ここに、
あなたのやりたいことがある、
とします。
やりたいことは、その時々で様々でしょう。
でも、基本は次のどちらか。
1.苦痛から抜け出す
2.気持ちよくなる
それぞれ考えてみましょう。
1.苦痛から抜け出す
熱があって不調だ、
転んで筋肉を傷めた、
骨折して不便だ、
そんなときは誰もが、
医者に行ったり薬を飲んだりしますよね。
これらの苦痛から抜け出すには、
一定の時間がかかるけれど、
大方の人は、
それが理由でパニックになったり、
焦っておかしなことをしたりはしないはず。
状況も、苦痛から抜け出す時期も、
何となく予測がつくからです。
この苦痛は永遠には続かないだろう、と。
苦痛の程度にもよりますが、
苦痛がやがて終わる予測がつくとき、
またそれまでに自分が何をすればいいのか
わかっていたり、知っている人がいるとき、
私たちはそこに安堵を見出します。
反対に、
予測がつかない苦痛が今現在ある時は
どうでしょう。
この状況を何とかしないと、
自分がおかしくなってしまう、
そう思って現実を変えようともがき、
自分の言動ではどうにもならない、
現実を変えられそうにない、
つまり、
この苦痛がいつまで続くかわからない、
そんな展望になってしまった時、
自分の魂を殺す方向に向かうか、
鬱や適応障害、
あるいは他のメンタル疾患に陥るか、
現実を誤魔化すために
お酒や疑似恋愛や仕事に逃げ込んで
苦痛を麻痺させようとします。
どんな状況が考えられるでしょう。
失恋、離婚、家庭崩壊のような、
親しいはずの人との関係が
終わってしまったとき、
尊厳を踏みにじるような上司の罵声、
劣悪な労働環境で不夜城の職場勤務、
どうにも目を背けたくなる仕事内容、
そんな環境に身を置かざるを得ない時、
などが考えられます。
他にも、
未来を乗り切るお金がない、
自由な時間がない、
暮らす場所がない、
職がない、
人生を好転できそうな気がしない
どれもが苦痛で、
しかも、なまじっかな行動では
良い方向へ変えられそうな気がしない、
そんな時、苦痛が文字通り、
恒常的に心身を苛みますよね。
誤解を恐れず言えば、
誰もが一度はこの中のいずれかとは
対峙する羽目になるのではないでしょうか。
2.気持ちよくなる
気持ちよくなることとして、
最初に思い浮かぶのは
五感を満たして感動することですね。
身近なところで、
飲食、音楽、アロマ、エステ、森林浴、
美術鑑賞、映画鑑賞、ペット愛撫、…。
パッと思いつくだけでも色々出てきます。
明日を生きる糧になるのであれば、
そして、行き過ぎない限り、
どれもが素敵なことだと思います。
他にも、
恋愛や結婚が成就したり、
資格を取ったり、
望んだ職に着けたり、
成果を出して周囲に認められたり、
高収入が実現したり、
生活に余裕が出たり、
好きな時に好きなことを
できるようになったり、
自分で自分の生活を
コントロールできる感じがしたり、
生きる自信がみなぎったり
そんなことがあると、
気持ちが良くなりますよね。
★
こうやって見てくると、
1.苦痛から抜け出す、ことと、
2.気持ちよくなる、こととは、
ともに、同じ方向を向いていて、
それをちょうど陰と陽のように、
違う表現を取っているようにも思えます。
そこで、1と2を合わせて、
0.自分の人生を生きる
と言い換えます。
例えば、
職場環境・職場文化の劣悪さや
尊厳を踏みにじるような上司がもたらす
苦痛から抜け出すには、
資格や知識を習得して
仕事ができるようになり成果を出す、
職場の居心地が良い企業に転職する、
個人事業を立ち上げて、
仕事上の居場所を確保する、
しばらく休んで自由な時間を謳歌する、
などがありますが、
これらはいずれもが、
1.苦痛から抜け出す、ことであり、
2.気持ちよくなる、ことでもあります。
そして、現在を生きる私たちには、
その気になれば、
これらを実現するための情報だけは
