ふとした折に感じるようになった、
ある感覚について。
例えば、選択した食事、
例えば、作成中の書類の表現の癖、
例えば、買い物の順序、
例えば、週末のドライブコースの選択、
例えば、海釣り中にとある風景を探す自分に
気づいた時、
ふと、体を覆うある感覚に
なぜ、と感じることがありました。
他にも、
知り合いのさりげない態度が
なんとなく気にかかる時、
度々町で見かける見知らぬ人と
夕暮れの駅前ですれ違う時、
その夕暮れの中、家路を急ぐとき。
つまり、その感覚は、
時も場所も問わず私を訪れます。
良くも悪くもすっかり大人になって、
子供の頃の葛藤を自分なりに乗り越え、
心と身体を調整する術を体得して、
今を生きられるようになったと
実感した後、
特に感じるようになったことです。
それは、
家族の中で醸成された感覚のことで、
すでに回復したはずの自分の中にも
しっかり息づいているということに
戸惑いを覚えていた時期があったのです。
かつて、
正しいと思って生きてきた基準を
頑なに守ろうとするあまり、
大切な家族の形を見失ってしまった
両親がもたらした暗闇に
取り込まれ、
支配され、
そこからの脱出を試みては挫け、
心と身体がバラバラになる感覚と、
原因不明の焦燥感と、
自分なりの存在意義の喪失とによって
心が動かなくなり、
魂が疲弊し、
もうダメだと諦めに打ちひしがれた私は、
そこから回復を図る中で、
そこにいるしかないと居直り、
その暗闇の“元”を何度も感じ、
しかるべき場所で語り、
手放すことを覚え、
それを繰り返しているうちに、
いつの間にか
日常に静けさがおとずれ、
心の痛みが不思議なほどに軽くなり、
そして何よりも、
『家族の軛』から解放された感覚を
感じ取れるようになりました。
得体の知れない暗闇は
まだ先が見えないものの
やわらかな希望の感覚へと移り変わり、
ところどころに迷いが
あらわれることはあっても、
自らの意思によって
選択肢に変えられるようになっても
いましたから。
だから、日々の生活の中で、
不意に家族の暗闇の部分から
体に染み付いた情動や、
そこを基準にして惹かれる風景、
あるいは惹かれる人との会話や
足を向けたくなるイベントや場所、
匂い、音、手足の感じ方、
そういった
“感じ慣れた感覚”を欲している
自分に出会うたび、
ただ戸惑ったのです。
“感じ慣れた感覚”は、
それまで自分を苦しめてきた感覚である、
前述の焦燥感や喪失感とは異なりますが、
かつて家族と一緒にあった頃に
五感に宿っていた
もう一つの家族の感覚でした。
これは『家族の軛』の名残なのか、
はたまた回復する過程で
彼らとの付き合い方を
間違えたが故の呪いなのか、
それとも未経験の新たな何かなのか、
などとやりきれない思いと共に
悩んだものです。
もちろん、
それが良いものであれ、
悪しきものであれ、
かつて支配された何かであれ、
自分の内側から染み出でてきた
ものであれば、
自分が気づいていない
大切な何某かを
伝えてくるものだということだけは、
それまでの回復過程で
理屈と感覚の双方で理解していたので、
否認したり、腹を立てたり、闘ったり
しないように
ひたすら心がけましたが。
自分の内側に生じるままに感じ、
その感覚の存在を認め、
まるでいつも横にいる大切な
子供か兄弟姉妹のように丁寧に扱う中で、
その気づきは
天啓のように降りてきました。
そう、ある時ふと気づいたこと、
それ、つまりこの感覚は、
あえて言えばこの希求は、
生じた、のではなく、
自らが求め続けていたことだ、
ということでした。
実際のところ、
『家族の軛』から解き放たれる、
と言っても、
デジタルのように、
ある時を境に1から0にストンと
切り替わるわけではありません。
人間自体がアナログ的な存在なので、
1と0の間を行きつ戻りつしつつ、
少しずつ変わっていくのだから、
時には『家族の軛』の感覚が
大きくぶり返すこともあるのかな、
と考えていたのですが……
そうではありませんでした。
前述した暗闇の日々が、
家族の中のある部分から
もたらされたことだとするなら、
私の心が解放された後に
この胸を満たした想いや
体中に広がる感動をもたらすような
言動の選択は、
暗闇の領域とは異なる、
時に静けさもたらす落ち着きや、
一緒に居て素敵な出来事をくれた、
家族の感覚からもたらされたものでした。
そしてそういった言動をもたらした
私の無意識は
そのことをわかっていたのでしょう。
『家族の軛』とした暗闇だけが
自分にとっての家族であったはずは
ありません。
いつしか見失ってしまった時間、
家族で過ごした素敵な時間が
胸の中にしっかりと戻ってきて
くれていたのです。
その時にはすでに、
暗闇であったはずの時間と
その頃に彷徨った自分自身さえも、
自らの一部として
一体化されていたことを感じた
瞬間でもありました。
★
2017年に逝去された漫画家の
谷口ジロー氏の存在を、
フランスの映画で実写化された
「遥かな町へ」で知りました。
谷口氏も父親との関係に
悩まれていたのだと知ったのは
そのずっと後のことでした。
その氏の著作である「父の暦」のラストに
こんな言葉があります。
それは、ここまで語ってきたこと、
自分が感じていたことを
言いあらわしてくれていました。
「郷里は……いつでもどんな時にでも
変わらずそこにあった。」
「私は思う……郷里に帰る……のではない。
いつの日か、郷里がそれぞれの心の中に帰ってくるのだ」
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ー今回の表紙画像ー
『畑から夕暮れの山並みを望む』
最近借りた畑より。
日中はもう夏です。↓

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