気持ちよくなる前にやってみる

日々の棚卸

何か問題を抱えた時、

天才的なひらめき、スピードで

速攻的に解決できる人がいる。

あるいは、

人付き合いが得意でつながりのある人たちから、

いくらでも回答やヒントを得て対応できる人がいる。

そうではなくて、自分のことを

何のとりえもないと自分と思っている人が、

目標に向けてひたすら地道に作業を繰り返して

ゴールすることもある。

 

人それぞれ。

その人の性癖というか、

能力といったものは十人十色で、

その人らしく物事を進めていければ、

たいていのことは何とかなるものです。

 

そんな話から若干ずれますが、

私が熱を出した場合の振る舞いに、

ちょっとだけ触れさせてください。

36.5度の平熱に対して、

体温が37度くらに上がると

私はヘロヘロになってしまい、

動くことが苦痛になります。

体の節々が痛くなり、

頭がボーっとして、

何をする気もなくなり、

簡単に寝込んでしまう。

たかだか37度の熱で何してんだか、

と思われるかもしれませんが、

そうなるものは仕方がない。

「2,3日寝てりゃ治るだろう」と思って、

とっとと寝てしまいます。

 

さて、仕事や人の関係などで苦しんでいる人の中には、

すぐにでも解決してしまいたい、

でなければ身も心ももちそうにない、

そういう方もおられると思います。

どうにも嫌なことを仕事にしていて、

もう書類一枚手に触れるのも苦痛なのだけれど、

給与も待遇も周囲の関係も

このご時世に人並み以上で、

おまけに職を失うこと、

収入が減ることに

恐怖を植え付けられていると、

身動きが取れなくなってしまう。

職を探しておられたり、

職どころか待遇も希望と大きくかけ離れている方からすれば、

なんて贅沢なと思われるかもしれませんが

鬱かひきこもりに陥りそうなほど

心が追い詰められ

ドアの開け閉めもご飯を食べるのさえしたくなくなる

ということはあるものです。

あるいは、

どうにも苦手な人と

顔を合わさなければいけない学校や隣近所、

小さな会社の事務所などで、

威圧されたり、

嫌味を言われたり、

言い返せなかったり、

といった状況にいるうちに

心が動かなくなってしまう。

 

こんなことが続けば、心がやられてしまいますよね。

そうなると、37度の発熱の時の私ではありませんが、

文字通り動けなくなってしまいます。

 

そんなとき、寝ていられるなら

ゆっくり寝ることは大切な処方箋です。

お酒、ではなく、

睡眠こそは“使い方を間違えなければ”百薬の長なんです。

 

ただ、この場でお伝えしたいこと、

それは心が動かない時にも、

体、そして感情は動かしてみよう、

ということです。

心と体はつながっているのだから。

 

「そんなご無体な」

そう言われそうです。

今時、こんな言葉を誰が使うのかわかりませんが。

心療内科の先生は、

精神科医は、

そんなこと言わないよ、

と言われそうです。

どうにも動けないから困ってるんだ!

そう言われそうです。

 

でも、試みてください。

ポイントは二つ。

大きく動かそうとしないこと。

そして、

地道に継続すること。

 

どうやったところで、生活はしなければならない。

でも、動かしたくなくても、

手を、足を、動かさないままでは、

野垂れ死にしてしまう。

 

そんな時には、喝を入れるのではなく、

地味に、地道に、

まあ、これだけはやっておこう、

くらいのイメージで、

少しだけでも散歩したり、

ご飯を作って食べたり、

風呂に入ったり、

一度だけでも誰かに微笑みかけたり、

一行だけでも書類を書いてみたり、

何でもいい。

凄いことしたり、

大笑いを演出したり、

陽気にふるまったり、

バリバリ仕事こなす姿見せたり、

そんなことなんかじゃない。

 

今の自分に注力して、

最低限やらなければいけないことや昔の日課を、

小さく区切って、一つ一つ、行っていく。

そういうことです。

 

この間お話しした『棚卸』と同じで、

すぐに変化はないかもしれない。

でも、ある日気が付いた時、

あれ、なんかちょっとやれるようになってるぞ、

と思えるようになる。

 

