あなたは、自分の性格、
いえ、
気質を熟知しているでしょうか。
熟知とまではいかなくとも、
自分自身に染み付いている
考え方、感じ方、認識の仕方などの傾向を
把握しているでしょうか。
自分のことなんだからわかっている、と
何となく思っているかもしれません。
実際には、
自分のことであるにもかかわらず、
いえ、
自分のことだからこそ、
よくわかっていない、
ということはままあるものです。
灯台下暗し、とはまさに
このことですね。
あなたのことを良く知る身近な誰かに
それとなく聞いてみれば、
自分で思っている自分の傾向と
他者のそれとは
大きく異なっていることさえ
あるかもしれません。
加えて、
自分は確実に変わっていきます。
考え方も、好みも、感覚も、情動も、体力も、
自分を形作る有形無形の様々なものが
気がつかないほど少しずつ、
しかし確実に変わっていきます。
そうやって変化していく自分を
きちんと知ることは
実は容易ではないのかもしれません。
★
先天的に身体の不自由な方はおられます。
あるいは、
事故や病気のような後天的な理由で
やはり体が不自由になった方もおられます。
これは実は、私たちの気質についても
同じではないかと思うのです。
どういうことかと言うと、
生きてくる中で、
与えられて後天的に吸収した
感覚もあるということです。
気質は必ず先天的に与えられていると
私たちは考えがちですが、
幼い頃に与えられた環境下で、
そんな気質とならざるを得ないような
日常に身を置いてきたが故に、
後天的であるにもかかわらず、
それが自分の情動や思考を形作る
土台となっている人は少なくありません。
これは何を意味しているかと言うと、
その気質なるものは帰ることができる、
ということです。
後天的に獲得してしまった、
気質と思い込んでいることの中には、
人に対して自閉的になって心が開かない、
ということもあるかもしれません。
ひねくれてしまっていたり、
悪意的に世の中を見てしまったり、
ということもあるかもしれません。
どれも、結果として自分自身を
生きづらくさせてしまいます。
もちろんそのことに、
言い訳することはできませんし、
それを正当化したところで、
自分自身が苦しむことになるだけでしょう。
悪い傾向ばかりを例に書いていますが、
それを無視したり非難したり落ち込んだり
している間に、
先天的であれ、後天的であれ
その気質が自分の中に住み着いて
いることを自覚し、洞察し、
自分の一部であることを理解して、
受け入れ続けることで、
少しずつ気質は変わっていきます。
標題を見て、
だから何だと感じられた方も
おられるかもしれませんが、
平安の祈りの中にある記載の
『変えられないものを受け入れて
変えられるものを変えていく』
というフレーズの、
変えられない/変えられる、を
杓子定規に考える必要はありません。
少し長い目で見た時、
ゆっくりとではあっても、
気質は変えられると私は考えます。
★
ここまでの話をしながら
思い出していたことがあります。
まだ小学二年か三年生の頃に
クラスメートだった、とても印象の良い、
ある女の子のことです。
理由は忘れてしまいましたが、
彼女の右手の五本の指は
二つにくっついてしまっていました。
体育の授業か何かで
フォークダンスをした時のことです。
彼女の右手を握りながら、
私の掌が彼女の指の表面に触れると
ふわりとした感触がありました。
とても不思議な感覚だったのですが、
普通に手を握り合っても感じることのない
独特の感触でした。
痛くないのかなと思いながら、
まるで自分の指もそうなってしまったような
感じもしていました。
実際に尋ねてみたような記憶も
朧にあるのですが、
慣れてしまっているようでした。
素朴に聞きづらいことを聴いてしまったのは
当時も今も無神経な私だったから
というのもあったかもしれません。
あの年ごろにしては、
時々話をした仲の良かった子が
飄々と生きていた姿が
何十年もたった曖昧にはなりつつも、
今も記憶の片隅に息づいているのを
感じることができるのは嬉しいことです。
生まれた後に起こったことと言う意味では
彼女にとっては後天的なことですが、
物心つく前にそうなっていた、
という意味では先天的なことです。
ただ、そんなことよりも
彼女はその現実をしっかりと、
自分の一部と受け入れて生きていました。
先にも述べましたが、
私たちは自分のことについて、
自分が何となく感じている以上に
よくわかっていないと思います。
あるいは、
見ないようにしていると言っても
いいでしょう。
特に印象が良くない自分というものは
誰の中にもあるわけで、
つい目をそらしてしまいがちです。
でも、それは、その自分こそは、
これまで考えもしなかった、
この世の中を自分自身として生きていく、
とても大切な武器にもなるし、
その故に、
自分を見失わずに生きていくこともまた
できるわけです。
もう一度言います。
自分ほど自分のことをわかっていない、
それが自分というものなのかもしれません。
知ろうとしないとわからないし、
意識しないと偏った理解になってしまいます。
無視したり、適当に扱ってよい
などという自分は存在しません。
気質は容易には変えられないとは、
ドラッカー氏は言葉です。
ただ、変えられるなら、
変えてしまえる部分は変えることを
試みることはあってもいい。
そして、だからこそ、
しっかりとそんな気質を理解してあげて、
自分と一体化させることが
もとめられるのですよね。
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ー今回の表紙画像ー
『駅地下のクリスマスツリー』
今年もそんな季節です。
コンサートに行ってきました。
「メリークリスマス」とのことでした。
ちなみに以下は大倉山のクリスマスツリー

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