長いですが新しい働き方を試してみようという話

日々の棚卸

仕事の問題を抱えていて、

解決の糸口が見えないとき、

あきらめてしまう人の言い訳に、

年齢があります。

もう××歳だから、と。

 

××は2桁です。

1桁だと怖いな…。

3桁の方の話は、残念ながら

まだ伺ったことがありません。

残念ながら、お話したこともありません。

ちなみに、10代の方も、

いわゆる相談という形で、

正式に受けたことはありません。

家庭教師をしていた頃は、

勉強の合間にそんな話もしたものですが。

 

ともかく、2桁です。

2桁の数字として該当するのは、

40代、50代、60代の方々が

悩みの解決方法の提案に対して、

年齢を理由に難しいと言われることがありますが、

同じ言葉を20代前半の方から

うかがうこともあります。

 

20代で、もう年だからなんて、

何を言ってるんだ、と

思われる方もいるかもしれません。

 

小学生の女の子二人が

「お肌の曲がり角よね」

とか何とか話している漫画を読んで

笑ったことがありますが、

(結構ありますよね、こういうの)

現実に20代前半で

年齢を理由に

あきらめの境地にあって

絶望してしまうような人は

少なくありません。

 

20代であきらめざるを得ない仕事。

一体何でしょう。

スポーツの世界チャンピオン?

企業の社長?

スーパーモデル?

大金持ち?

自分の理想の容姿をかなえること?

 

決して、遅すぎることはない、

というかやるだけやってみればいい

そう思うものばかりです。

 

あるいは、あきらめざるを得ないのは、

充実して幸せな未来?

 

もう一度。

20代であきらめるなんておかしい、

そう思いますか?

確かに、そういう感想が一般的かも

しれませんね。

ですが、私にはその気持ちがよくわかる。

20代だから、若いからこそ、

あきらめたり絶望したりして、

もうこの年齢では間に合わない、

そう感じることもまた、

あると思うのです。

もちろん、年齢は関係ありません。

あきらめたり、絶望したりすることは、

いくつになっても起こりえるものですから。

経験や諦念、あるいは、

受け入れや物事の俯瞰的な見方など

年齢を重ねる中で、

自らを振り返り、成長することで

あきらめや絶望に陥らないだけの

処し方、受け止め方を

期待できるかといえば、

追い詰められるときは

何歳であっても

追い詰められるものです。

ですから、

若いが故に追い詰められることもまた

決して少なくはありません。

だからでしょうか、

20代や30代で“あきらめて”しまうこと、

その本質を理解すると、

自分の経験も照らし合わせて、

私にはその感覚がよくわかる。

なぜそう感じてしまうかがよくわかるのです。

 

人の人生の中で、

もっとも元気で体力があって

社会人なら収入も得られるようになって、

人の一生の中で

最も無理がきくはずの年齢の時に、

何をどうやってもうまくいかない、

どうしようもない状態になる、

自分も大切な人も周囲も

皆を不幸にしてしまう、

そんなことがずっと続けば、

誰でも絶望します。

きっとこれから先も、この状態が永遠に続くのだろう。

鬱の兆候にもなりえます。

そして、もう××歳なのに、と

年齢を理由にして

追い求めてきたいろんなことを

あきらめてしまう。。。

ちなみに、カウンセリングでは、

永遠はありえないこと

新しい視点を持つことを、

クライアントさんの歩んできた道のりに沿って

見ていきながら行います。

 

ともかく、

20代30代でそう感じてしまい

身動きが取れなくなっている人は、

おそらく10代の頃、

あるいは物心がつく頃から

そういった感覚が続いていたのでは

ないでしょうか。

自分なりの工夫と努力で

何とかやりくりし、

それでも結果が付いてこなくて、

さらにそれでも、

社会に出ればまた変わる、

と思って生きてきたけれど、

やっぱり何も変わらなかった。。。

何ができるわけでもなくて、

何が評価されたわけでもなくて、

何か特別な肩書があるわけでもなくて、

もちろん学歴も仕事の評価も、

自分を取り巻く人間関係も、

自分の大切な家族さえも、

何もかもがぐちゃぐちゃになっていて

眠る時間も惜しんで

いろいろやってみたけれど、

もう何もどうにもならなくて

手段が尽きたように思えて、

これ以上は心も体も

動かしたくなくなってしまっている。

 

一方で、40代、50代の方で

絶望し、あきらめてしまっている方には、

仕事と家族の板挟みになって

身動きが取れない方が

少なくないと思います。

責任と少なくなった現役人生、

若い頃にはささやかなりとも描いていた

夢やちょっとばかり素敵な未来も

事実かどうかはさておき、

ここまで生きてきた自分の生き方の

延長上にはほぼ見当たらない

ような気がする。

かといって、それに置き換わる、

何かときめくような別の世界を

想起できているわけでもない。

中には、今のご時世のため

会社に居場所がなくなりかけていたり、

実際に追い出されてしまったり、

先立つ資金にも乏しく、

二進も三進もいきそうにない。。。

 

人生は何歳からでもやり直せるといいます。

私もその考えには賛成です。

仕事についていえば、

これまでの仕事がすべてではない、と。

 

もう一度。

うまくいかない、とは

どういうことでしょう。

 

結果とは多くの場合、

人の関係(とそれに伴う自分の心の安定)の

劇的な改善か、

収入の増加のことだと思います。

日本のサラリーマンの割合は87%だといいます。

約90%がなんとサラリーマン。

この中でどれだけの人が好きなこと、

やりがいのあること、

幸せな人間関係の中で

働いているのでしょう。

なぜこれほど苦しむのか、と言えば、

その理由はそれほど難しくありません。

 

これまで培ってきたことの中には、

成果として認められなかったもの、

会社の外で体得したもの、

気がついたらできるようになっていたもの

今少し視点を変えれば熱中できるもの

などが、それぞれの年齢であるはずです。

それらは、いきなり年収1億円には

ならないでしょうが、

世の中に1人、2人、3人と

欲している人がいるようなことである

可能性は十分にあります。

苦しんでいる人は、何となかなる、という

心持ちになれないでいる方で、

それは雇われる以外の糧を得る方法を

全く知らないためではないでしょうか。

それがとても、自由を阻害してはいないでしょうか。

それがとても、自分を束縛してはいないでしょうか。

それがとても、即席の結果を得ようと、

焦りばかりを募らせてはいないでしょうか。

 

だとしたら、ほんの少し視点を変えて、

ちょっと試してみましょう。

あっ、こんなところにこじんまりした

おしゃれな喫茶店見っけた。

ちょっと入ってみよう。

そんな感覚で、週末でも、夕方でも

ちょっと空いた時間をつなぎ合わせて

新しいことに“一歩”を

踏み出してみるんです。

それをトライ&エラーすることが

次のステップ。

そうやって、想いを形にしたものが、

他の誰かに喜ばれた経験をしたら、

もうしめたものです。

自分の喜びが

人の喜びとつながったのですから。

 

そうやって、働くということに別の意味を

見出せるといいですね。

 

ー今回の表紙画像ー

『三日月もどき』

この間街を歩いていたら、ビルの谷間に大きな三日月が見えたのでスマホで撮って家で見てみたら、丸くなっていた…。解像度上げなくちゃ。