何をしていても、
どんな環境にいても、
消えてしまいそうなほどに、
自分の存在価値が微塵も感じられないことが
私にはありました。
そう感じていた頃は、
何をしようとしても意欲がわかず、
やりたいことも感じられず、
やらねばならないことに手がつかない、
そんな状態でした。
当然ながら、
頑張って、我武者羅(がむしゃら)になって
ものごとに当たることなど
まかり間違ってもあり得ない。。。
*
いつの頃からか、
一生懸命頑張る風潮が否定されることが
増えて久しくなった気がします。
我武者羅に頑張ることが
必ずしも良い結果をもたらすわけでは
ないんだよ、と。
確かに、
我武者羅にやったからと言って、
良い結果がついてくるとは限りません。
特に、何かに取り組んだ最初のうちは。
だからなのか、
その効率の悪さからか、
余裕をもってあたることのスマートさからか、
心身にかかる負荷の大きさのためか、
はたまた私たち現代人が
現在の生活に疲れ切ってしまっているためか、
我武者羅さが何となく
否定的に扱われるようになった、
そう感じます。
我武者羅と一口に言っても、
ひたすら歯を食いしばって
痛みに耐えながら物事を進めることから、
なんか冒険なんだけど、
あるいは
周りは無理と批判するけれど、
やりたいことだから、
ここは試しにちょっと押してみるか
といったことまであります。
一つだけ共通しているのは、
ものごとに没頭しているということ。
その中には、
結果を追い求めながら、
結果を得る効率を求める狭間に
結果を得る得ないとは別の
貴重な体験を体に沁み込ませる機会があります。
それがほんの少し先の
何に役立つのかはわからない。
でも、
何より言えることは、
良くも悪くも、
そこに自分らしい自分がいたということ。
別に、
何かのスポーツや勉強や、
そういったものばかりじゃなくて、
家族との他愛のない会話や、
友達と毎日のように通った店や、
上司や先生から押さえつけられて
認めてあげられなかった感情や、
ともてキュートなペットを抱いたときの感触や、
空や海の美しさを共有した感動や、
そういったことを積み重ねて、
それらがしっかりと自分の一部として、
感じられる時、
そしてそう感じられる自分が
連綿と続いてきたつながりの中に
位置付けられていると思える時、
自分の存在の確からしさのようなものが、
ぽっかりと空いてしまった心の空洞に
もう一度宿ります。
つまり、
何かの結果を期待するのではなく、
動いてみるということが
あなたという存在の確からしさを
あなたの中に内在化させることになる、
ということです。
動くといっても、
新しいことをするとか、
どこかけ出かけるとか、
そういったことばかりではなく、
誰もが行う日常的な何かを
馬鹿にしたりせずに続けてみる、
そういうこともあります。
動いていくうち、きっと感じることが
出てきます。
なぜ、あなたは、
今のあなたの人生を生きているのだろう、と。
そして、最も大切なことは、
その時のあなたにとっては
たいしたことがないように思える、
一つ一つの行動や感じ方を
あなた自身が認めることです。
実はこれはとても大切なことで、
自身を何度も認めた先にこそ、
存在の確からしさが
くっきりと感じられるようになるのです。
自分が望んだとも思えない生き方。
なぜか一時期、
熱くなっていたり、
やらなくてはといきんでいたりして、
たどり着いた今の場所。
どうか、今の場所を、今の感じ方を
蔑ろにしないでください。
居づらくてもそこにいてほしい、
と言っているわけではありません。
そこにいることの意味を
しっかり受け止めてほしいということ。
あなたをして、
軽々しい存在と感じたその奥には、
願いがあったはず。
思いがあったはず。
幸せの扉があったはず。
それは願いや思いや幸せといった言葉では
普段言い表されていなくて、
社会の常識とか教育とか
堅苦しく、時に空々しく感じられる言葉で
置き換えられていたかもしれません。
でもそこに、
愛着して生きて成長してきて
今があると思うのです。
愛着なんてとんでもない、
そう思われる方であっても、
何かの基準として生きてきたものが
他ならぬ愛着足りえるのではないでしょうか。
こう書いていて、
自分のことが思い返されました。
私の時代はまだ、
良い学校・大学を出て、
良い会社に入って、
出世して勤め上げ、
それなりの社会的ステータスを得、
マイホームを持つことが
親から期待されていた最後の時代でした。
いえ、もしかすると今でも
あったりするのかもしれません。
私と話す方々には、
そうやって生きてきたという方が
いらっしゃいます。
違いはと言えば、
今の若い方は、
定年まで会社が持たない可能性を
きちんと考慮しているということくらい。
ともかくも、
そういった神話が
平成時代を経てほぼ消え去る中で
その生き方を当然のように考えていた
愛する母が他界しました。
カミュの『異邦人』の冒頭ではありませんが、
母の死は一時、
自分の世の中の位置づけを見失わせましたが、
それがいくばく感時間を経て、
現れたのかもしれません。
いずれにせよ、
自分のその生き方のバックボーンに
自分の生き方によって
母を悲しませないようにしよう、
そういう基準があったことは確かです。
不幸癖のある彼女を泣かさないように、
母の幸せを自分の幸せとともに実現させようと、
ずっと生きてきた側面が確かにあって、
それを見届けることなく、
母は旅立ってしまった、
そう感じたのです。
父が他界したときも、
同じような感覚を抱きましたが、
母の時はより一層強く感じました。
自分の存在を
いかに親との対比の中で
位置付けていたのか、
担保していたのか、
認めざるを得ませんでした。
もちろん親以外にも、
伴侶や子供、恋人や友人、
そして仕事やコミュニティなど、
大きさは人それぞれであるにしても、
影響を受けているものは
少なくありません。
決して、
いい思い、楽しい思い
ばかりではなかったとしても
それぞれの中に、
自分の存在を位置付ける何かがあって、
そこから私たちは影響を受けている。
精神科医の齋藤学は、
親がおかしくなっても、
兄妹が死んでも働いているクライアントに、
あなたがそれでも倒れないで働いている理由を
考えてみろ、と書いていて、
私はそれを親の価値観で生きているから、
と捉えていました。
それ以外に考えようがなかったから。
今の自分をしてわかるのは、
それは親、特に母を幸せにする
可能性のある行動であり、
そのほんの一部に過ぎない、
壮大で真摯で愛着に満ちた『虚構』の中の
行動だったと言うこと。
だから、道半ばと感じたまま
母がいなくなった後、
延長で今の生き方を続けるだけの力が
湧いてこなくなっていました。
新しい生き方、
つまり、
働き方、
人との接し方を必要としていたわけです。
もうそこにいる必要はない、
そう悟ったときでもありました。
嬉しかったし、感謝の情が湧いてきて、
それが新しい世界への
旅立ちのエネルギーともなりました。
自分の内面に取り込んで、
次のステージに行くことにした時です。
ー今回の表紙画像ー
『一宮川夕景』
最近のコメント