たっぷりと手にすることができます。
それも、ほとんど情報洪水のごとく、
本、ブログ、ネット、セミナー、TVなど
その気になればいくらでも届いてきます。
ただ、しかし、です。
これらの情報が今一つうまく使われていない、
と感じることがあります。
その話をさせてください。
今、情報洪水という言葉を使いました。
情報洪水とう言葉は誰もが知っていて、
どの情報を信じればよいかわからないと
使われていました。
自分たちの生活を営んでいくために、
どの情報が正しいのか、わからない、
(だから困る)ということですね。
TVや新聞のニュースしかり、
学校の先生の言葉しかり、
政治家の言葉しかり。
私の親も口にしていたくらいだから、
かなり昔から使われていたのだと思います。
ですが、
0.自分の人生を生きる
ことのために入手した情報を使用するとき、
何が正しいか、を考えているだけでは、
願いは叶うことはまずありません。
なぜなら、これは、日本国、とか、
紛争、とか、学校、とか、政治的駆け引き、とか、
といったマクロな話ではなく、
あなた個人にとっての情報だからです。
詰まるところ、
仕事上の変化を実現するにせよ、
人付き合いを良い方向へ変えるにせよ、
過去の影響をうまく利用するにせよ、
情報を入手して“利用する”ことは、
あなたが選んで、
あなたが試して、
あなたが失敗して、
あなたが再検討して、
あなたが諦めないで、
あなたが出直して、
あなたが相談して、
あなたが稼いで、
あなたが成功して、
あなたが幸せになるために使用する
ことだからです。
これを世間では、試行錯誤、といいますが、
要するに、あなたが時間を使って
得たことこそがあなたのための人生を作る、
ということです。
短縮して、
試行錯誤があなたをつくる、
と標題のとおり。
そして、
だから、やってみよう、
そういう段になると、動けない、
そんな方が少なくありません。
ホントに、少なく、ないんです。
もっともかく言う私もその一人でしたので、
実はここが一番壁が厚いところだというのは、
重々承知してはいるのですが。
ホントに動けなくて、
なぜ動けないかもわからなくて、
怖れることなく探し求めて見つけ、
分かったら今度は別のとことで躓いて、
今度はどうしたら望む方向に行くか、
悩んで、
自信を無くして、
また動けなくなって、
でも諦めたくなくて、
少しペースを落として、
またうまく事が運び出したら、
ペースを元に戻して、
そうやっていくうちに
自分なりの“感覚”が身について、
自分の判断がしっくりくるようになって、
自分の大切な人たちや、
自分と同じ苦労をしている人達への
ささやかな一助になれるかもと思えて…。
このブログを始める少し前、
そうやってたどり着いた心境を
かみしめています。
以前にも書きましたが、
私たちは不安と不明の中に彷徨っている時、
確実な規範と基準を求めがちです。
実際、その規範と基準は今も
あなたを見守ってくれているはずですが、
自分が変わる時、
自分が望む世界を求める時、
あなたが進む道のりの基準を設けるのは
あなた自身の試行錯誤しかありえません。
私のような伴走者、サポートトレーナーは
手持ちの知識と経験とから、
最善と考えることを提供いたしますが、
それを生かす上でも、
飽くなき試行錯誤とフィードバックこそが
あなたにとって最も良い人生を作るのです。
…と、偉そうに書いてきましたが、
このブログもまた同じですね。
読んでもらえなくて、
拙文にがっくりきて、
今度はどう表現しよう、と悩んで。
また、試行錯誤して、
少しでも伝わるものを
書いていこうと思います。
ー今回の表紙画像ー
『先週のテナガエビの素揚げ』
テナガエビは、ワインより日本酒でしめた方がうまい。
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