私は、父の自死からしばらく、

自分がどうにも動くことができなくて落ちていた頃も

運動(ジョギングやスクワット)も

食事も、

仕事も、

日常生活としたことを地味に続けていましたが、

常にそんな感じで試みていました。

自分を内観し、新しく出会った自分を受け入れる、

心の集まりの場で自分のことを語る、

そういったことを並行して行いながら、

何とか自分の心と体と相談しながら、

コツコツと生きていました。

 

今は市民権を獲得している癒しという言葉。

とても大切なことではあります。

ですが、これはそれだけやっていれば良くなる、

とは限りません。

厳しい言い方でごめんなさい。

 

もう一度言います。

体が動かないなりに、外に出て歩いてみましょう。

ジョギングしてみましょう。

買い物してみましょう。

部屋を片付けてみましょう。

料理を作ってみましょう。

ちょっと映画を見て笑って泣いてみましょう。

人に会って挨拶をしてみましょう。

週末に出かけてみましょう。

空を見上げてみましょう。

 

健康だと自分が感じていた頃と比べれば、

きっと動作は重々しく、

息は切れ切れ、

感情も時には切れかかり、

笑顔も涙もどこか空々しく、

要するに身も心も何だか

本当の自分なるものから

遊離してしまっている感じがするでしょう。

 

だから、自分を蹴飛ばしてでも動け、

と言っているのではありません。

動ける範囲で体と心を動かすことを

“試みて”ください、ということです。

 

体は動かないかもしれない、

気持ちは暗く固まったままかもしれない

でも、動き出すのはその時なんです。

治ってから、ではなく、

気持ちよくなってから、ではなく、

気持ちよくなる前に動くんです。

それが自分を生きるためのポイントなんです。

かけがえのなさを実践するポイントなんです。

本当の意味で、自分を大切にすることなんです。

 

それじゃこれまでとかわらない?

いや、違います!

自分を抱きしめながら動くんです。

 

問題を抱えて身動きが取れなくなっている状態とは、

これまでの生き方、自分への接し方に、

強烈に反論し、反感を持ち、拒否しようとする自分が

今自分の中で暴れている状態です。

それを、遠ざけたり、

無理やり押さえつけたり、

なされるがままにするのではなく、

折り合いをつけながら、

今の生活を自分の心と体を使って維持するのです。

成長した感じはしないかもしれない。

でも、実は一番自分を貴んでいる行為なのです。

 

私の熱の話には続きがあります。

恥ずかしいのであまりお話ししたくはないのですが。

 

先ほど、37度の熱が出ると、

もうグダグダになって動くのが極端に億劫になる

と言いました。

同じ私ですが、40度の熱が出ると話が変わります。

ここ十数年くらいはそんな高熱が出たことはありませんが、

30代半ばくらいまでの間に何度か続けて出たことがありました。

ちょっとふらふらする、と言った状況ではもちろんなく、

体の痛みも朦朧とする脳みそも

37度の時の比ではありません。

当たり前ですよね。

でも、37度の発熱の時と違うのは、

その状態“になると”、

私は重い体と朦朧とした頭で、

病院に行き、

薬を飲み、

体に優しい最低限の料理を作り、

着替えを用意し、

氷嚢を用意し、

これらを定期的に行い、

やっぱり2,3日のうちに回復まで至ります。

世のお母さん方の中には、

お子さんの世話と並行して

こういったことを行われる方もおられるかもしれませんね。

 

理想は、こうなる前に対処する、ですね。

でも、それができなくて今があるなら、

それもまた私の一部、あなたの一部、

生き方になってしまっていると思うのです。

その生き方が出ているときに、

そこに溺れず、絡めとられず、反発せず、

受け入れながら、

そうではない生き方を実践してみよう、

そういう提案です。

地道だけど、

繰り返すうち、

自分の一体化が進み、

自分と相談しながら生きる術を獲得し、

大きく変化した自分になっています。

 

千里の道も一歩より。

 

ー今回の表紙画像ー

『人が戻ってきた近所の公園』