好きなことを仕事にしましょう。
そう言われます。
そうなら、ほんと、言うことはない。
そう自分で本心から感じているなら、
その方はきっと、
これはもう誰かに賛辞をもらうまでもなく、
充実した日々を送っていると思います。
人は無駄なことはしないと
いつも書いています。
だとすると、こうやって
好きな文章を書いているおじさんがいる
一方で、
どうしても手につかないほど
嫌なことを仕事にしている、
必然、人との関係もうまくいかず、
いつもイライラして、
先行きが行き詰っていると感じている、
そういう人がいて、
それぞれには“言い分”があるはずです。
“言い分”とは、
そうする理由、
そうしない理由のことです。
仕事に限った話ではありませんが、
趣味、
習い事、
日々の些細な会話に買い物まで、
私たちが選択すること、
振る舞うことには、
意味があります。
意味などない、
という方もおられるかもしれませんが、
意味など必要としない、
と言い換えれば、
それも一つ大きな視点での意味です。
意味を必要としないほどに、
問題がなく、
スムーズに進められる程度には
嫌ではなく、楽しい流れで動いている
とも言えますよね。
話を戻しますが、
仕事では特にそれが顕著になります。
なぜなら、
特に生きる糧を得るという意味で
仕事をする場合には、
大なり小なり
義務的な要素が含まれるからです。
働かない理由もまた、しかりです。
自分らしさを人に伝える一つの手段として
仕事を捉えると、
好きでもない仕事で
積極的に働く理由も
働かない理由も
それぞれあると思います。
前者、つまり積極的に働く理由は、
間違った場所で“あがいて”いるということ。
生活のため、
特に家庭を持ち、子供を持たれている方は
あがくなどと表現されることは、
不本意かもしれません。
ですが、自分らしさ、という観点からすると
やはり好きでもないことをして働く
ということは、その生き方のどこかに
あがくことを外せない自分がある
のではないでしょうか。
現実はその人が作り上げているとするなら、
選択可能な仕事というものを
そのように捉える世界観に沿って
生きている、ともいえるはずです。
さて、後者は、
自分が納得して働くために、
あがいて、頑張って、周囲と競争して、
自分を含めた人を傷つけることがつらくて、
消極的になっている、ということ。
そう考えるときがあります。
どちらもある種の哀しさと
その人らしい優しさの中にあるものだと
思えてなりません。
好きなことで働いている方はそれでいい。
でも、そうでない人はおそらく少なくない。
一応、“おそらく”と言っておきます。
もう少し細かく断言してもいいけれど。
そこには単にお金という以外にも
理由があるでしょう。
ほんとに小さな世界で決めた理由です。
小さいけれど絶対的な力を持っていた
親から刷り込まれた理由です。
それを明確にして、
そこから一歩を踏み出すことを
思案してみて下さい。
「面白き こともなき世を おもしろく」
明治維新の有名な立役者の一人、
高杉晋作の言葉です。
今、直接戦争になったり、
武力を交えた争いごとに巻き込まれたり
という可能性は大きくないとは思います。
一見すると、面白いもの、素敵なイベント、
そういたものが目白押しのこの国で、
しかし実際には食べていくためと称して
好きでもない、面白くもない、と言いながら
働く日々を多くの人が送っている。
一切皆苦が本当であるとするならば、
それを受け入れた上で、
働くということが
どう楽しくしていこうか、ということを
学ぶ場、時、だと考えて動くと、
実は楽しいことを仕事にする、という意味が
変わってくるし、
見えてきますね。
ー今回の表紙画像ー
『アブラゼミの抜け殻』
すげ。
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