

飛び出すことができる人は、

とっとと飛び出していくでしょうが、

 

そんなひどいところではない。

 

自身の回復も手伝って、

職場自体は決して悪いところでもなく、

働く人々も特に変な人たちではない、

待遇も悪くはない、

 

そんなところで働いているにもかかわらず、

 

そこにいることにとても

違和感を抱いてしまう、

そんな方は意外に少なくありません。

 

言われたことをこなしていれば、

 

まるでぬるま湯につかっているように、

何となく日々の時間が過ぎていき、

 

日常生活は成り立つし、

社会生活はそれなりに

営むことができる、

 

そういう環境だから、

仮初には心身の健康が

害されるわけでもない…

 

そもそも、

 

何か資格を持っているわけでもなければ、

新しいことを始めるための

伝があるわけでもない、

 

自分の人生をかけてやるべき何かを

持っているわけでもない、

 

当然、

今の職を辞することに対する怖さもあるし、

今の場所に留まることを求める

周囲の人々にも申し訳ない、

 

だいたい、

全盛期の頃のような

あふれる体力や気力があるわけでもない、

 

だから、そんな状態で

今いる場所を去りたいという、

 

繰り返し胸に去来し、

頭の中を駆け巡る自らの要望を

実行することに

 

とてつもないブレーキ、ブロックがかかり

動くことができない。

 

ただなぜか、そんな日々を送る中で、

徐々に自分の本音が見えなくなっていく…

感情が遠のいていく…

 

自らの要望を麻痺させていくことと

連動するように、

大切な自分が遠ざかって敷く感じがする…

 

 

自分の人生を棚卸しし、

真摯に振り返り、

 

遠ざけたり、

無視したり、

忌み嫌っていたりした、

 

何人もの自分と邂逅し、

統合が進むと、

 

自分の置かれている環境への理解が進み、

公私にわたる周囲の人々との関係が

少しずつ良くなっていきます。

 

自分自身の統合は、

言い換えれば

 

自分との関係が良くなることを意味し、

その結果が、

日常生活にあらわれてくるのですが、

 

それに伴って、

そこにいること自体の違和感や辛さが

なくなるかと言うと

そうではありません。

 

場合によって、

低減することはあるかもしれませんが、

 

それは違和感や辛さが関係なくなるとか

そこに苦しまなくて済むようになること、

とは違います。

 

一言で言えば、

 

自分の統合が進む中で。

本音を隠していた感情や周囲の影響が

取り払われて、

 

自分の本音と真正面から

対峙することになった結果が、

違和感や辛さの正体です。

 

最初に述べた方のように、

それを何の障害もなく、

 

最初から

感じ取ることができる人もいますが、

 

それは自分としっかり

繋がっているということで、

 

自分と繋がりなおすプロセスを経た人は

今、

自らが望む現実を

つきつけられているわけです。

 

否応なく動くときが来た、

ということですね。

 

怖さ、不安、孤独、

それらを恐れて動かないために

自分自身の未来と心が蝕まれていきます。

 

愛する人がそんな状態にあったら

どうするでしょう。

 

そんなことを考えてみました。

 

 

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ー今回の表紙画像ー

『遠い山並みの光』

カズオイシグロさんの作品の映画化によせて。

うつりが良くないですが、ブルーギルの子供です。

彼ら?に罪はないのですが…。