モザイク模様の感情を抱える自分を大切にしよう

日々の棚卸

 

両親の関係が後戻りできないところまで

崩れてしまった頃、

母親からよく

相談を持ち掛けられました。

助けてほしい、

あなたがここにいないと、

お父さんが家に帰ってこない、と。

それまでにも何度も夫婦の関係について

似たような話の相談を受けていて、

まだティーンエイジャーだった私は

そのたびにとても胸を痛めました。

大切な母が泣きじゃくっていることが

胸が張り裂けるように哀しく、

母を泣かせる父が憎く、

自分が巣立つ家族が

おかしくなってしまうことが哀しく、

帰る場所がなくなってしまうことに

怖さを覚え、

何よりそれに対して

何もできない自分の無力さに

怒りを覚えていたのだと思います。

実際のところ、

混乱の度合いもすさまじく、

パニックに近い状態で、

何が自分を苦しめているのかはわかっても、

なぜ自分がそこまでして

苦しまなければいけないのか、

わかっていませんでした。

 

何か得体のしれない恐怖や不安に

襲われたりしたときに

霊と言う言葉を使うことがあります。

用い方は様々ですが、

私がこの言葉を用いる時は、

相手を怖がらせるためではなく、

霊性として心身に根付かせるに至った

自らの生き様を振り返り、

“得体の知れなさ”の裏側に潜む

自分自身が無意識に行っている

世の中の見方、受け止め方を

見つめなおしていただくためです。

 

混乱の状態にあった私にとっては、

自分が何をしたわけではないにもかかわらず

自分に降りかかってくる苦しみ、

自分の心の中に芽生える闇に、

それに近いものを見ていたと思います。

哀しいことも、

苦しいことも、

怖さも、

誰もが感じたくない感情が

幾重にも渦巻いて胸の中に嵐を巻き起こし、

同時に、

無力な自分の不甲斐なさゆえに、

その頃から、

自分に対する蔑みの感情が

顕在化し始めていました。

 

同じ私は理系の学生で、

どうも傍からは

そうは見えなかったようですが、

月曜から土曜まで授業や実験の日程が

みっちり組まれて忙しく、

余程集中していないと

混乱から明後日の方向に

行ってしまいそうな思考と感情を

そちらに向ける日々を

過ごしていました。

友達に会えば

馬鹿話をしたり、

日々のよしなしごとを話したりして、

恋人とも付き合いを続け、

生活のためにアルバイトをし、

そのどこでも、

当時心に巣食っていた闇とは別の

表情を見せていました。

心の闇はともすれば

周囲が自分を責めているように

感じさせることもありましたが、

学校や友達、恋人やバイト先で

笑っている自分もまたいる。

当時は苦しさを感じていたせいもあって、

笑っている時の自分は虚ろで、

仮面をかぶっているだけなんだと

思ってもいたけれど、

少したって、

心の闇を解決した後では、

虚ろな状態の裏側に、

笑いたい自分も確かにいた、

友達や恋人と笑いあいたくてそうしていた

自分も確かにそこにいた

ということがわかります。

 

少し上で、

自分を蔑む感情が顕在化し始めた

と言いました。

その後、家族が離散する憂き目にあい、

肉親が自死し、

その間その蔑みの感情は

ずっと私の中にあって、

それがずっと

私が世の中と接するときの

土台の一部になってしまっていました。

自分を蔑む者が、

人や世の中を尊敬し、楽しみ、

愛情を感じることはとても難しいものです。

それは、

自分自身が納得し、

大切な存在を心に宿し、

自分を受け入れて生きていくことが

できるようになった今では、

特に明確に感じることです。

だから、というと逆説的ですが、

あの時期、

虚ろな表情を浮かべたり、

人と迎合したかと思えば反発ばかりしたり、

不実と向き合わなくなっていました。

今はあの頃のそんな自分が

愛おしくて仕方がありません。

他の誰でもない、

どうしようもない苦しみや悲しみを

背負った自分が、

それでも倒れることなく、

その時々の場面で必死に

関係性を保って生きていたことを

私は皮膚感覚で理解しているからです。

そこには、

おかしくなってしまいそうなほど

様々な感覚 - 例えば

・人といる楽しさを感じる自分、

・家族を失い、悲しみに沈んでいる自分、

・世の中と周囲を信じたい自分

・信じることと現実とのギャップに

・苦しんでいる自分

を抱えていて

そんな複数の感情のどれをも失うことなく

生きようとしたということだったわけです。

本当に、今にして思えばよくもまあ

これほどでたらめな(?)

方向に向かう感情を同時に抱えて、

生きてこれたものだと思う一方で、

もう一歩引いてみれば、

起こっていることは異なっていても、

誰もが大なり小なり矛盾する感情を抱えて

それでも人生を投げることなく

生きているというところに気づいたのは、

やはりカウンセリングの世界に

接してからのことでした。

 

私たちは、

感情のモザイクが渦巻く己を、

苦しみながら、

人によっては楽しみながら、

生きています。

当時の私をして、

人によっては指をさして言うかもしれません。

それほど苦しんだのは、

単にお前の力がなかっただけだ、

男らしくない、

もう大人(19歳でした)だっただろ、

惨めな奴、

悲惨な奴、…。

これらの批判の中には

自分の心の声もあったと思います。

 

そのモザイク模様の感情を抱えて

生き続けた自分。

もしかしたら今も変わらず

モザイク模様の感情を抱えて

生きている自分。

これほど愛おしい自分はいません。

惨め?

蔑む?

そんなこと、誰が決められるのですか?

こんな必死に生きている自分を

そんな見方する必要なんてありません。

それは自分にとって最大級の

誇りとなる生き方ではないですか。

どこにも逃げることなく、

しっかりとその感情を自分の一部として

抱えながら生きている。

 

人から見て、

格好悪かろうが、

惨めだろうが、

引いてしまわれようが、

そのどれもが今のあなたを作り上げていて、

そんな状況であっても今まで

生きてくることができている。

それらと折り合いをつけることができた時、

その中にはやっぱり、

楽しかったり、

嬉しかったり、

喜んだことだったり、

そんなことが見えてきます。

 

私たちは誰もが、

モザイク模様の感情を抱えて

生きていると言いました。

それは今も私たちの中にあります。

そしてともすれば悪感情と闇とに

とらわれてしまいそうな時ほど、

そのことを思い出して、

その中に息づいている、

もう一つの可能性に

温かい目を注いであげるように

してください。

それができるようになったとき、

自分の人生がどんなものだろうと、

背負って生きられるようになります。

それが自由ということです。

 

ー今回の表紙画像ー

『街もクリスマスの準備』