できることからやっていきましょう

日々の棚卸

 

最初に歯磨きについて。

私は歯が弱い。

…というか、

本当はきちんとケアできていなくて、

虫歯のもとが歯の隙間に残ったりして、

そこからじわじわと虫歯が広がって

気が付いたら歯医者行き、

というのが昔のパターンでした。

 

私の知るとても親しい3名の方は、

歯についての共通項がありまして、

実は3名とも歯磨きは1日に1回ですが、

全く虫歯がない人たちです。

エナメル質より象牙質が多いせいなのか、

歯の透明度が低く、

いかにも丈夫そうに見えます。

それに比べて私の歯と言えば、

白魚のごとく色白で、

とても繊細です(半分ほんと)。

先の3名のうちの一人は、

朝新聞を読みながら十数分の間

ずっと磨きっぱなしだから、

1日1回でも問題ないといいます。

その話を聞いた時は、

そういうものだろうか、と、

今一つピンときませんでした。

その後も、なんだかんだと歯磨きには

念を入れるのですが、

やはり不定期に虫歯になります。

 

若干ですが改善したかな、と

感じられたのは、

キシリトールガムを試しだした頃です。

キシリトールガムが出始めた頃、

これを毎食後口にするようになって、

歯が悪くなるペースが落ちた感じが

したことがありました。

 

ちなみに、キシリトールの発見は、

フィンランドではなく、ドイツなのですね。

フィンランドはそれを歯磨きに適用したとのこと。

ま、これは余談です。

いずれにしても、キシリトールおそるべし。

効き目があることを知ってウキウキしながら、

その頃に数ある種類のガムを買い漁り、

毎食後、ぐっちゃぐっちゃと

ガムをかむことが癖になり、

楽しみにもなりました。

でも、そんなことをしたところで、

虫歯になるという事実はやっぱり変わらない。

虫歯になるペースが落ちたと思ったのも

ある種の錯覚でした。

 

そこで、再度、

毎食後、きちんと時間をかけて、

丁寧に歯磨きをするようにしました。

夜などは10分以上かけて念入りに

磨いたものです。

歯ブラシも1か月ほどで

毛先が丸まってしまうので、即交換です。

…ですが、

それでも虫歯はなくならない。

その後も、

歯ブラシの使い方を変えたり、

歯ブラシそのものを変えたり、

歯磨き粉を変えたり、

長く時間を取ったり、

強くあてて磨いたり、

電動歯ブラシを使ってみたり、

マウスウォッシュを導入したり、

ほんとにいろいろ試しました。

 

でも、

どーしても、

虫歯がなくならなかった。

 

そこで、ずっとためらっていた

歯医者で紹介されていた

2つの方法に手を付けました。

躊躇していたのは、

それをやることによる効果が、

今一つイメージできなかった

というのもあります。

負荷も大きいと感じてました。

 

2つの方法は何かと言えば、

フロスと定期健診です。

たかがそんなこと、

と思われるかもしれません。

しかし、私にとって歯は重大なことなのです。

おそらく他の誰にとっても同じだと思います。

私は虫歯が苦手です。

…得意な方もいないでしょうが。

歯医者もとても苦手です。

昔は、歯を削られるとき、

恐怖のあまり体が硬くなってました。

もうとにかく年齢も何も関係なく、

びびりまくりでした。

それも、この数年で落ち着きましたが。

実際、何年も、虫歯とは無縁です。

同時に、やはり虫歯になりやすい歯質?

であることもわかってきました。

 

ここまでは私の歯の話です。

 

原家族がおかしくなり、

ばらばらになった後、

ずいぶん荒れていた時期がありました。

そのずっと前から、

憤りながら、

苛立ちながら、

怨み憎みながら

日々を生きる両親の世話をして、

何とか幸せにできないかと取り組み、

足りないもの、

例えば、

お金や、

勇気づける言葉や、

寄り添いや、

抱擁や、

そういったことを、

胸が張り裂けそうな思いをずっと抱えながら

続けてきました。

私自身もまた、

私の一挙手一投足、

そして試みを達成することが

彼らの心の支えになると信じて、

その頃は未成年だったので、

勉強や運動に取り組み、

それなりの成果を得てきました。

 

一時、うまくいくかに見えた

そんな行為とは裏腹に、

結局先に述べた通り、

原家族はおかしくなり、

私自身もまた荒れて、人間不信に陥り、

自分を貶めながら他責を問うていました。

自分を貶め、自分を責めることは、

自責とは異なります。

字は同じだけど。

 

これまでにも何度も書いていますが、

やれることはありました。

親と自分の境界線を常にイメージしました。

必要に応じて物理的な距離を取り、

世話をするとき以外の接触を減らしました。

日々、時々刻々と現れる自分を

ひたすら受け入れ続け、

自分を貶める発想を極力排しました。

自分の周囲の他者やシステムを

敵視しないように心がけました。

怒り、憎しみ、愚痴が

自分を痛めつけていることに気づき、

その視点から手放すようにしました。

決して勘定そのものを

押さえつけないようにしました。

他にもいくつも試しましたし、

上記も手を変え品を変え試行錯誤し、

様々な角度から行いました。

一見、そんな方向に行っていいのか、

というような方策ですが、

でもそれを繰り返すことによって、

徐々にではありますが、

確実に自分自身の評価・肯定感があがり、

人生が良くなっていくことを実感しました。

その中で、

父の自死には間に合わなかったけれど、

晩年の母と、

昔の懐かしい時間を取り戻すことができました。

 

どんな状況にあり、

どんな事情を抱えていたとしても、

自分がよくなるために、

自分の大切な人のために、

やれることというのはあるものです。

命のかかった難病になっているならともかく、

動いて、

食べて、

働くことができるのであれば、

何らかのやれることはあるものです。

仕事やお金、

親や友人や子供や

そういった人間関係で悩み、

二進も三進もいかなくて苦しんでいるのに

そんなことを言われると、

腹を立てる方もいるかもしれません。

でも、断言しますがやれることはあるものです。

それを伝えたくて、書いてみました。

 

他者をあざ笑ったり

自分をイジメたりしていないで、

やれることをやりましょう。

 

ー今回の表紙画像ー

『帰宅ラッシュ時間の夕陽』

陸橋歩いてたら見えたので、撮ってしまった。