もう一度五感で感じよう

日々の棚卸

 

心理の世界にたどり着いたきっかけの1つは、

第六感が働いたからだ、と思っています。

原家族の問題で

自分がどうしようもないところまで

行き詰っていたということもありますが、

何とかしようと、

そこから一歩を踏み出した方向が

宗教でもなく、

芸能でもなく、

犯罪でもなく、

引きこもりでもなく、

お祭り騒ぎでもなく、

いわゆるホリックでもなく、

セラピー、精神医療の世界だったのは、

そこに五感(と思考)以外の

何らかの感覚が働いたからだと思います。

私たちは、つらく哀しい時、

それを自分にさえカモフラージュする

いくつもの術を無意識に働かせて、

日々を生きていますが、

それをして、

どうしようもないと感じて

この場所にたどり着くのは、

私に限らず、

多くの方も同じではないかと思います。

言い換えれば、

今までとは違う世界を求めたのか、

今までとは違う自分を求めたのか、

最初は、自分以外の誰かや何かを

変えてやろうとして選択したのか、

はわかりませんが、

ともかくも、現状をどうにかしたくて

この場所を選択したという

ことではないでしょうか。

 

自分の心をよりどころにし、

自分に由って生きる術を求め、

会社の評価や隣近所の噂、

学歴や過去のしがらみとか、

そういったものに絡めとられるような

そんな生き方はもう嫌だ、

素の自分、

素の人間、

そしてそんな自分によって

もう一度世の中とつながりなおし、

生きる生き方をしていきたい

胸の奥底に秘めていた想いが

どうしようもなく溢れ出てきたのですよね。

 

そんな中で大切なこと、

それはもしかすると

一度は閉ざしてしまった感覚かもしれません。

五感のことです。

心を閉ざすと、

五感も閉じてしまいます。

正確に言えば、

五感そのものの機能が停止するというよりも、

それを認識して、

時に自分の体や行動へフィードバックする

機能が停止することです。

心ここにあらざれば見えども見えず…の話は、

つまるところそういうことで、

そこには、

五感に携わっている暇というか

余力もないほどに気になること、

過去や今目の前にある以外の状況に

気持ちが行ってしまっているということです。

全く閉ざしてしまったら、

日常生活ができないので、

最低限必要な感覚だけは

活用しているとは思います。

ただ、素の自分が本来感じていることを

たいしたことではない、

どうでもいい、

面倒臭い、

などといって、

放置し、放棄することと並行して、

行き詰った日々が出来上がってしまうものです。

 

そういう状態である自分に気づき、

そうではない世界を選び、

そこで生きていこうと決めた。

そんなあなた自身のことを尊重するなら、

その時に何を置いても

実践を試みるべきことの一つが、

もう一度、今いる世界を

五感でしっかりと感じ取ることです。

漂ってくる金木犀の香りや

鳥のさえずりや、

町の夜空でも見える星の瞬きや

川の向こうに沈む夕日や

スイカの舌触りや

風が顔をなでる感触や

いろんなことを感じてみて下さい。

(何ページにもわたって

書いてしまいそうなので

ストップします)

そして、もしうまくできるなら、

そこに繋がる心が和む思い出を、

そこから繫がる素敵な可能性を、

探してみて下さい。

探す基準は、自分の五感です。

評価とか噂ではありません。

胸の疼きとか、包まれた感覚とか

胸が躍ったり、細胞が活性化されたり、

フッと落ち着いたり、

思わずクスリと笑ってしまったり、

懐かしい匂いに満たされたり、

メロディが流れていたり、

五感で感じ、察知し、予感する、

そんなことです。

 

世の中に、

苦しみ、悲しみ、楽しみ、喜びなどはなく、

ただそんな情報を集めているだけだ、

といった方がいます。

ホントかどうかはわかりません。

私自身はそんな考え方には懐疑的ですが、

引き寄せなどを考えると、そんなことも

あるのかもしれません。

ただ、素敵なことを集められるのなら、

それこそ素敵なことはない。

そして、その感じ、感覚がもたらす、

まだ出会っていない自分、

遠ざけた自分と会って、

そのすぐそばにいる大切な人々と会って、

それが今もまだ息づいていて、

実は“未来”を見せてくれていることを

感じ取ってみて下さい。

その一端に、自由が見えます。

過去も未来も、

その哀しくつらい思い出や予感だけに

束縛されているうちは、

恐怖と無力感を伴って

あなたをガチガチに縛り上げてしまいます。

だとするなら、

今、これから、を生きるためには

その場所にもう一度赴いて、

そうではない自分、

そうではない面から見える自分を

きちんと見てあげることが必要なのです。

そんな自分や過去や未来がない人は

いません。

認めたくない人は、

数え上げればきりがないほど

たくさんいますけどね。

 

目で見たもの、

耳で聴いたもの、

手足や肌で触れたもの、

鼻腔で嗅いだもの、

舌で味わったもの、

それが自分の感覚として

もう一度、身体と心の双方に根付きだすと、

そこに新しい日常と、

新しい“課題”があらわれます。

それは、その世界で、

あなたが望む未来を実現していくために

目の前に出てくるもので、

五感をフルに活動させて対処していくことで、

少しずつ、しかし確実に

実現していくことができるようになります。

 

それはそうですよね。

自分の五感をもとに築いてきた世界は

嘘はつきません。

現実であり、事実であり、

自分に由った結果だからです。

そんな世界が誰にもあります。

そんな世界にたどり着くと、

別の未来が見えるようになります。

それは、とても魅力的で、

しかし、自己責任の領域が

今よりずっと大きくて、

潜在的にあなたが求めている世界です。

 

時代もまた、

そんな生き方の多様性を実現する方向に

流れて生きているように思います。

 

ー今回の表紙画像ー

『入道雲』

通りをわたりながら気になって一枚。