『何かをする』というときに使う
“する”という言葉。
動詞の“する=Do”の意味には、
どこまで含まれるのか。
そんな話からはじめます。
★
カウンセリングに限らず、
自分が求めるもの、
例えば、
・抑うつ状態から回復したい
・会社を辞めて独立したい
・大好きなあの人と付き合いたい
・一人暮らしを始めたい
・安心できる場所を確保したい
を得るためには、
行動することが必要だ、
と言われます。
行動するかしないか、
この差が全てを決める、
そう言う識者もいます。
表現の仕方、強さはともかく、
私自身も身に沁みてそう感じています。
★
心理カウンセリングを学ばれた方に限らず
よく知られていることですが、
DoingよりもBeingの大切さが
説かれています。
何か(大切なこと)をやるよりも、
自分の在り方の方が大切である、
というと極端ですが、
自分という存在を受け入れる、
自分を肯定的に洞察する
今ここの自分の存在そのものに集中する
といったことを、
まず行い(体得、体感して)、
その上で物事をなすことである、
結果として、
うまくいく可能性は大きくなるだろうし、
仮にうまくいかなかったとしても、
その受け止め方が良い意味で経験値となって
その後の人生に生きる、
…といった感じで理解しています。
これもまた、
確かにその通りだな、と
身に沁みて感じています。
★
2つの話をしてきましたが、
昔は、何だか言っていることが微妙に
よくわかりませんでした。
片方では、
行動しないと始まらない、
でも、もう片方では、
自分自身という土台を自分なりに
理解し、肯定し、静かな自信を感じ、
自分の存在を受け入れることが先、
と言っている…。
“する=Do”って何なんでしょう。
英語の正確な意味や知識は
とりあえず横に置いておくとして
DoingよりもBeingというときの
Doingとは、
Act、Behave、Move
といった外的な行動を意味する一方、
ただの“する=Do”は、
実は内面の動きを示す動詞、
つまり、
Think:考える
Feel:感じる
Insight:洞察する
Introspect:内観する
Mourn:悼む
Attach:愛着
…といった意味を含むんだよな、
と気づいた時、
次のことにつながりました。
人生を成功させるには、
自分らしく生きていくためには、
やりたいことをやろう、
好きなことをやろう、
とよく言われます。
好きな仕事をする、
働き方を変える、
起業する、
趣味を仕事にする、
異性を見つける、
一人暮らしする、
結婚する、
離婚する、
HPを立ち上げる、
大金を稼ぐ、
大きな家を手に入れる、
………。
でも、なぜか動けない…。
あるいは、
何とか動いてはみたけれど、
結果は全くもって以前と同じ…。
動いた人にとって、
やりたいことが嘘だったわけでは
ないのでしょう。
きっとそれなりに募るところがあって、
動いてみた。
でも、結果は………。
★
動くことと考え洞察すること。
巷の話はともかく、
自分なりに良くなってきたプロセスを
振り返ると、
その二つ、
つまり、動くことと考え洞察することは
車の両輪だということです。
どちらが先というのはない、
と私は考えています。
ただ、Beingというくくりで、
自分の存在をしっかり受け止めてから
動こうしていては、
おそらくずっと動かないままです。
考えて考えてシミュレートして、
最後はうまくいかない可能性を
はじきだして、
だから今はまだ無理、となってしまう。
かと言って、自信のかけらもないまま
闇雲に動き続けては、
嫌な目にあって疲弊してしまい、
最後はひきこもってしまう。
★
今日は何をしようか。
そう題しました。
What will I do today?
とでもなるのでしょうか。
この文でも使用される
“する=Do”ということ。
外的なDoと内的なDoの双方を
問いかけている、とある頃から
考えるようになりました。
原家族のことで自信を無くしていた頃、
何をやってもうまくいかなかったことが
続きました。
具体的には、
実はうまくいっていたのに、
そう受け止められなかった、
最初から気持ちが萎えて、
まともに取り組めなかった、
腹がたって途中から投げ出してしまった、
などなど。
自分が陥っている心の状態もわからず、
ますます自信を失うばかりの時期でした。
今振り返ってみてわかるのは、
そこで取った行動自体は、
決して無駄ではなかったということです。
不足していたことがあるとすれば、
取った行動から、自分を肯定するように、
考え、洞察し、行動にフィードバックする
という発想も余裕もなかったこと、
でしょうか。
行動の結果、
もっと手前に、関連する別のやりたいこと、
例えば、
自分の過去を見つめなおす、
自分の弱さ、惨めさ、醜悪さを受け入れる、
行動がうまくいかなかった自分に寄り添う、
といった内面的なことや、
行動を刻んでうまくいくステップを考える、
昔楽しかったことを試してみる、
外的な評価とは関係ない楽しみを見つける、
といった外的なこと、です。
つまり、何かをした結果如何によらず、
自分を責めることを絶対にしないで、
取り組んだ自分の肩に手を回して労う、
ことと、
試すこと、動くことを、いくつも抽出して、
週1でも月1でも取り組む計画を立て、
何はともあれやってみる、
ことをあきらめずに繰り返していくと、
不思議なことに、
行動の結果に一喜一憂することなく、
自分と自分の二人三脚で動いている自分が
当たり前になってきます。
当たり前になるとしめたもので、
純粋な楽しさを求めながらも、
ビジネスや人のつながりや趣味や
運動や学問や、
そういったもう一つ先のことにも自然に
まじわっていくようになります。
多少の時間はかかりますが、
その時間はあなたそのものである
時間の連続です。
折に触れてお伝えしていること、
『自分が当たり前にいること、
自分が当たり前にすること』
それ自体が当たり前であって、
意識の俎上にも上らないこと、
それこそが、
私たちが私たちであるという人生を
生きるということであり、
誰もが欲していることだと思うのです。
何をしようか、というとき、
世の中の評価を基準に求める外的な何か、
を否定するものではありませんが、
その手前にやっておくことがある、
ということ、
そして、
それはその後に続く時間の中で、
あなたを勇気づけてくれます。
さて、今日は何をしましょうか。
ー今回の表紙画像ー
『春の小川』
菜の花がたくさん咲いていた。桜が散り始め、春本番。…なんて言葉はあるんだろうか。
暖かくなりましたね。
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